1990年1月アーカイブ

非暴力に関する私の一考察
池田大作
(1990年秋、ソ連「非暴力研究所」要請を受けて執筆したものです)

 近代日本の代表的作家の一人に、夏目漱石がいる。彼の代表作『行人』は、長野一郎という大学教授を主人公に、彼をめぐる人々の葛藤を通して近代的知識人の自我の煩悶を描いたものだが、その終わりの方に、一郎とごくふつうの常識人である友人のHとが、連れ立って気分転換の旅に出るくだりがある。その途次での一つの出来事を、Hは手紙を通して、一郎の弟・二郎に伝えている。

 ――ある日、神をめぐる論議となり、Hは自我への執着に苦しむ一郎に対し、神を信じ、より大きなものへ自己を投げ出すことによって、我執を脱することができるのではないか、と進言する。種々のやりとりがあったあげく、一郎は問いつめる。

 「『じゃ君は全く我を投げ出しているね』『まあそうだ』『死のうが生きようが、神のほうでいいように取り計らってくれると思って安心しているね』『まあそうだ』
 私はにいさんからこう詰め寄られた時、だんだん危しくなって来るような気がしました。けれども前後の勢いが自分を支配している最中なので、またどうするわけにもゆきません。するとにいさんが突然手をあげて、私の横面をぴしゃりと打ちました。――中略――『何をするんだ』『それ見ろ』。私にはこの『それ見ろ』がわからなかったのです。『乱暴じゃないか』と私が言いました。『それ見ろ。少しも神を信頼していないじゃないか。やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか。落ち着きが顛覆するじゃないか』」

 おそらく、イエスの「右の頬を打つなら、左の頬をも向けよ」との言葉が想定されていたにちがいないこのくだりを、本稿のテーマに引き寄せて読めば、非暴力といった人類史的課題を前に、くどくどと口先だけの論議を費やすことは、もはや贅言というしかなく、ややもすると針の頭に聖霊がいくつ乗れるかといった空疎なテーマで甲論乙駁を続けていた中世スコラ哲学の教義問答のように、果てしない言葉のやりとりにさえ堕しかねないであろう。論議のための論議でしかないそうしたやりとりなどは、例えば、一郎の平手打ちひとつで、たちまち色あせ、雲散霧消してしまうのがおちである。

 したがって私は、暴力か非暴力かといった問題を、具体的な現実の場から切り離して、自己完結的な抽象的次元で論ずることは、ほとんど意味がないように思う。ある事態に直面した時、それに暴力をもって対応すべきか非暴力的に対応すべきかは、自らの信条としてならともかく、これを抽象的に一般化して考えると、所詮はケース・バイ・ケースというしかなく、それでは、何も言わないに等しい。形式論理的につめていくと、矛盾、ジレンマ、二律背反といったアポリア(難問)が導き出されるだけであって、つまり、そういう形では答えの出ない類の問題なのである。このことを、身にしみて知っていたのが、戦争と暴力が空前の猛威をふるった20世紀の歴史に、非暴力主義の輝かしい足跡を、鮮やかに刻印していった、M・ガンジーではなかろうか。

 ――1920年代の終わりごろ、ガンジーの率いる国民会議派の党員が、選挙運動の最中、反対党の無頼漢から、唾をはきかけられるなどの侮辱や暴力行為を受けた。そうした場合に、非暴力の論理にのっとっていかに対応すべきか、との問いかけに答え、ガンジーは厳しくいう。

 「非暴力主義者であるとの会議派党員も、それ以外のものにはなりえないがために非暴力主義者なのである。それゆえに、だれも非暴力の問題について、わたしや他の会議派党員に助言を求める必要のないことを、わたしは強く忠告しておく。だれもが自分自身の責任において行動し、自分の能力と信念の最善を尽くして会議派の信条を明らかにしなければならない。弱い者にかぎって、自分が臆病であるために、自分自身の名誉や配下の者の名誉を護ることができなくなったときに、会議派の信条とかわたしの助言を隠れみのにしてきたことは、わたしもしばしば指摘してきたところである」と。

