1994年1月アーカイブ

尊敬する深セン市人民政府副市長・張鴻義先生、尊敬する深セン大学学長・蔡徳麟先 生、ご列席の諸先生並びに学生の皆さま。「開放中国」をリードしゆく若き知性の学府である、ここ深セン大学におきまして、講演の機会を与えていただき、私 は最大の光栄と思っております。中国正月を前にお休みのところ、このようにご参集くださり、心からの感謝と敬意を表します。

また、こうして若き学生の皆さまとお会いでき、本当にうれしい。青春には「希望」があります。「無限」があります。「詩」があり、「友愛」があります。皆さまの未来は、限りなく広がり、光彩を放っております。

また昨年11月、蔡学長にご来日いただき、貴大学の名誉教授の称号を賜ったことは、私にとりまして、生涯の栄誉となりました。ここに改めて、衷心より御礼 を申し上げます。更にその折、貴大学と創価大学との間に学術交流協定が結ばれました。末永き友好への第一歩をしるしたことを、皆さまとともに喜び合いたい と思います。

私が深センの地を訪れたのは、ちょうど20年前、1974年5月のことでありました。

二十星霜を経て、今再び、この地を訪問し、その輝かしいばかりの大発展、たくましいバイタリティーの躍動に、目を見張る思いがいたしました。

林立する高層建築、近代的に整備された美しい道路、アジア各国から訪れ、快活に街を行き交う人々......。貴国の繁栄と日中両国の友好を願い、行動してきた一人として、心からうれしく感じる次第であります。

さて、旧ソ連、また東欧圏を見舞った大激震によって、世界は、ポスト冷戦といわれる時代を迎えております。しかし"米ソによる平和"という冷戦の枠組みが 取り払われたあと、人類は、どのような平和的な世界システムを構築しようとしているのか、一向に明らかではありません。善悪は別として、ともかくも紛争拡 大の抑止力となってきた超大国の力に代わり、何をもって、続発する地域紛争を防止し、平和へのステップとしていくのでありましょうか。国連といっても、ま だまだ力不足であり、ソマリアPKO(平和維持活動)に見られるように、ややもすると国連の名のもとに、地域紛争の泥沼にはまり込んでいく危険さえありま す。率直にいって、世紀末の今日、数年前の、あの民主化の沸き立つような潮流とは逆に、民族や宗教がらみの、あとを絶たぬ争乱を前に、途方に暮れ、手をこ まねいている人が大多数なのではないでしょうか。

私は、昨年末、東京で国連のガリ事務総長と会談し、国連の未来構想など、種々語り合いました。総長をはじめ、袋小路の国際情勢に突破口を見いださんと努力 されている、多くの人々の労苦の汗を、私は大変尊く思いますし、私どもも民間次元で、できうるかぎり協力、応援してまいりたいと思います。

それと同時に、この世紀末を覆う暗雲のよってきたる根源は、どこにあるのか、というマクロ(巨視)的視点も、おろそかにしてはならないでありましょう。

私が対談したトインビー博士が「究極において歴史を作る水底のゆるやかな動き」と名付けた深い流れに、耳をそばだてていかなければ、21世紀を展望するこ とは不可能だからであります。こうした課題を眼前にするとき、すぐさま私どもの目に飛び込んでくるのは、世界とりわけ欧米先進諸国に顕著な、未来世紀への 海図も羅針盤もなく右往左往する人々の、まことに荒涼たる心象風景ではないでしょうか。

かつて、マックス・ウェーバーは、資本主義の興隆をもたらした宗教的原因を分析した有名な書物の末尾で、ほかならぬその資本主義の爛熟した社会に、傲り高 ぶった「精神のない専門人」(『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』梶山力・大塚久雄訳、岩波文庫)や「心情のない享楽人」(同前)の登場を予 感しつつ、事実そうなるかどうかは「誰にもわからない」と慎重に留保しました。しかし、不幸にも、彼の心配は、杞憂に終わらなかったようであります。

現代社会は、人種問題をはじめ、麻薬、暴力、教育荒廃、家庭崩壊などに苛まれ、いたる所に欲望や本能の地肌をのぞかせてしまっている。そういう現状ではないでしょうか。

数年前、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(渡部昇一訳、三笠書房)が、冷戦終結時というタイミングもあって、世界的な話題を呼びました。

彼は、その中で「歴史の終わり」に登場する「最後の人間」像を、ニーチェの言葉を借りながら、「リベラルな民主主義は『胸郭(=胸部の骨格)のない人 間』、すなわち、『欲望』と『理性』だけでつくられていて『気概』に欠けた人間、長期的な私利私欲の打算を通じてくだらない要求を次々に満たすことにかけ ては目端の利く人間を産み落としたのだ」と述べております。

言うところの「欲望」がウェーバーの言う「享楽人」に、「理性」が「専門人」に通じていることは申すまでもありません。問われているのは、詰まるところ人間なのであります。

現代文明の危機の本質は、まさしく人間が人間であるための条件が揺れ動き、見失われつつあるがゆえの「人間の危機」であり、「人間性の危機」なのであります。

そこで、私は、近年とみに脚光を浴びつつある東アジア、特に中国三千年の歴史に脈々と流れ続けている、独自の「人間主義」の水脈ともいうべきものに目を向 けてみたいのであります。貴国の最近の目覚ましい経済発展は、世界の人々を瞠目させておりますが、私は、その遠因として、この「人間主義」の要因を無視す ることはできないと信じている一人であります。

今から20年近く前、中国学の世界的権威であるイギリスのジョセフ・ニーダム氏は、香港大学の名誉博士号の受章に際して、講演をされました。

その中で博士は、神々の黄昏を迎えている現代にあっては、「超自然的なものの認可によって支持されることの一切なかったところの、ひとつの倫理的な考え 方、ひとつの倫理的モデル」(『理解の鋳型――東西の思想経験』井上英明訳、法政大学出版局)が追求されるべきであるとして、その点、「中国文化には世界 に通じる非常に貴重な贈り物がある」と喝破しております。

「超自然的なもの」の代表格は、いうまでもなくキリスト教の神であります。欧米社会における倫理的な考え方やモデルは、本来「超自然的なもの」の認可や支 持、つまり神との約束事のうえに成り立ってまいりました。倫理とは、人間同士の約束事である前に、神の僕である一人の人間が、神との間にかわす約束事で あったのであります。

例えば、フランクリンに有名な13の徳目――「節制」「沈黙」「規律」「決断」「倹約」「勤勉」「誠実」「正義」「適度」「清潔」「落ち着き」「貞節」 「謙遜」があります。それらは、ギリシャ哲学やキリスト教思想を背景にしているとはいえ、多くの点で、東洋の伝統的な美徳とも共鳴し合う普遍性をもってお ります。

