創価学会が会員による政治の対話を促すことは、そのまま民主主義を成熟させることにつながる

政治を監視せよ、とは具体的に何をせよ、ということか。

今、とり行われている政治が正しい方向に向かっているか厳しく見つめることであり、ただすべきがあれば、遠慮なく意見を述べていくことにほかならない。

ところが、わが創価学会における政治参加の在り方は、「政治を監視せよ」とはほぼ真逆の「政治を丸のみにせよ」に近いものとなってしまっている。

創価学会の組織が行う選挙運動の在り方は、公明党が推進する政策を学習し、その知識を武器に人脈を生かした支援依頼、投票依頼を展開していくというものだ。

その過程において、運動員となる会員が、公明党が掲げる政策に基本的に異論を差し挟む余地はない。

仮に反対意見を示したとして、説得されるか、信仰次元の話に置き換えられてしまうことが多々ある。

かつて創価学会・公明党は、政治に置き去りにされていた庶民に光を当て、今では当たり前となった福祉を政治の場に引き上げた輝かしい実績をもつ。

これら功績は政治史上、語り継がれていくべきものであり、色褪せることない金字塔なのである。

その意味において公明党が日本の政治の改善に寄与した貢献は極めて大きいのだ。

だからこそ、それら輝かしい功績を無にしないためにも、創価学会・公明党は原点に立ち返り、庶民を守る、庶民のための政治を実現していかなければならないのだ。

庶民を守る、庶民のための政治とは何か。

かつては福祉を向上させることにあったが、時代は変わった。

少子高齢、人口減少、労働力減少という右肩下がりの社会をいかに生き抜いていくかは、旧来型の政治とは全く新しい発想が求められよう。

何より重要になってくるのは、庶民の知恵だ。庶民がもつ知恵の可能性は計り知れない。

旧来の政治はこの庶民の知恵を生かすことをしてこなかった。

なぜなら、かつて政治家にとって庶民という存在は、名も顔もない大衆にすぎなかったからであり、愚かな大衆を率いるのが政治家の仕事というおごった考え方が常識だったからだ。

この時代においても、そういった認識のままの政治家も数多くいよう。

しかし、時代は確実に変わった。

庶民はもはや無告の大衆ではなく、豊かな見識をもち、言うべきには物言う個人個人へと大きく変貌を遂げている。

創価学会員も全く同様なのである。

創価学会員も、もはや無告の大衆ではない。

政治に対してそれぞれ理想や理念をもった個人へと成長を遂げている。

つまり、本当の意味で、「政治を監視」できる力をつけてきているのだ。

そう考えると、創価学会が進める依頼型の選挙運動による政治参加の在り方は旧来の形を脱していない。

本当の意味での庶民の底力を生かすことができないのだ。

選挙戦において、最終的には依頼型になることは仕方ないことだろう。

生き馬の目を抜く選挙の世界においてはしのぎを削る戦いを避けては通れないからだ。

ただ、そこに至るための基本的民主主義のプロセス(政治に関する対話、意見交換、討論など)がすっぽりと抜け落ちてしまっていることが重大な問題、欠陥なのである。

創価学会が会員による政治の対話を促すことは、そのまま民主主義を成熟させることにつながる。

さらにそれが日本の政治の質を着実に、確実に高めていくことにもつながるのである。