 すなわち、ガンジーにとって非暴力主義とは、魂が全存在――信念と良心のすべてを離して、ある場合は死さえも賭して選びとった、のっぴきならぬ選択であり行動なのである。のみならず、すべての非暴力主義者たるものはそう確信をもって生きなければならない。彼らはみな「それ以外のものにはなりえないがために非暴力主義者」となったのだから。その点を回避して、安易に他人の助言にすがろうとしたり、それを意識しなくてもその助言を利用したりすることは、非暴力主義者たることの放棄であり、心得違いも甚だしい。ガンジーは重ねていう。「非暴力は、意のままに脱いだり着たりする衣服のようなものではない。その座は心の中にあるのだ。

 そしてそれは、われわれの存在そのものの分かちがたい部分にならなければならない」と。

 行為の全一性は、常に既知の理論や仮説を超えゆく豊かな未知の世界を内包しているものだ。非暴力という容易に一般化を許さぬ、人間的なあまりに人間的な行為のイメージ化は、したがって哲学的思惟や論理の抽象的次元には、なかなかなじみにくい。それに鮮やかな輪郭を与えるのは、何といっても人間の全体像を抽出する想像力の働きであり、そこでは、行為の全一性というものが、一種のハレーションを帯び、それこそのっぴきならぬ凝縮した姿をもって立ち現れてくるのである。文学的創造のなかから、どちらかといえばネガティブ(否定的)に、どちらかといえばポジティブ(肯定的)に、それぞれ非暴力の問題をくっきりと浮かび上がらせている古典的造形を、二つほど例示してみよう。

 一つは、ネガティブな例だが、V・ユゴーの『レ・ミゼラブル』の冒頭に、のちに主人公ジャン・ヴァルジャンを劇的に回心させるミリエル老司教と、蟄居しながら死を目前にしている老革命家(元フランス革命評議会議員)が、暴力の是非をめぐって対峙するシーンがある。フランス革命が、自由・平等・博愛をうたいながら、むごたらしい大量のテロと流血を招いてしまう、その惨劇のピークをなす"1973年"をどう捉えるかをめぐって、である。

 敬虔にして柔和な、常に清貧を潔しとしている老司教は、キリスト教的隣人愛の立場から、流血の惨事を正当化することの誤りを、静かに訴える。すると、80歳になる剛毅な老革命家は、それを待ち構えていたかのように、最後の力を振りしぼって、アンシャン.レジームの諸悪を次々にえぐり出す。息つぐひまもない、速射砲のような駁論のつぶて。やがてひと息つき、老革命家は続ける。

 「『あなたが求めた説明に戻りましょう。どういうことでしたかね? 何をおっしゃったのでしたかね? 九三年は過酷だったというのでしたか?』『苛酷、そうです』と司教が言った。『断頭台に拍手したマラーを、どう思いますか?』『新教徒迫害に、感謝の賛歌を歌ったボシュエを、どう思いますか?』

 この答えはきびしかった。だがそれは、鋼鉄の切っ先でするどく目標をつらぬいた。司教は身ぶるいした。なんの反駁も思い浮かばなかったが、こんなふうにボシュエが引き合いに出されるのは不快だった――」

 ボシュエといえば、大方のモラリスト列伝には名を連ねる高潔をうたわれたキリスト者である。その彼にして新教徒迫害を讃えている。そうした行為に口をつぐんでおいて、ジャコビニスムの暴力のみを言挙げすることができるのか――。このくだりは、ユゴーのフランス革命観を示しているともいえるのだが、それはさておき、このやりとりで、ミリエル司教の非暴力主義が、劣勢に立たされていることは明らかだ。民衆の蜂起を不可避的にうながしたアンシャン・レジームの虐政と、A・フランスが「神々は渇く」と形容したジャコビニスムの苛政とが荒れ狂った"暴力の季節"にあって、非暴力に徹することがいかに至難なことか大河小説の冒頭のエピソードは、そのことを我々に問いかけているといってよい。