儒学でいう「仁・義・礼・智・信」に比べても異質のものではありませんし、明治時代の日本で、フランクリンが、福沢諭吉をはじめ各界各層の実に多彩な人々から、理想的人間像として熱烈に受け入れられてきたことをみても明らかでありましょう。

とはいえ、彼我を隔てる重要な一点は、「神との約束」の有無であります。

13の徳目は、アメリカ資本主義の勃興期のエートス(道徳的気風)を典型的に体現したものですが、それを支えていたのは、禁欲に徹し富を蓄えることが、神の心にかない、神の栄光の証になるのだという信仰であります。

確かに、その信仰は、フランクリンなど自制心と博愛の情に富んだ、多くの魅力ある人間群像を生み出しました。しかし、それから百年、二百年を経過し、神へ の信仰が徐々に薄れてくるにつれ、それとセットになっていた人間の徳目も色あせてこざるを得なくなったのであります。その結果、到来した、モラルなき産業 社会の実情は、先にフクヤマの「最後の人間」に垣間見たとおりであります。

だからこそ、時代は、神など「超自然的なもの」の認可や支持などをあてにしない、人間性に即した倫理規範を要請しているのであります。


世紀の光源=人間主義的モラル

そこで、私は、貴大学のモットーである、「自立」「自律」「自強」に着目したいのであります。

自ら立ち、自ら律し、自分の意志を強くもって勉める――そこに志向されているものは、将来、中国を担って立つ、強靭にして屹立した人格の一人一人に、との 気概でありましょう。しかし、そこでいう「自」とは「自分」「自己」「自身」などと造語されているとはいえ、欧米の伝統に根強い「個」とは、かなり違うよ うであります。

「個」が、分割不可能な最小単位としての孤立した個人を意味するのに対し、「自」という文字は、決して一人に限定されない、自在な深まりと広がりを帯びている。

宋代、明代の中国思想史に通じた、コロンビア大学のドバリー教授は、「自然」「自得」「自任」などの言葉を考察しつつ、「彼らの議論の中に頻出する『自』 を伴った複合語を採集することによって、新儒学の倫理学用語辞典を作ることも可能」(『朱子学と自由の伝統』山口久和訳、平凡社選書)と感嘆しているほど であります。

辞典を編みうるほどに絢爛そして多彩な倫理模様を織り成す背後には、中国伝統の骨太の人間観が横たわっているように思われます。

申すまでもなく、漢字の「人」は、人間と人間とが互いに支え合っている様を示しており、中国思想の最大のキー・ワードである、「仁」も「人」と「二」から 構成され、「人」が互いに向き合い、意を通じ合い、愛し合うことを意味している。すなわち、一人きりの人間というものはあり得ない。

人間は互いに繋がり合って一個の有機体を成し、しかもその繋がりは、人間の世界にとどまらず、自然界や宇宙へと広がり、万物が渾然一体となった有機的全体 像を構成している――要約していえば、これが、宋代朱子学などに色濃く体現されている、中国伝統の人間観、自然観であると思うのであります。

それはまた、人間や事物の個別観よりも、関係性や相互依存性を重んずる、仏教の「縁起観」とも深く通じ合っていることを申し添えておきたい。

蔡学長は、「東西文化交流と21世紀」と題する論文の中で、こうした深き哲学性に基づく東洋文化の復興が、国際関係を更なる協調へリードしゆくことを予見されております。私も、この希望を共有する一人であります。

かくして、有機的人間観にあっては、森羅万象ことごとく人間に無関係なものはない。すべては、人間いかに生くべきか、との問いに即して位置を与えられている。いうなれば、人間主義に基づく"等身大"の思考方法であります。

すなわち、"人間のための科学""人間のための政治、経済、イデオロギー"というように、常に人間という原点に立ち返り、"等身大"の寸法に合わせて、あ らゆる事象の意味、善悪、過不足が検証されていく立場といってよいでありましょう。こうした人間主義は、東洋的発想全般に見られますが、中国思想は、その 典型であります。

孫文という人は、その人間主義の最も良質なセンスの持ち主ではなかったかと思われます。『三民主義』のなかに、「自由」に関するユニークな考察があります。

「こんにち、この自由という言葉はけっきょくどういうふうに使わねばならないのか。もし個人に使うならば、ひとにぎりのバラバラな砂となってしまう」(『三民主義』安藤彦太郎訳、岩波文庫)

迂闊に読むと、まるで権力志向の国家主義者が発言しているようにも思いかねません。しかし、このくだりは「民権」を論ずるなかに出てくる、まぎれもない自 由主義者の発言であります。ただ、孫文にとっての自由とは、書物や観念のなかにあるのではなく、民衆の生活意識、生活実感という現実のなかにのみ脈打つも のであった。

従って、抽象的、画一的にすべてに適用される自由などは絵空事であり、それを無理に現実に押しつけようとすると、早晩、適応異常を起こして、"等身大"の 寸法を大きく逸脱してしまうだろう、と見ていたのであります。とまれ、自由の実像というものは、生きた現実のなかに探り当て、築き上げていく以外にないの であります。

孫文が、「ある目標をたててみんなに奮闘させるには、人民が痛切に皮膚に感じているものでなくてはならない」(同前)と述べているように、人間の現実と は、民衆の生活実感の異名であり、そこから切り離されてしまえば、「人間のための自由」ではなく、「自由のための人間」という本末転倒に陥ってしまうから であります。


「社会主義市場経済」は人類史的実験

中国の人々の、こうした現実感覚を特徴づけているのは、論理的に矛盾しているように見えるものでも、即座に排斥しあうのではなく、矛盾や不条理が様々に交 錯している人間社会の全体像のなかへ大きく抱え込み、実践を通して、より良き選択肢を模索していく、柔軟かつ懐の深い人間主義的発想だと思うのでありま す。換言すれば、二者択一の部分観ではなく、中国伝統の大同思想にも通底した、止揚合一の全体観であります。自由という言葉の鼓動をば、書物の中ではな く、刻々と変化しゆく現実のなかに聞き取っていた孫文の自由観は、まさしくこの全体観に発していたのではないでしょうか。

こうした発想は、現在、貴国が選択している"社会主義市場経済"にも巧まずして反映されているように、私には思えてなりません。一昨年の秋、この体制が採用されて以来、内外で様々な議論がなされました。

