組織の自浄作用に不可欠な要素は内発的精神に支えられた自己規律、自己制御の心(哲学)にある

信者や信徒の団体としての組織は、信者たちが、信仰を持続していくための役割を担っている。

組織は人によって、また時代によって、急激な変化を余儀なくされる。

もちろん、時代に即して、信者がより信仰を続けやすいように、より高い信仰心を獲得できるように、という意図に基づく組織の変化は必要なことであろう。

しかし、本来、人間を守るための宗教組織が、知らず知らずのうちに人間を苦しめる装置に変換してしまったという例は、歴史上、枚挙にいとまがない。

こうした宿命的とも言える“組織の暴走”を食い止め、信者に限らず、全人類の幸福のための役割を担う装置としていけるか否かは、組織を司る人々にとって、最重要課題であろう。

創価学会、SGIにおいても、もちろんその例外ではない。

いや、むしろ今や192カ国までに広がる一大宗教組織にとって、根幹、機軸を確かならしめるのはもちろんのこと、これからの不断の発展を目指した時に、システム、装置としての創価学会のあり方について深い思慮を巡らすとともに、確固たるビジョンを示していく必要がある。

システムとしての創価学会の恒久化について、池田SGI会長がこれまでに行ってきた講演、提言、識者との対談を中心に、その在り方について検討の機会を設けるべきだろう。

組織の生命線は、時代や環境の変化にを適正な形で対応し、自らをコントロールしていく装置を備えているかどうかにある。

その重要なヒントは、1991年9月に池田SGI会長が行ったハーバード大学での講演『ソフトパワーの時代と哲学』で示されている。

この講演は、創価学会を永遠普遍の存在とするための明快な組織論を、世界最高峰の英知の壇上から示したものと位置付けて差支えないだろう。

タイトルに示されているように、この講演のテーマは二つ。

「ソフトパワー」と「哲学」である。

二つのテーマの要旨は以下のようになる。

(1)ハード・パワーが“外発的”“外圧的”に人間を動かすのに対し、ソフト・パワーは人間同士の合意と納得による“内発的”な促し、エネルギーを軸とする。

(2)信仰における外面的規範や戒律は良心が本来持つ内発的な働きは逼塞させられ、堕落しマヒしてしまう。

(3)ほとんどの宗教が陥ってきたのは、制度的な側面が硬直化することによって制度が人間を拘束し、宗教本来の純粋な信仰心が失われてくるという本末転倒。

(4)ジレンマを伴う苦悩と忍耐と熟慮の中にこそ良心の内発的な働きは、善きものへと鍛え上げられ、人間を分断し、破壊する悪を、最小限度に食い止めることができる。

(5)内発的精神に支えられた自己規律、自己制御の心(哲学)が現代に必要。

宗教組織のリーダーである池田SGI会長は、宗教組織が最も陥りやすい弱点を指摘したうえで、その課題を克服する方法について明確に言及している。

つまりは、創価学会も例外なく、この弱点を抱えており、講演で示した克服への努力を模索し、努力していかなければならないことは言うまでもない。

SGI会長が示した上記5項目の宗教組織の在り方について、果たして常なる検討が加えられ、厳しい自己批正が試みられているといえるだろうか。

もし、顧みられていない、語られることがないと思う節があるなら、私たちの組織の在り方が上記で示された5項目について、精査し、点検を試みるべきであろう。

そうした地道な作業なくして、組織が自浄作用を獲得することは不可能であり、よって組織の普遍化も永遠化もあり得ないことをSGI会長は講演で示したのだということを、私たちは認識すべきだ。

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人道的競争とは一人ひとりのソフト・パワーを生かした無償の社会貢献の実践

牧口初代会長が示した「人道的競争」について、考えてみたい。

牧口会長はその著書「人生地理学」において、「人道的競争」を以下のように語っている(趣旨を要約。現代表記に改めた)。

人間(人類)は歴史上、さまざまな生存競争を繰り返しながら、その営みを手にしてきた。その変遷を「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」とそれぞれ位置づけられる。

略奪や征服を目的とした軍事的競争から、人間は次第に競争の仕組みを進化させ、流血等の悲劇をもたらさなくとも可能な競争のあり方を生み出してきた。

経済的競争の時代の次に来るべきものは人道的競争である。

そしてその競争の形が野蛮であった時代は殺戮など悲劇をもたらしたが、次第に洗練され、熟成していき、最終的には利己を乗り越えた人道のための競争に至る、と牧口会長は予見する。

極めてユニークだと思われる点は、人間が洗練されるに従って、軍事→政治→経済と、その競争の枠組みは移り変わっていく一方で、競争という形はいつの時代にも変わらないということだ。

人間にとって生存競争は本能に植え付けられたものであるがゆえ、不可避。

ならば、その本能を最大限に生かし、競争がもたらす負の面ではなく、プラスの光を見い出そうと牧口会長は考えたのであろう。

人間の本質を見事に見据えた牧口会長の慧眼がもたらした卓見である。

さらに牧口会長は同著において、以下のように続けている(現代表記に改めた)。

人道的競争とは、かつて武力や権力によってしてきたことを「無形の勢力」をもって、自然に感化させることにある。

すなわち「威服」(権威をもって従わせること)の代わりに「心服」をさせることなのだ。

「無形の勢力」「威服」「心服」と難しい語句が並んでいる。

SGI会長は、その意味合いについて、SGI提言(2009年)において、とても分かりやすく解説している。

このくだりなど、私の知友に引き寄せていえば、何度かお会いしたハーバード大学のジョセフ・ナイ教授の「ソフト・パワー」とは何なのか。

それは、強制や報酬ではなく、魅力によって望む結果を得る能力である」(山岡洋一訳『ソフト・パワー』日本経済新聞社)との指摘と、瓜二つではないでしょうか。

「無形の勢力」とはソフト・パワー(内発の力)であり、「威服」は強制・報酬、「心服」とは、魅力。

ソフト・パワーの概念はハーバード大学のジョセフ・ナイ教授発案の概念で、それが主に外交において展開されていたものを、1991年のハーバード大学の講演において、SGI会長が外交に限らず、人類が生きていくうえでのすべての局面において、このソフト・パワーが大いに生かされるべきと主張した。