 次に、非暴力のポジティブな描出だが、何といってもドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』の中のイワン・カラマーゾフの手になる劇詩"大審問官"の章に指を屈するのではなかろうか。ソ連の人々にとっては、取りたてて論及するまでもない常識かもしれないが......。

 「彼は殆ど九十に垂(なんな)んとしているけれども、背の高い腰の直な老人で、顔は痩せこけ、眼は落窪んでいたがその中にはまだ火花のような光が閃めいている」――こう描写される大審問官の姿は、年齢といい風貌といい、ユゴー描くところの老革命家と酷似している。その大審問官が、民衆に「自由な愛」を要求したイエスを難詰しつつ、民衆はむしろ「神秘」と「奇蹟」と「教権」に依拠した力による支配をこそ望んでいるのだと"懸河の弁"を奮って論じ、論じ尽くすくだりは、文字通りこの名作の白眉であり、読む者を圧倒せずにはおかない。そして、その主調音――無私と倨傲(きょごう)が同居している、いわゆる"人神"的主調音――は、小説中のウエートの置かれ方の違いこそあれ、ミリエル司教を駁する老革命家の能弁と、これまた酷似しているのである。

 とはいえ、それ以後が違う。ミリエル司教とは違い、イエスは、無言のイエスは、大審問官が弁ずるほどに、駁するほどに、精彩を放ってくる、の趣がある。そして、あまりにも有名な劇詩の終幕――。

 「審問官は口を噤んでから暫くの間、囚人(イエス)が何と答えるか待設けていた。彼は、相手の沈黙が苦しかったのだ。見ると、囚人は始終沁み入るように、静かに自分の眼を見つめたまま、何一つ言葉を返そうとも思わぬらしく、ただじっと聴いているばかりだ。老人はたとえ苦い恐ろしいことでもいいから何か言って貰いたくて堪らなかった。が、突然囚人は無言のまま老人に近づいて、九十年の星霜を経た血の気のない唇を静かに接吻した。それが答えの全部なのだ。老人はぎくりとなった。何だか唇の両端がぴくりと動いたようであった。と、彼は戸の傍へ近寄って、さっと開け放しながら囚人に向かって、『さ、出て行け、そしてもう来るな......二度と来るな......どんなことがあっても』と言って『暗き巷』へ放してやった。囚人はしずしずと歩み去った」

 やや長文だが、これ以上見事な非暴力の芸術的イメージの造形を、私は知らない。

 以上、ネガティブなものとポジティブなものの両面から例証してみたが、本来、非暴力といえば、劇詩"大審問官"のイエスや、それとダブル・イメージされているイワンの弟アリョーシャ(劇詩を聞いたあと、アリョーシャが兄に接吻すると、イワンが、自分の劇詩の中からの「剽窃だ!」と叫ぶように)のようなケースを検討していくことが常道かもしれない。しかし、私はそれだけは、それだけでよしとしていたのでは配慮不足で、あまり生産的な論議が生まれないように思えてならない。非暴力の原理をもって、暴力の原理を断罪していくことは、パーソナルな次元では必須の要事である。しかし、それだけで非暴力社会が実現すると考えるのは、あまりにナイーブにすぎるだろう。人間社会に必ず随伴してくるインスティテューショナル(制度的)な次元にまで敷衍させ、貫徹させることができなければ、非暴力の運動の組織化は不可能であって、さらにいえば、暴力と非暴力との類縁関係にある「政治の世界」と「宗教の世界」、「国家」と「人間」、「力」と「精神」といった人類数千年の歴史を通じて反目し、拮抗し、背反し続けてきた二つの領域の架橋作業もまた、不可能になってしまうにちがいない。