確かに一面から見れば、計画経済を本領とする社会主義と、資本主義の揺籃であった市場経済を結びつけることは、木に竹を継ぐような無理難題に見えるかもし れません。事実、そうしたシニカル(冷笑的)な議論も数多くありました。しかし、私は、速断や短見は慎むべきであると思っております。政治や経済から次元 を転じて、物事を止揚合一の全体観で捉える人間主義の光を当ててみると、"社会主義市場経済"も、よほど異なった相貌を呈してくるはずだからであります。

鄧小平閣下は、株式や証券などの市場的要素の導入について、かの『南方講話』の中で、ざっくばらんに語っています。「許可して、断固として実践してみよ。 正しかったら、一、二年やって正しかったら自由化しよう。正しくなかったら、是正し、やめるまでのことだ。やめるのも、すぐやめてもよいし、ゆっくりやめ てもよいし、尻尾を残しておいてもよい。何を恐れるのか。この態度を堅持すれば、どうということはない。大きな誤りを犯すはずはない」と。

まことに柔軟かつ懐の深い対応の仕方と言い得ましょう。私も、第2次並びに第3次訪中の折、鄧小平閣下と2回にわたり対話を重ね、中国の「発展」と「繁栄」への展望をうかがいました。そのことを鮮明に覚えております。

"等身大"の物差しを自在に使いながら、"社会主義市場経済"の適否を判断し、調整を加えていく方法は、経済に人間が翻弄されることなく、あくまで"人間 のための経済"を貫こうという、優れて人間主義的な発想であります。そうした慎重な方法は、市場経済にしても一挙に導入しようとせず、深センなどの特区を 試験的に先行させ、その成否を見極めながら徐々に改革を進めていく漸進主義的手法にも、はっきりと、うかがい知ることができます。

そうであるならば、"社会主義市場経済"という、一見、奇異に思える取り合わせも、多くの困難を抱えた中国が、試行錯誤を繰り返しながら、なおかつ、歴史 の淘汰作用によるマイナスを最小限にとどめ、社会の安定と成長を図っていくための、ぎりぎりの選択であったにちがいないと思っております。

人口や版図など貴国の巨大さを考えれば、それは、掛け値なしに21世紀の命運を左右する人類史的実験であります。世界は固唾を飲んでその動向を見守っておりますし、私も古い友人の一人として、成功を祈らずにはおられません。

結局、一切は人間に始まり、人間に帰着します。経済にしても、例えば儒学の"徳本財末論"の良き伝統が示すような"等身大"のコントロールが働いていかなければ、世界に蔓延する世紀末病ともいうべき拝金主義の風潮を助長させるだけでありましょう。

ニーダム氏が「倫理的な考え方」「倫理的モデル」(前掲『理解の鋳型』)と言うとき、そうした風潮へのアンチ・テーゼ(反対の思潮)を強く期待しておりました。

また、トインビー博士が「中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っている」と言うとき、貴国の歴史が蓄えてきた人間主義的モラルの力を、はっきりと予想していたのであります。

今、中国の経済発展の最先端をいく深センの地で、「自ら立ち」「自ら律し」「自ら強め」ながら、21世紀へと鳳のごとく飛翔しゆく皆さま方の目指すもの は、必ずやニーダム博士やトインビー博士の思い描いていたそれとピタリと符合する、「人間主義」の限りなき地平であろうことを私は信じてやみません。

終わりに、敬愛する皆さま方への私の心情を、貴国の大詩人である白居易の詩の一節に託し、私の話とさせていただきます。

「賢に交わることまさに汲汲として直を友としてつねに偲偲たり」(良き友との交流に全力を尽くし、正直な人を友として、つねに励ましあう)

ご清聴、ありがとうございました。シェーシェー。
世界NGOサミット開催を

 昨年末、来日した国連のガリ事務総長にお会いした際にも、私は「国連アジア本部」の提唱を伝えました。明年は国連が創設されて五十周年を迎えます。ガリ 事務総長からも、五十周年への協力を要請されました。私どももNGOとしてできる限りの協力をしたいと考えております。今のところ国連本部のあるアメリカ を中心に五十周年の佳節を祝し、民衆の意識を盛り上げる意味で幾つもの企画を立てております。

 アメリカSGIは、国連発祥の地・サンフランシスコで「記念文化祭」、ニューヨークで「国連ルネサンス会議」、フィラデルフィアで「世界民族文化展」、 フロリダで国連「世界子どもの日」参加のフェスティバルなどを計画しております。更にアメリカSGI青年平和会議では、五十周年を目標としながら国連への 具体的な支援、国連改革の在り方を検討し、提言としてまとめていく予定であります。

 周知のように、国連は、第二次世界大戦の戦勝国・米、英、仏、ソ、中の五カ国の意向を中心に創設されました。以来五十年近く経過し、国際情勢も当時とは 全く異なり、加盟国が激増した中で国連のシステム、役割が抜本的に見直されねばならない時期を迎えております。その改革の最大のチャンスが五十周年である ことは間違いありません。

 その意味でこれからの一年はとりわけ大事な期間となります。多くの英知を結集しながら、冷戦後の新しい時代にマッチした国際機関として、真の意味での国連ルネサンスを成し遂(と)げねばなりません。

 私は昨年、米国のボストンを訪問した際、創価学会インタナショナルの平和貢献のための一つの拠点として、現地に「ボストン二十一世紀センター」を創設い たしました。周知のようにボストンは世界的な学術・知的分野を担う一大センターであります。私は、ボストン二十一世紀センターに、二十一世紀に貢献するさ まざまな英知の発信所になることを期待しております。

 国際的な英知の人々の力も借りながら、徐々にセンターの体制を整え、グローバルな諸問題への提言もしていってはどうかと考えております。その一つの試みとして、二十一世紀センターが専門家の協力を仰ぎながら、国連五十周年を目指し、国連改革の提案をまとめてはどうか。

 ガリ事務総長にお会いした際、私は、「国連アジア本部」構想とともに、国連がもっとNGOの力を最大限に生かす方法を考えるべきだと申し上げました。こ れには事務総長も全面的な賛意を示してくれました。国連が、人類、民衆の代表の集まりという側面を強めていくために、五十周年を記念して「世界NGOサ ミット」あるいは「世界NGO総会」を、新たな発想で開催していくとの提案であります。

 「民衆の声が届く国連」「民衆の声を生かす国連」こそが国連改革の基盤だというのが、私の基本的発想であります。その意味で主権国家の枠を超えたグローバルな立場に立って、ボストン二十一世紀センターはNGOの視座から国連改革の提案をまとめてほしいと思います。