以上から、「人道的競争」を現代的に言い換えるならば、「一人ひとりのソフト・パワーを生かした無償の社会貢献の実践」ということになる。

ちなみに「人生地理学」は牧口会長が明治36年(1903年)、32歳の時に世に示した著書だが、この「人道的競争」という斬新かつ今最も世界が希求してやまない人間の生存の在り方を、既に100年以上も前に構想し、発表していたことは、牧口会長の先見の明の正しさを証明している。

当時無名の存在だった初代会長が世に初めて問い、その弟子(戸田2代会長)に受け継がれ、さらにその弟子である池田SGI会長が、その思想を100年の時を経て今に蘇らせ、現実のものへと着実な歩みを進めていく――。

この素晴らしき師弟継承を私たちは、単に賛嘆するだけで終わるのではなく、その思想を現実のものへと展開してこそ、初めてそこに連なる弟子としての資格を得ることができるのではないか。

私たちにとって、人道的競争の具体的実践とは何かについて、じっくりと話し合う機会を持つ必要がある。

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ソフト・パワー(個々人の内発の力)は公共に尽くす社会貢献のために使われることで、初めてその存在意義を表す

池田SGI会長が、1991年9月26日、ハーバード大学において行った講演「ソフト・パワーの時代と哲学」は、SGIにとって歴史的な講演である。

同講演には私たちが永遠に追求し続けるべき課題である「創価ルネサンス」運動の基盤となるべき思想が含まれている。

その意義を理解するためには、この講演のテーマとなった「ソフト・パワー」の重要性を指摘したハーバード大学のジョセフ・ナイ教授との対談(91年5月10日)について触れる必要があろう。

ここでは、ソフト・パワーとハード・パワーの定義から始まり、指導者にとって、世界にとってソフト・パワーがいかに重要であるかについて語り合われている。

ナイ教授の言葉を引用してみよう。

“ハード・パワー”が相手を威圧的に”屈服させる”力だとすれば、”ソフト・パワー”は自分のしたいことをさせながら相手を取り込み、リードする力といえます。それ自体の魅力をもって、相手を魅了していく力です。

これに対して池田SGI会長は、以下のように語り、教授への全面的な賛同を表明している。

命令ではなく、魅力によって人々をリードする。これは、私どもにとって、一番関心の深い、また最も心を砕いている観点です。威圧的な”ハード・パワー”の指導者ではなく、民主と文化の”ソフト・パワー”の指導力をこそ人々は望んでいるし、このいき方、思想が、民衆の中に大河のうねりとなって広がっていく時、世界は真に「人間」を中心に回転を始めるでしょう。「新たな国際秩序」の問題は「新たな文明の在り方」「新たな人間の生き方」と表裏一体なのです。

これら対談で交わされた言葉は、数カ月後のハーバード大学における講演において、宗教的な角度から縦横無尽に展開されたということは改めて言うまでもないだろう。

さらにナイ教授との対談の中で、SGI会長がハーバード大学が第一級のリーダーを陸続と輩出しうる理由を問うたのに対して、教授はこう述べている。

まず申し上げるべきは、伝統の力でしょう。”真理の追究”と”公共の利益に資する”――これがハーバード大学の精神ですが、私たちは長い間この信念を守り抜いてきましたし、今もなお伝統の実現のために努力しています。ここに人が育つ背景があると思います。

これに対して、池田SGI会長は、以下のように応じている。

“自分は何もしないで、真剣に行動する人のあら探しばかりしている”――ハーバード大学では、そんな四流、五流の人間など眼中にないと。私も、いかなる非難を浴びようとも自ら行動し、社会に、世界に、貢献しゆく本物の人間をこそ育てたい。それが真情です。創価大学も、こうした”行動する英知”を育てるためのものです。

“公共の利益に尽くしていくこと”――この仏法でいう菩薩行を行ずるという目的なしに、真理の追究も無益であるし、ましてや行動の価値はないに等しい。

また、現在の日本を蝕む利己主義、経済至上主義のどれをとっても、この公共に尽くしていこう、すなわち社会のため、世界のため、人類のために惜しみなく尽くそうといった崇高な精神や思想とは懸け離れたものといわざるをえない。

池田SGI会長は、「公共に尽くす」――つまり”社会・人類貢献”を建学の精神とするハーバード大学を舞台とすることで、講演テーマとなる「ソフト・パワー」が発揮されるべき方向性を示そうとしたのではないか。

ゆえにSGI会長が、ソフト・パワーの重要性を訴え、内発的な力を引き出す哲学の在り方を示したのもすべて、人類に、社会に貢献するためのものであるということを認識しなければ、この講演を読む意味はないとさえ思えるのである。

例えば、SGI会長は講演の中で、仏法の中の「縁起」の考え方に触れている。

人間は孤独の中では生きられない。

さまざまな関係性、社会性の中で、それぞれが役割を果たしながら生きている。

ゆえに、「いかによく生きるか」は「いかによく人のために自分の命を使っていくか」という自らの問いかけにほかならないということを、この「縁起」という思想で展開されている。

つまり、その実践とは、社会貢献であり、人類貢献という菩薩の行いそのものであることを講演では強調されているわけだ。

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