 ガンジーの天才は、彼の思想や行動が、一見、非暴力による暴力の一方的断罪のようであっても、断じてこの架橋作業を手放していない点にある。徹底した精神の変革が必ず行為を促すように、常に激しい政治的実践の場に身を置き続けた彼の生涯そのものが、そのなによりの証左といってよい。

 K・ヤスパースは、そうしたガンジー主義の特色を「政治そのものを超える政治的価値のみが、われわれを救済できる」という歴史的範例を、人類へのメッセージとして残した点にあるとしているが、さすがに一流の哲学者らしい的確な要約である。たしかに、歴史の示すところは「政治そのもの」の次元に執着していては、力と力とのせめぎ合いという悪の連鎖を断ち切ることはできない、という鉄則である。人類は、それを超える視点を持たなければならない。

 とはいえ、それはあくまで「政治的価値」なのだ。アリストテレス的な意味で、政治が人間というものの本質にかかわっている限り、「政治の論理」に強く異議申し立てはしても、決してそれを厭離してはいない。「政治」の世界と断絶してはいないのである。

 ルソーの『社会契約論』は、この架橋作業の古典的労作の代表格に位置しているものだが、彼はそのなかで「こうした(教権と俗権という)二重の権力から、はてしのない管轄争いが生まれて、これが、キリスト教国においては、およそよい政治というものを不可能にしてしまった」と嘆いている。鋭い指摘であって、「二重の権力」のもとで"神のもの"と"カエサルのもの"、"一匹"と"九十九匹"という二つの価値が引き裂かれ、永遠に交わることのない平行線のようなものとされてしまえば、アリストテレスのいう「政治的動物」たる人間にとって、行為の全一性など見果てぬ夢となってしまうにちがいない。
 このように、暴力と非暴力をめぐる考察は人間そのものの背反性から始まり、例えばキリスト教世界の二元的価値の対立にまで、必然的に及んでしまうのだが、この二つの価値、二つの世界が激しく対峙している様と、両者を引き裂く亀裂の底知れぬ深淵を垣間見せている点で、レーニンとトルストイに如くものはないと、私は信じている。

 なるほど、トルストイの無抵抗主義とは、比類のない徹底したものであった。帝政下のロシア社会の悪や不正に対する攻撃は激しく、軍隊や秘密警察を背景にする国家、人が人を裁く裁判、教会や私有財産のすべてを否定し、その切っ先はとどまるところを知らないかのようだ。しかし、社会改革の方法となると暴力的手段はあくまで排し、徹底して人間の道徳的回心によれ、と説く。「目には目を、歯には歯をと言えることあるを汝ら聞けり、されどわれは汝らに告ぐ。悪しき者に抵抗うな」との聖書の言葉にのっとり、徹して生きよ、と。

 その戒律を万人に求めることが、はた目にいかに夢想と思われようとも「その力、決意、その執拗さ、その無際限の勇気にふさわしく、一方ではルターやカルヴァンのごときまことに熱心な宗教改革家よりもすすんで先を、他方社会学的な意味で、シュティルナーやその門徒のようなきわめて大胆不敵なアナーキストよりも前方の道を歩む」(S・ツヴァイク)この巨人の足をとどめることは、皇帝にも誰にもできない。

 この無抵抗主義というある種の弱さが、鋼のような強さに鍛え上げられていくには、並々ならぬ精神的膂力(りょりょく)を要するのだが、トルストイは『クロイツェル・ソナタ』にみるように、理想は高いほどよく、達成されるような理想は理想の名に値しないとして、その道を愚直なまでに突き進もうとする。人々にも、そうせよ、と説教する。そして、なべてインスティテューショナルなものには不信の眼を向ける。ガンジーが腐心した大衆運動の非暴力的組織化などという課題は、とりつくしまもないほどだ。