平和憲法生かす国際貢献

 現実の国連改革の動きの焦点は安保理事会の改革になっております。すなわち安保理事会の理事国を増やし、構成を変更するための改革の検討が、昨年九月か らの第四十八回国連総会でスタートしております。これに関連し、私は、日本の国際貢献の在り方、特に国連へのコミット(関与)の在り方について触れておき たい。

 このたび、旧ユーゴスラビア問題担当の国連事務総長特別代表に明石康氏が就任しました。解決の展望が開けない非常に困難な職務にあえて挑戦された氏の決 意に、同じ日本人の一人として私は強い共感を覚えます。厳しい寒さの中で食べるものさえない人々の惨状が伝えられる中で、国連の努力が実り、一日も早く平 和が戻ることを願ってやみません。

 しかしながら日本社会および日本人の旧ユーゴ内戦への関心はまだまだ薄いのではないでしょうか。もちろん日本が紛争地域から地理的に離れているという理 由もあるでしょうが、問題なのは国際平和秩序の構築に積極的に参加しようとの意識が、まだ日本人の中に成熟していないように見える点です。

 こうした無関心、消極性の背景として、いわゆる「一国平和主義」として批判される日本人の心情があるように思われます。私は、日本人さえ無事であればそ れでよい、日本さえ繁栄していればそれで満足というような利己的で受け身の発想は改められねばならないと主張してまいりました。

 これまで経済的に世界と深くかかわり、その世界貿易の中で繁栄の道を歩み大国化した日本が、「一国平和主義」的いき方をとろうとしても所詮(しょせん)不可能であります。それは世界から孤立する道以外の何ものでもないからです。

 一九九〇年に勃発(ぼっぱつ)した湾岸戦争下での国際貢献を巡る問題は、日本社会全体を大きく揺さぶりました。これを機に平和憲法の理念の下で、どのよ うな国際貢献が可能なのか論議を深めるべきでしたが、十分それを成し得なかったのは誠に残念なことといわざるをえません。

 冷戦が終結し、新たな共生の秩序が模索される中で、日本の役割は、ますます重みを増していると思います。日本が平和憲法に適(かな)った形での明確な国際貢献の構想を持たねばならない時期を迎えていると思います。

 そこで重要になってくるのが、国連へのコミットの仕方であり、現在、国連改革の焦点になっている安保理改革、特に日本の常任理事国入りの問題でありま す。日本の国際社会に占める地位を考えれば、やはり日本はこの問題を避けて通ることはできません。今日、国際社会の日本を見る眼は、「期待」というより も、国力にふさわしい「責任」を果たすことを求めているからであります。

 結論的に言えば、日本は国連安保理の中で、日本独自の役割を、より積極的に果たしていく方向を選択すべきだと思います。何よりもそれが平和憲法の戦後史 に刻んできた意義を前向きに生かす道でもあるからです。戦後、平和憲法を保持し、核兵器を持たない経済大国として、軍縮、核廃絶を掲げて世界の平和に貢献 してきた日本の行動を否定する者はおりません。

 日本の平和憲法と国連憲章とは戦争を違法とみなし、「国際協調主義」を掲げる点で、同じ出自(しゅつじ)を持っているといえましょう。平和憲法の精神を世界化しようとすれば、当然、日本は国連の中で積極的な活動をしなければなりません。

 ただし、日本が安保理常任理事国になった場合、留意しなければならない点があります。それは平和憲法との兼ね合いで、国連の軍事的行動に日本がどう対処していくか、その基本的な姿勢を考えておかねばならないということであります。


国連システムを効率的に連動

 このところ国連は単なる平和維持機能から一歩踏み出し、武力行使を認める平和執行機能の強化を目指しているように思えます。冷戦終結後、国連の平和維持 に果たす役割への期待が高まり、国連がそれに積極的に応えようとの意欲は高く評価されましょう。しかし、国連がそれだけの力と体制をまだ持っていないの に、へたをすれば紛争の当事者になりかねない方向に踏み出すのは、よほど慎重を期さなければならないと思います。

 国連のガリ事務総長は、先日の安保理への報告書で、PKO史上初の「平和執行部隊」である第二次国連ソマリア活動について、国連部隊の武力行使による強 制的な武装解除を断念し、人道援助物資の補給路の護衛活動などに重点を置いた従来型PKOに任務を転換するよう勧告しました。性急な武力行使が必ずしも有 効でないことを証明する一例といえましょう。

 ソマリアの一例をもってして、今後の国連のPKOの在り方すべてを判断するわけにはまいりません。これからも国連は、さまざまな事態に臨機応変に対処し ていかねばならないからです。しかし、その場合も、「軍事力」をハード・パワーとすれば、国連の原点はあくまでも各国を協調させ、行動を調和させるという ソフト・パワーにあることを忘れてはなりません。

 したがって、国連がやむを得ざる選択として一定の軍事的な措置を取らざるを得ない場合も、それはあくまでも「必要悪」としてのものであるとの認識がなければなりません。あえていえば、武力行使に対する抑制心があるかないかということであります。

 ガリ事務総長は、私との会見の中で愛読書について、少年時代はナポレオンとアレキサンダー、長じてはガンジーとトインビーを尊敬している、と語っておら れました。この一事からも、武力行使を余儀なくされる場合はあっても、国連の本質は、システムとしてのソフト・パワーにあることを事務総長は十分わきまえ ていることが推察されるのであります。

 日本が安保理常任理事国になれば、当然、最小限の軍事的なコミットも考慮しなければならなくなりますが、その場合も平和憲法を持つ日本の行動、発言はそれなりの重みを持ってくるはずです。

 現在の安保理は大国主導型とか容易に武力行使に傾きがちというような批判がなされております。こうしたなかで私が期待したいのは、日本が安保理の常任理 事国に加わることにより、中小国の意向も反映させた、よりバランスのとれた選択が可能になることであります。日本が大国の横暴を抑える、いい意味での「抑 制力」としての力を発揮することです。これは国連自体の正当性を高めることにもつながると思います。

経済社会理事会の強化望む

 ガリ国連事務総長は、細川首相との会談で日本の常任理事国入りの問題に触れ「PKOの要員派遣は常任理事国入りの条件ではない。PKOの財政負担はすべ ての加盟国一律の義務だが、PKO参加の義務は存在しない」と述べ、日本は人道支援や経済・社会開発の分野で積極的に貢献すべきだとの意向を示しました。 私は、これは事務総長の率直な期待の表明であり、大事な視点を提示されたと感じました。

 さまざまな要因がからんで、現在、紛争が各地で多発しております。現状は紛争が深刻化してから国連が動き出す形になっていますが、そうならないように未然に食い止める予防措置を、国連としてどうとっていくかも大きな課題といえましょう。

