創価学会が世界宗教として飛躍するためには宗教の開放性への試練を乗り越えなければならない

私たちは、弘教に臨んで、何を志向すべきなのか。

師は成果競争をも、数への執着をも、私たちに一切求めていない。

何を求められているのか。

ドゥ・ウェミン対談「文明の対話」でSGI会長は、次のように述べている。

池田 古今を問わず、「多様性」「開放性」「寛容性」に満ちた、文化と人間の交流こそが、人類発展の大いなる原動力です。

これからの時代は、ますます重要になってくるでしょう。

私たちの布教の在り方が、「多様性」「開放性」「寛容性」に満ちた、文化と人間の交流を基盤としているかどうか――。

師が示すこれらの要素を私たちの対話において、実現できているかを最も注意深く常に点検し、もし足りないならば、満たしていく努力をしていかなければならない。

「多様性」「開放性」「寛容性」の3つの要素のうち、「開放性」を獲得するために必要なものは何か考えてみたい。

開放性の重要性について、ハーバード大学教授のヌール・ヤーマン氏が池田SGI会長との対談「今日の世界 明日の世界」で以下のように語っている。

私は、いまこそ必要なのは、閉ざされた「宗教主義」ではなく、開かれた、健全で現代的な「世俗主義」を樹立することであると思っています。

いいかえれば、さまざまな宗教のすべての偉大な倫理的教義を尊重していこうとする、「世俗主義」であるべきなのです。

これが私のいう「ヒューマニズム」です。

それが樹立されて初めて、他の文化や宗教との共通の基盤が芽生え、対話の素地も生まれるのです。

ヤーマン氏の指摘する閉ざされた「宗教主義」が、一体どれだけの犠牲をもたらすとともに純粋な信仰心を踏みにじってきたかは、例を挙げるまでもない。

本来、人の幸福のために作った制度であるはずの宗教が、権力を握ることにより、逆に人を翻弄したり、果ては蹂躙さえする道具になり果ててしまう。

そうした繰り返される本末転倒を阻止するために、ヤーマン氏は、宗教の開放性こそがその宿命を転換する方法であると主張しているのだ。

私たちの創価学会は宗教の開放性を十分に持ち合わせているといえるだろうか。

会員同士でしっかりと心行くまで話し合ってみる必要がある。

開放性について考えるうえで、私たちが基準とすべきは、創価学会で行われる会合や協議が、基本的に公開のもとで行われても差し支えないかどうか、であろう。

もちろん、組織運営のための秘匿事項は存在しよう。

すべてをフルオープンにすべきだということではない。

私たちの活動が内、外の隔て、区別を設けてはいないかを問うてみることが重要なのだ。

簡単に言うなら、建て前と本音の差異を作ってはいけない、ということである。

さらに言えば、きれいごとをかかげながら、やましいと思うことをやってのけるようなダブルスタンダードが、微塵もあってはならないということだ。

もし仮に、会内ではこう話せるが、世間には話せない、また、外にはこう言い換えなければならないなどといった内容の話や活動が存在するのであれば、開放性があるとは決して言えない。

創価学会が世界宗教として飛躍を図っていくならば、この宗教の開放性への試練を乗り越えなければならない。

私たちはそうした重大な岐路に立たされている。

対話することだ。

腹を割って、本音で、徹して。

もし、わずかでも疑問に思い、理不尽なことが組織に存在するなら、勇気をもって声をあげていくことだ。

対話なき組織が招くものは、閉ざされた宗教主義にほかならない。

対話なき組織が招くものは、荒涼たる無気力にほかならない。

決してあきらめるべきではない。

声をあげても何も変えられないなどと、押し黙るべきではない。

すべては私たちの対話にかかっているのである。

ソフト・パワーに満ちた理想の組織を構築していくための対話が求められている。