 周知のようにレーニンは、トルストイのこうした無抵抗主義に対し、徹底した批判を加えた。

 その筆鋒は刃のように鋭く、トルストイの世界的な名声もものかは、容赦なく弱点を突き、メスをふるっていく。そのレーニン一流の、確信に満ちた、有無をいわせぬ説得力は、たしかに稀有のものだ。有名な『ロシア革命の鏡としてのレフ・トルストイ』の一節を見てみよう。内容という以上に、そのトーンを聴くために。少し長いが――。

 「一方では、ロシアの生活の比類のない画像を提供したばかりでなく、世界文学の第一級の作品を提供した天才的な芸術家。他方では、キリストにつかれた地主。一方では、社会的な虚偽といつわりに対するすばらしく力強い、直接的で心からの抗議、他方では、『トルストイ主義者』、すなわち公衆の面前で自分の胸をたたきながら『私は醜悪だ、私はけがらわしい、しかし、私は道徳的自己完成につとめている、私はもう肉を食わず、いまは揚餅を食っている』などと言う。ロシア・インテリゲンツィアと呼ばれる。生活につかれたヒステリックな意気地なし。一方では、資本主義的搾取の仮借のない批判、政府の暴力、裁判と国家行政の茶番劇の暴露、富の増大や文明の成果と労働者大衆の貧困、野性化および苦悩の増大とのあいだのきわめて深刻な矛盾の暴露。他方では、暴力によって『悪に抵抗するな』という神がかりの説教......」

 論敵や異見(この場合は無抵抗主義)に対するこうした仮借なき、妥協を許さぬ容赦なき裁断を貫くトーン(それは、トルストイの禁欲主義の非妥協性と奇妙に共鳴し合っている)は、しばしば指摘されるように、レーニンの偉大なヒューマニストとしての側面と表裏をなすある種の資質――革命における武力行使のためらいなき選択、革命後の政権擁護のためのテロや独裁の容認にまでつながっていくものであろう。

 もとより、それらの暴力装置は、思想的にも戦略的にも「一時しのぎの方便」(I・ドイッチャー)であったろうし、レーニンにあってやむをえざる選択であったものを、恐怖政治の骨格にまで組みこんでしまったのは、いうまでもなくスターリニズムの犯罪性であった。かくして、トルストイとレーニンの間に横たわる亀裂は、ロシアの詩人チュッチェフの「ロシアを物差しではかることはできない」との言葉を想起させるような、底知れぬ深淵をのぞかせている。二人の巨人が相対峙し、信念と信念とが、妥協の余地なく火花を散らしている様は、傍人を途方に暮れさすに十分だ。

 ナロードニキに象徴されるロシアのインテリゲンツィアの伝統精神は、歴史の淘汰作用による変容(メタモルフォーゼ)を蒙っているとはいえ、二人にも深い次元で流れ通っていたにちがいない。無告の民への思い入れ、その苦悩への共感、ツァーリズムの圧政や堕落した教会への怒り......魂の奥底より発するそうした心情において、レーニンもトルストイも、互いに遜色があったとは思えない。

 無私の情熱のうながすままに、まっしぐらに民衆への献身的奉仕に身を挺していった点で、トルストイの80余年の生涯に匹敵するものは、皆無に近いといってよいだろう。富や名声、家族の愛情など、およそ地上の幸福の与件とみなされるものすべてを否定し、世界秩序を変えんがため、ひたすら人間の道徳的回心と再生という無抵抗、非暴力の道を驀進する。『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの不朽の名作はもとより、シェークスピアやベートーヴェン等にも、民衆の名のもとに、非難の矛先を収めようとしない愚直さは、その徹して愚直なるが故に、あらゆる訳知り顔の常識的判断を、厳しく拒んでいる。