 紛争の背後には貧困、飢餓、抑圧、差別など社会の政治的、経済的、文化的構造の問題がからんでいるといわれております。特に経済的問題が解決すれば、か なりの紛争が解決すると見られています。こうした紛争の根本的原因を無視して、軍事に偏った解決策をとっても真の解決にはなりません。それぞれの地域が抱 える社会的問題をどう解決し、地球全体として人々の生活を向上させ安定させていくかは、むしろ経済社会理事会の課題であります。

 したがって、そこで必要になるのが安保理事会と経済社会理事会との緊密な連係プレーではないでしょうか。執行権を持つ強力な安保理事会に比べて、経済社 会理事会は強制措置を取る権限を持たない弱い機関といわれております。その重要な使命からいっても、経済社会理事会の強化は重要な国連改革のポイントだと 思われます。今後は、国連本部内の、そして国連システムの効率的な連動をいかに成し遂げるかが課題だと思えてなりません。

 日本が安保理の常任理事国になって、こうした方向へ向かう調整役としての力を発揮していけば、大きな国際貢献といえましょう。

青少年問題への視座――全人間的触発が不可欠

 さて、かれこれ二十年ほど前、私は「国連を守る世界市民の会」のようなものが可能かどうか、淡い構想として世に問うたことがあります。その具体化には、 まだまだ道遠し、の感がありますが、いずれにせよ、一国、一民族の枠を超えた世界的視野に立った人材をどう育成、輩出していくかは、長期的観点から見た国 連活性化の、いわば生命線であるといってよい。

 そして、その課題を直視する時、現状は決して楽観を許さないのであります。特に、二十一世紀を彼らに託す以外にない青少年の眼が、明るく未来と世界に向 いているかといえば、とうていそうはいえない。私がここで若干角度を変えて、昨今の、特に先進諸国における青少年問題に触れざるを得ないゆえんも、そこに あります。とりわけ本年は国連の定めた「国際家族年」に当たっており、この関連でも青少年問題は極めて今日的な課題といえましょう。

 "子供は社会の鏡"といわれるように、青少年の心は、だれよりも時代の動向を鋭くキャッチし、反応します。その点からいっても、旧ソ連・東欧の社会主義 国の崩壊のもつ意味は大きい。大まかにいって、ロシア革命からソ連邦の崩壊に至る二十世紀の大半の時期、何といっても社会主義は、人類史の理想としての位 置をほぼ占有し続けてきたといっても過言ではないでしょう。

 先進国と発展途上国、洋の東西などのニュアンスの相違こそあれ、いわゆる"赤い三〇年代"といわれる一九三〇年代を中心に、社会主義は、歴史の進歩・発 展を指し示す指標として、悪と不正を許さぬ多くの心ある人々、特に理想に燃える若い人たちの心をとらえ続けてきました。そうした趨勢(すうせい)が、よう やく色あせ始めたのは、今世紀最後の四半世紀になってからでしょう。

 雪崩(なだれ)をうつような旧ソ連・東欧圏の崩壊は、その衰退傾向にとどめを刺すものでありました。以来、青年らしい若々しいエネルギーの噴出、かつて "インターナショナル"を誇らかに高唱していた不屈で献身的で、理想に目を輝かせた青年群像を、世界史の表舞台で目にすることは、ほとんどなくなったかの ようです。

 "約束の地"が、虹かかるユートピアとはほど遠い、抑圧と隷属の荒蕪(こうぶ)の世界でしかなかったことを知らされた青年たちが、混迷を極める価値観の 渦潮に翻弄(ほんろう)されつつ、頼るは金銭のみ、といった拝金主義の風潮に流されていくことは、一面無理からぬことともいえます。

 冷戦の勝者といわれる自由主義諸国にしても、例外ではありません。社会のいたる所でおよそ勝者の栄光には似つかわしくない荒れ果てた地肌をさらけだしているのであります。青少年の非行や犯罪の増加は、その象徴的事例といってよい。

 今後を憂い、警鐘を鳴らす人は枚挙にいとまがありませんが、例えば、ボストン大学のジョン・シルバー学長は、「最大の脅威は私たちの国の内部に、そして私たち一人ひとりの内に存在するのである」として、こう述べております。

 「私たちは、不行跡の紛(まぎ)れもない痕跡を帯びている。わがままの限りを尽くしてきたことのツケが回ってきたのである。気楽で豊かな生活のなかで身 につけた習慣のために、私たちは最悪の状態ではないとしても、最良からはほど遠い生き方をしている。私たち自身と私たちの子孫の幸福のためには不可欠のこ となのに、自制と無私を要求される決断と、できれば避けてしまいたいような決定を下す能力が、私たちには欠けているようだ。自制能力が欠如している証拠 は、個人の生活のなかだけでなく、社会のあらゆる側面にはっきり表れている」(『何がアメリカを衰退させたか』鵜川昇監訳、イーストプレス)と。

 これは、とりたてて目新しい主張ではなく、たまたま手元の一冊から引いた、いわば常識であります。ルソーの古典的名言に「あなた方は、子供を不幸にする いちばん確実な方法は何であるかご存じだろうか。それは、何でも手に入れるという習慣を子供につけることだ」(「エミール」戸部松実訳、中央公論社)とあ るように、わがままの是正は、良き習慣の第一歩であり、逆に自制なき自由が放恣(ほうし)に至り、不幸と混乱、ひいては圧制さえ招きよせてしまうことは、 古今の道理であります。

 ただ、一番の問題は、そうした常識や道理が、そのまま無条件で、若い人たちの心に受け入れられにくくなっている現状にあります。シルバー学長は、快楽主 義や物質主義への不満がアメリカ国民に広がりつつあることに、時流転換への希望を見いだしていますが、その営為、努力を尊びつつも、ことはそれほど単純で はないと思われます。

 なぜなら、そこで問い直されているのが、近代文明の推進力となってきた原理そのものであるからです。申すまでもなく近代文明は、利便と効率を進歩・発展 のための第一義とし、ひたすら快楽のみを追い続ける抜き難い、ある意味では抗し難い習性をもっていました。それが、至上の価値観を成してきました。

 したがって、世紀末を覆う物質主義、快楽主義、拝金主義といった暗雲は、人間の欲望に手綱をつけることを忘れた近代文明の、半ば必然的帰結であったと いってよい。しかも、産業社会の進展がもたらした都市化、情報化の大波は、従来の青少年教育の大切な場であった家庭や学校、地域共同体などを飲みつくし、 従来、躾(しつけ)と呼ばれてきたそれらの持つ教育的機能を、著しく限定的なものにしてしまいました。

