集団的心理空間に追い込まれた人間は、やむを得ず、その空間と自分のずれを少しでもなくそうとするため、人格をその空間に馴染ませていこうとする

組織は構成員の自由を束縛するものではなく、むしろ個の魂を自由にし、飛翔させゆく役割と義務がある。

個の魂の自由を飛翔させゆく組織の在り方とは、どうあるべきなのか。

まず、大切なキーワードとして挙げられるのが、”人間味”であろう。

人間性、人間主義、またはヒューマニズムという言葉は一見、抽象的で、難しく感じるものだが、それを”人間味”という言葉に置き換えれば、比較的なじみぶかいものとなる。

SGI会長は、ボン大学のフュルステンベルク教授との会談(1991年10月8日)で、以下のように語っている。

(フュルステンベルク)教授は講演で”人類の生活条件をいかに人間味あるものにするかとの視点を忘れてはならない”と結論づけ、「全人類を包括する新しい人道理念の創出なしには、科学の進歩は方向の定まらぬまま、ますます大きな、そしてもはや克服不可能な危険を生み出すであろう」と警告されています。

人間主義こそ、時代の潮流です。人間を忘れたところに築いた学問・科学は、これまでも人々を大きな不幸に巻き込んでいます。その潮流を確かにするものこそ「内面の力」と思います。

この人間味あふれる生活と対話と交流が「個」を飛翔させる組織の在り方に最も重要であろう。

これまで、組織においてとかく叫ばれてきたのは、「組織は”訓練”の場である」というフレーズだ。

確かに、組織につきものの規律、統制、制約などは、自己との闘争という観点からは、自己を鍛える大事な挑戦課題となっていくものであることは間違いない。

ただしそれは、あくまで自ら挑戦課題と決めたときにのみ、それが結果的に”訓練”となるのであって、あらかじめ、他人から強制的に訓練を受けるのだ、と決めつけられるべきものではない。

組織イコール訓練という考え方の奥底には、人格は集団的心理空間で鍛え上げられるという発想がある。

集団的心理空間に追い込まれた人間は、やむを得ず、その空間と自分のずれを少しでもなくそうとするため、人格をその空間に馴染ませていこうとするものだ。

それは何を指すかといえば、人格を歪め、変形することにほかならない。

または、その場における条件反射的なつくられた”人格”を体得させることであり、組織に都合のいい人格に改造することが目的となってしまう。

これが果たして本来の人間味にあふれた組織の在り方と言えるのだろうか。

SGI会長は、こうした人間味を無視した組織主義的な在り方をことあるごとに否定し、創価学会は未来にわたって、組織優先ではなく、人間最優先の組織としていくことを強調されているのだ。

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