 と同時に、そうしたひたむきな無私の情熱や、一つの道を思い定めたら、千万人といえども我往かんとの不屈の意志は、たしかにレーニンが体現していたものでもあった。ペレストロイカの進むソ連で、今まで神格化されてきたレーニンの再評価がさまざまな角度からなされているのを私は知っているし、私自身、彼の人間像を、やみくもに理想化するつもりもない。

 しかし、ロシア革命という巨大な変革をもたらす動因となったその人間像の魂部分には、例えば、権力をめぐる「善」と「悪」、「聖徒」と「悪魔」の弁証法のダイナミズムを考察したD・H・ローレンスが「レーニンは聖徒である。彼のうちには骨の髄まで聖徒の血が流れていた」と述べているように、クロムウェルやロベスピエールが体現していたような、一種の禁欲・正義的な革命家特有の、世直しのパトスが秘められていた。煙草も酒もたしなまず、気さくで、音楽、劇場、文学、散策を愛し、庶民そのままの質素な身なりをしていた人なつこい彼が、権力闘争のなかで、そうした人道的精神をかなぐり捨てざるをえなくなっていった過程(この"半面"の真実の分析もローレンスは怠りない)は、優に重厚な心理小説を構成するに足る、深刻なドラマをはらんでいる。

 しかし、本稿の目的は、そこにはない。同じロシアの歴史的現実への同情、怒りに発したトルストイとレーニンという二つの巨大な魂の噴出が、一方は非暴力、他方は暴力と両極端な対応をみせ、互いに歩み寄ろうとする気配さえなく、しかも両者の間に介在するギャップは、生なかな架橋作業などとうてい寄せつけないほど広く、深い問題は、その悲劇性にある。

 その点グラスノスチ(情報公開)下のソ連で著書が出版され始めたと聞く、N・ベルジャーエフの次の言葉は、端的でじつに鋭い。すなわち「聖なるルーシ(ロシアの古名)は常にその裏に獣的なルーシを有していた。ロシアはまるでいつも天使的なものと野獣的なものしか欲せず、人間的なものをみずからのうちに十分目ざめさせなかった」と。

 いうところの「天使的なもの」をトルストイに、「野獣的なもの」をレーニンに短絡させるなど見当外れだし、ベルジャーエフの本音でもない。そうではなく「天使的なもの」と「野獣的なもの」という両極端な現れ方を常とするロシア精神は、トルストイやレーニンのような優れた資質、天稟によってもなお、その両極性、極端性を払拭することができなかった、というよりも彼らが天才的であればあるほど、両極間に横たわるギャップが、抜き差しならぬ深淵として立ち現れてくるという、半ば宿命的な事実こそ留意されるべきである。そこに、人間精神のバランスをとる上で不可欠な"中庸感覚"と縁遠く"矛盾の国""二律背反の国"であるロシアが伝統的に帯びている悲劇的なパラドックスがある、とされるのである。その論旨は、深く傾聴するに値すると思う。

 私は、この辺でロシアを離れ、ベルジャーエフのいう「人間的なもの」という課題を、人間の「自己規律の力」という、ロシア人に限らず人類にとって普遍的な課題に置き換えて論を締めくくってみたい。冒頭の夏目漱石の『行人』の中で「一郎」が、平手打ちをくわせた友人の「H」に「やっぱり怒るじゃないか。ちょっとした事で気分の平均を失うじゃないか落ち付きが転覆するじゃないか」とせまっているのはまさに、事ある時に自らを律しえずして、非暴力などを一言挙げしても、笑止であり絵空事である、との難詰である。けだし、この「自己規律の力」こそ、ともすれば暴力か非暴力がという二者択一、果てしなき、不毛の二律背反に陥りがちなこの問題を弁証法的に止揚し、非暴力を恒久平和への時代精神にまで内実化させゆくキーワードとはいえまいか。