 そうしたなかにあって、旧来の常識や道理をそのまま説くことがいかに困難であり、下手をするとパロディーの材料にさえされかねないということは、教育現場(広義の)にたずさわっている人々が、一番、身にしみて感じておられることと思います。

 青少年に、物質主義や快楽主義、拝金主義といった近代文明の"負"の側面を強調するだけでは、おそらく十分ではなく、それらにかわる新たな規範や価値 観、欲望を制御し、自らを律し切る人格形成のあるべき姿を提示しなければならない。その信念に支えられた自制であり、自律でなければ、手応えある説得力を 持ち得ないでしょうし、世界市民のエートス(道徳的気風)など望みうべくもないのであります。

ソクラテスの生き方から

 往昔(おうせき)、時流のカオスの真っただ中に身をおき、その難事業に果敢に挑戦したのが、"人類の教師"であり、不滅の青年教育の大家であったソクラ テスであります。当時、アテナイの民主政治の衰退期にあって、そうした時期特有の価値観の混乱が、青少年の心に暗い影を落としていたことは間違いない。プ ラトンの『対話編』すべては、その証左であるともいえます。そして、迷い、寄る辺なき時流に押し流され続ける若き魂の教導を一手に受けて、富と名声をほし いままにしていたのが、プロタゴラス、ゴルギアス、プロディコス、ヒッピアス等の、いわゆるソフィストと呼ばれる人々であった。

 その教導がどのようなものであったのかを典型的に示しているのが、クセノフォーンの『ソークラテースの思い出』(佐々木理訳、岩波文庫)に出てくる、プ ロディコスが語るところの"ヘラクレスの試練"であります。古今東西に共通する道徳教育の教科書的なパターンを示しているので、少々長文ですが、引用して みたい。

 ――ヘラクレスが、少年から青年になろうとしている時、自分の前にある二つの道のどちらへ行こうか迷っていた。すると彼の前へ二人の婦人が現れた。「一 人は容貌端麗に高貴の風があり、自(おの)ずとそなわる飾りとして身体には清らかさ、眼には羞(はじ)らい、容姿にはつつしみがあふれて、純白の衣によそ おわれていた」「いま一人はふっくりと柔らかな肉附きにふとり、顔は生地の色をなお白く、なお紅く見せるように化粧し、姿は生れつきよりも高く見えるよう につくり......」と。いうまでもなく、前者が美徳へ、後者が悪徳へと、ヘラクレスを誘うのであります。

 悪徳への誘いは、ルソーのいう「子供を不幸にするいちばん確実な方法」そのままですので割愛し、ヘラクレスに美徳を説く婦人が「真実をありのままに語ろ う」と力説するのは神々の恩寵(おんちょう)であれ、友人の信愛であれ、他の都市からの尊敬であれ、あるいは五穀の実りであれ、「世の中の善にして美なる 物のいずれの一つも、神々はこれを人間に労せず努めずしてお与えにはならぬ」(同前)ということであります。

 これは、ルソーどころか、孔孟流の儒教道徳にも通底している青少年教育の古典的パターンであります。そして、何人(なんぴと)も首肯(しゅこう)せざる をえない道理であり、常識であり、正論でもありましょう。「世の中の善にして美なる物のいずれの一つも」「労せず努めずして」得られないという自覚の欠落 こそ、まさにシルバー学長の痛嘆(つうたん)と軌(き)を一にしているところであります。

 先にも触れたように、問題は、現在、私どもが直面している社会状況が、そうした正論をそのまま説いて通用するような段階、つまり、例えば道徳教育の時間を増やすといった対応で事足れりとしておられるような生易しい段階にはない、ということであります。

 ちなみに最近、日本人の品格を論じたお茶の水女子大学教授・藤原正彦氏の文章を興味深く読みました。自らの体験を踏まえ、氏は、英国の騎士道や紳士道に 比せられる日本の武士道に注目。かつては欧米の人々を魅了した日本人の品格の回復のために、武士道の見直しの必要性を痛感しつつ、新渡戸稲造の名著『武士 道』を大学一年生に読ませてみたところ、若者たちの拒絶反応の強さは想像以上であったようです。

 いわく「欧米型個人主義の洗礼を受けた彼等にとって、忠義、孝行、家族的自覚などは噴飯(ふんぱん)ものに過ぎず、最近の実利優先の風潮の中では、名誉や恥は第二義的なものでしかなかった。名誉が生命の上位にくるなどということは、ナンセンスと憤慨する者さえいた」と。

 こうした風潮の支配下で、価値あるものは「労せず努めずして」得られるものではないということを青年に納得させるのは、恐ろしく困難な業(わざ)でしょ う。まして近代文明の価値基準が利便と効率、快楽にあり、かくいう大人たちこそ、その風潮にどっぷりとつかってきたのですから、古典的な道徳観が、そのま ま通用するはずもないのであります。それと知らずして、ある種の高みから賢(さか)しらな説教をしようとしても、若者たちのしらけと拒絶反応を招いてしま うだけでしょう。

 もとより、安易な比較は禁物ですが、アテナイでその名をうたわれていたソフィストたちも、どこか後進を高みから睥睨(へいげい)しているような、賢しら な知りたげ風があったにちがいない。プラトンが活写しているように「人間は万物の尺度である」で知られるプロタゴラスのような人でさえ、その臭味から決し て無縁ではなかった。

 その点を鋭く突いたのが、ソクラテスであります。青少年の徳育をあつかった対話編「プロタゴラス」や「メノン」を、一読してすぐ気づくことは、そのほと んど全てを占めているのが「何が徳であるか」ではなく「何が徳でないか」の吟味(ぎんみ)であります。勇気にしろ節制にしろ、正義にしろ敬虔(けいけん) にしろ、プロディコスが"ヘラクレスの試練"で説いたような既成の徳目は、どれ一つとしてソクラテスの吟味の刃を逃れることはできない。

 問答の詰まるところ、全ての徳目はその根拠を突き崩され、果たして徳育というものが可能かどうかという問いに帰着してしまうのであります。「――私たち は以上の議論ののちに、さらに徳とは何であるかという問題にも向かって行って、そのうえであらためて、それが教えられうるか否かを考え直してみたらと思う のです」(「プロタゴラス」藤沢令夫訳、筑摩書房)「これ(徳)についてほんとうに確かな事柄は、いかにして徳が人間にそなわるようになるかということよ りも先に、徳それ自体はそもそも何であるかという問題を手がけてこそ、はじめてわれわれは知ることができるだろう」(「メノン」、同)と。

 私は、現代社会にあって古色蒼然(そうぜん)たる惨めな姿をさらしている徳目も、徹底してこうしたソクラテス的吟味にかけられ、その溶鉱炉を通して鋳造 され直さなければ、新たな倫理規範としてよみがえってはこないだろう、と思っております。それを怠って、いくら躍起になって訓戒をたれても、若い人たちの 戸惑いや拒絶反応はいっこうに改まらず世代間の断層を広げるばかりでありましょう。

 ところで、ソクラテスにあって、徳とは何であったか、徳育は可能であったのか否かという課題は、哲学的には「イデア論」や「ミュートス」(神話)に連なる微妙な問題をはらんでいます。

 その点はさしおいて、教育的観点から最も大切なことは、「何が徳でないか」を検証するソクラテスの弁論の方が、「何が徳であるか」を主張するソフィスト の弁論よりも、はるかに説得力があり、青年たちの心をとらえて離さなかったという事実であります。それは、影響力を恐れた権力者たちが、彼の口を封ずるた めに、死をもってのぞまなければならなかったという一事からも明らかであります。

世界市民の精神的基盤――-SGI運動の人間教育的側面

 その希有(けう)な説得力、影響力の由来はどこにあったのか。それは、ソクラテスが、だれよりも鋭敏に時代を呼吸し、だれよりも鋭く、深く時代を凝視し、だれにもまして強く、一身を賭(と)して時代を生き抜いていたからであります。

 そうした魅力ある生き方、人間像の放射する磁気が、青年たちの若々しい感受性に伝わらない訳はない。魂の奥底では、真剣には真剣をもって、本気には本気 をもって応えていくことこそ、いつの時代においても変わらぬ、若さというものの真面目(しんめんもく)であり、特権であるからであります。

 ソクラテスの影響力を、触れる者をだれでもしびれさせてしまう「シビレエイ」に擬するメノンに対し、ソクラテスはいいます。「もしそのシビレエイが、自 分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう」(「メノン」)と。

 自らしびれているからこそ、他人をしびれさせる――これこそ、人間教育、徳育を成り立たしむる鉄則であり、いってみれば千古不磨の"黄金律"であると私 は信じております。そこには、教える者が学ぶ者を高みから睥睨(へいげい)する風など少しもない。徹底して平等で公正な目線が保たれています。そこから響 いてくるのは、一個の人格と人格とが、全人間的に触れ合い、打ち合う入魂と和気の共鳴和音であります。

 そこに形成される信頼の"かたち"こそ、古来"徳"と呼ばれてきたものであります。思うに、非行や犯罪の増加など現代の青少年問題の遠因、根因は、こう した全人間的な触発が欠落している点に求められるのではないでしょうか。少なくとも、その点をはっきりと見すえずして、さまざまな"対症療法"も、十分な 効果を発揮し得ないのではないでしょうか。

 その意味からも、私は、私どもの進めているSGI運動の意義を強調しておきたい。なぜなら「シビレエイ」の譬(たと)えは、まさしく大乗仏教の精髄であ る「同苦」の精神――「一切衆生の異の苦を受くるは悉(ことごと)く是(こ)れ如来(にょらい)一人の苦」(涅槃<ねはん>経)、「一切衆生病むが故に我 病む」(維摩<ゆいま>経)等――へと、まっすぐに通じているからであります。ここに、SGI運動の優れて人間教育的側面があり、その深みに棹(さお)さ しているからこそ、私どもは「歴史をつくるは この船たしか」と胸を張って、人類史の大道を歩んでいるのであります。

 モンテーニュは「ソクラテスは、おまえはどこの人かとたずねられて、『アテナイの人だ』と答えずに、『世界の人だ』と答えました。彼は普通以上に充実し た広い思想の持主でしたから、全世界を自分の町と考え、自分の知人や、交際や、愛情を全人類に向かって拡げていたのです」(「エセー」原二郎訳、筑摩書 房)と述べております。

 SGI運動が目指すものも、そうした世界市民のエートス以外の何ものでもありません。ソクラテスにあってそうであったように、そこでは、勇気や克己、献身、正義、愛、友情等の徳目も、現代の色あせた姿を一新して、人々の胸に生き生きと脈動していくことでしょう。

 ゆえに、私は、以前(九〇年)の「SGIの日提言」で「宗教の名に値する宗教である限り、ということは、今、人類史の要請に応えうる宗教である限り、世 界市民としての内実に深い精神的基盤を与えるはず」として、諸宗教間の無原則な妥協や野合よりも、むしろ、世界市民の輩出を競い合うことを慫慂(しょうよ う)したのであります。

北東アジア平和会議を開催

 ところで、アジア・太平洋の安全保障の面における現下の最大の問題の一つは、いうまでもなく、北東アジアの平和の問題、すなわち、大韓民国(以後、韓国)、朝鮮民主主義人民共和国(以後、北朝鮮)の分断対立状況であります。

 私は、一九八六年一月に南北分断と対立の状況に関して提言をいたしましたが、その際、最も必要だと考えたことは、南北の最高責任者による直接対話と「相 互不可侵・不戦」の誓約の実現を最優先すべきことでありました。最高責任者として、韓国の大統領と北朝鮮の国家主席の直接対話にはいたっておりません。

 しかし、九〇年九月には、初めて南北首相会談が実現しました。翌九一年十二月、ソウル市内での第五回南北首相会談においては、「南北間の和解と不可侵および交流・協力に関する合意書」を南北の首相が、それぞれの国名とともに署名しました。

 この合意書には「南北不可侵」が明記され、「相手に対して武力を使用せず、武力により侵略しない」「意見対立と紛争を対話と交渉を通じて平和的に解決す る」こと、非武装地帯の平和的利用問題についても協議・推進することが表記されました。この合意書は九二年二月の第六回南北首相会談で、半島の「非核化共 同宣言」とともに発効しました。

 これにより平和共存への基本枠は定められましたが、その後、韓国側が北朝鮮の「核開発」を巡って疑惑解消を要求し、北朝鮮側は米軍の撤収を要求するなど双方が反発しあい行き詰まりの状態が続いてきました。

 昨年は、南北対話にとっては、大きな試練の年でありました。北朝鮮の核開発問題を巡って、対話は中断され、交渉は暗礁に乗り上げたまま、一向に進展を見せませんでした。

 懸案の「核査察」が実施されたとしても、まだ半島の非核化への道は多くの課題を残しており、険しいといわなければなりません。

 私は八六年の提言で、南北最高責任者の直接対話の必要性と「相互不可侵・不戦」の誓約の実現とともに、南北の合意を関係各国、すなわち米国、ソ連、中国、日本が確認し、支持決定することにより、南北間の緊張が緩和することを述べました。