 そして、仏法は、理想的人格としての「仏」が「覚者」とされているように、人間の優れて内面的な自覚と覚醒による自己統御、すなわち「自己規律の力」の発現の方途を、徹底して説き明かしているのである。
 ここでは、その一端として、仏法の根本教理である「縁起」という考え方に簡潔に触れておきたい。「縁」とは結びつき、繋がりを意味し、仏法では、すべての現象が「縁」によって「起」こると説く。人間界であれ自然界であれ、そこに生ずる出来事は、一つとして単独に生じるものはなく、一切は、相互の結びつきの中で起こってくる、としている。
 また、「縁」といえば「順縁」と「逆縁」という立て分けがある。「順縁」とは素直に仏教と縁を結ぶこと、「逆縁」とは、仏教に反対し悪事を働くことが、かえって仏道への縁となることを意味している。これを敷衍して論ずれば、平和友好的な結びつき、対立し反目する敵対的な結びつき――、この二つの関係が、ともに「縁」という共通項でくくられうること、さらに、対立し敵対する他者をも無縁のものとせず、「逆縁」という結びつきの一つの在り方であり発現であると捉えることができる。したがって、対立・敵対といっても恒常的なものではなく、より大きな結びつきに至る途上での"紛争""荊棘"と位置づけられているのである。

 それを象徴的に示しているのが、提婆達多への成仏の約束である。提婆達多は、釈尊のいとこであり、弟子でありながら、反逆し、釈尊の命を狙うなど迫害の限りを尽くした悪人だが、にもかかわらずその「逆縁」によって未来における成仏を約されているのである。したがって仏法では「順縁」=味方、「逆縁」=敵といった対立的思考は、決して生じてこない。ナチズム、やスターリニズムに顕著な、相対立する人間や集団を敵と決めつけ、抹殺し去るような思考方法は、仏法とは原理的に無縁である。対立的思考方法では、人間関係を綾なす「縁」そのものを破壊し、「沐浴の水といっしょくたに、子供まで流してしまう」というドイツの諺そのままの結果をまねいてしまうであろう。したがって、すべてを「善と悪」、「光と闇」、「敵と味方」に二分していくマニ教的二元論のタイプほど、仏法的発想と遠いものはないのである。

 私は、ここに「自己規律の力」の際立って自発的・内発的な発現へのうながしがあると思っている。なぜなら、対立する相手の中にも「悪」と同時に「善」を認め、自らをも「善」にも「悪」にもなりうる存在であることを自覚することのできる自己客観化能力――相手を一方的に「悪」とし、自分を独善的に「善」とする自己絶対化とは対極にあるこの能力は、言葉の真の意味での精神の緊張と充溢(じゅういつ)を必要とするからだ。そうした「自己規律の力」は、ガンジーが「非暴力を行うには、剣士よりはるかに大きな勇気がいる」と述べているように、真実の勇気の異名でもある。

 ゆえに、私はかねてより、仏法を基調に平和・文化・教育を推進しゆく創価学会インタナショナルの社会的役割、使命を、「暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を侵し続ける"力"に対する、内なる生命の深みより発する"精神"の戦いである」と位置付けているのである。

 そうした精神に立脚して、SGI(創価学会インタナショナル)は国連経済社会理事会および広報局のNGO(非政府機関)として世界の平和のため、国連と協力してさまざまな活動を展開している。例えば16か国25都市で開催された「核兵器――現代世界の脅威」展、1989年11月ニューヨークの国連本部で開催されたあと世界各地を巡回している「戦争と平和展」、難民支援のための募金運動......。さらには27か国40大学に達した創価大学と世界の大学との教育・学術交流、民音や東京富士美術館などによる文化・芸術交流等々、それら国家を超えた多岐にわたる活動は、現在、海外115か国(地域)に活躍する126万人のメンバーのネットワークを編み上げようとするものである。

 そうした活動の根底をなすものこそ、「対話」と「相互理解」による精神の戦いである。一滴一滴の水が集まって大河を形成するように、人類総体に平和への自覚を促し、21世紀には必ずや大きな実りをもたらしていくと、私は確信している。

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