 その一つの理由は南北間の合意だけでは、今日、直面しているように、大きな障害があるからであります。もちろん、関係諸国の協力、応援については、南北 双方に対して干渉がましいことは絶対にあってはなりませんが、南北の合意が実現しやすい環境を作っていけるように配慮、努力することは、南北の分断と戦争 にかかわった周辺諸国の責任でもあり、義務でもあると私は考えるからです。

 緊急な課題は核問題であり、同時に、長期的な視点からも、北東アジアの平和安定を実現するために、韓国、北朝鮮、米国、ロシア、中国、日本による「北東アジア平和会議」の開催が必要でありましょう。

 北朝鮮が要求する米軍の撤収という問題は南北だけでは解決できる問題ではなく、そうした環境が生まれるときに、実現の可能性が出る問題であります。会議 では、まず、南北が合意した半島の「非核化共同宣言」に盛り込まれた合意事項を実現しやすい環境作りへ向かって協議していくことを目指すとともに、この半 島の非核化のために「核兵器不使用協定」などの実現を図るべきであります。

南北離散家族再会のためのセンター

 私の提言の第二は、先に「国連アジア本部」に関連して触れておきましたが、非武装地帯の平和利用についてであります。

 この提言は、あくまでも人道主義、人間主義の立場から、現在は、全く不毛のこの広大な地域を平和や人権のために活用するためのものであります。

 それは、南北分断の最大の犠牲者である離散家族の救済のための緊急な提言であります。その再会、交流のために、さまざまな努力がされてきましたが、現実は、一千万人といわれる離散家族の悲願とはほど遠いといわなければなりません。

 人道上から見ても、南北離散家族の再会、交流のために、板門店あるいはその他の非武装地帯のなかに「南北離散家族のための再会交流センター」開設の早期実現を提言いたします。

 これは南北の話し合い、合意に基づいて人道的な見地から開設されるべきものですが、国連もしくは国際赤十字等の国際機関の管轄の下におくことも一案だと 思います。現状では、南の離散家族が北に行き、北の離散家族が南に行くことに障害があるとするならば、過渡的な手段として、まず、北でも南でもない非武装 地帯のなかに再会、交流の場を新たに開くことを考えることが現実的な選択であると思うからであります。

 また、それと並んで、例えば、国際的なボランティア組織などの協力を求めて、アジアなどの発展途上国の人々への農業・工業技術指導、語学研修などを行う場所として活用することを意図したセンターの開設も一案だと思います。

 現在は不毛の広大な地域に、こうした国際社会に開かれた場を開いていくような構想は、長い目から見れば、結局は南北への国際的信頼感を高め、国益にも役立ち非武装地帯の再生にも突破口を開くと私は確信してやみません。

 また、日本は、こうした非武装地帯の再生化に対して、あらゆる協力を惜しまないことが、あの戦争と今日までの分断状況への責任の、なにがしかの償(つぐな)いになっていくと思います。

在日韓国・朝鮮人の人権に配慮

 次に私は、戦後半世紀のなかでもう一つの最大の問題について所感を述べたいと思います。それは日本で生活する約七十万人の在日韓国・朝鮮人の人権問題であります。

 この問題は、日本の中の問題ではありますが、同時に、日本と韓国、北朝鮮のこれまでの不幸な対立的な関係を改善していくうえでも重要な問題と私は考えて おります。更には、日本が国際化時代において、国際社会から信頼され、認められていくためにはどうしても解決しなければならない問題でもあります。

 日本には多くの在日韓国・朝鮮人が生活しております。戦後になってから日本に移りすむようになった人もおりますが、多くは、一九一〇年の日本の韓国併合 後に、先祖伝来の土地を取り上げられたりして、生きるために故郷を離れた人、戦争のために強制的に連れて来られた人と、その子孫であります。

 私が深く胸を痛める問題の一つは、基本的人権の骨格である「参政権」が、日本での永住権を認められたこれらの人々に、与えられていないことであります。日本人と全く同じように税金を払いながら、権利は与えられていないのであります。

 ノルウェー、デンマーク、スウェーデンでは、十八歳以上で三年以上その地域に居住していれば、地方選挙権が外国人にも与えられています。オーストラリア では、不動産税を納めれば、市町村での選挙権が認められています。フランスでは、幾つかの市町村で議会の諮問議員になれるという形で参政権の道を考慮して おります。

 在日一世はもとより、日本で生まれ育った二世、三世が、長年、基本的人権である参政権を認められない現状に対して、もっと関心がもたれるべきでありま す。戦後半世紀、日本が、国際社会の中で貢献しながら繁栄の道を求めるならば、まず、日本の中で、戦後も、さまざまな差別と迫害のなかで生きてきた方々の 人間としての基本的な要求を実現していくことが大事だと考えるからです。

 私は二十世紀の戦争を体験した世代の一人として、あの戦争の負債が、いまだに、日本の国内でも清算されず、また、長い歴史を誇る民族が分断の悲劇から半 世紀近く経過しても、その"くびき"から解放されていない現実に対して、新しい改革の流れを起こさなければならないとの思いから幾つかの提言をいたしまし た。


包括的核実験禁止条約を

 最後に、国際新秩序を模索するなかで、何としても軍縮の流れを定着させなければならないことを訴えておきたい。世界的な景気の低迷による経済的側面からも、軍縮は喫緊(きっきん)の課題であります。

 冷戦が終結した際、最も期待されたことは軍備にこれまでのような無駄なお金を使わないですむようになるのではないかということでありました。ところが現 実には軍縮が目立って進んでいるわけではありません。軍備に投資していた資金を減らして平和のために使う、いわゆる「平和の配当」は夢と化しております。 特に憂慮すべきなのは、アジアが世界で最も大きな武器購入地域になっていることであります。

 一九八七年から一九九一年までの五年間、米国、ソ連、フランス、英国、中国の五カ国で、世界の武器輸出の八六%を占め、これらの武器が国際紛争を更に泥 沼化させているといわれます。特に国連安保理事会の五常任理事国で武器輸出の八割以上を占めているところに、平和の維持とは裏腹の皮肉な実態があらわれて おります。

 第三世界の国々がこうした武器の購入により、それでなくとも苦しい経済状況を悪化させ、民衆の生活の改善を妨げていることは間違いありません。冷戦の終 結がプラス要因になっていないことは、誠に残念なことであり、本来、食料、医療、教育などに使われるべき資金が武器の購入に回っている現実を転換しなけれ ばならない。

 この問題に手っとり早い解決策はありません。まず武器輸出の大国が率先して軍縮を進めること、軍事産業の民生化を進め、武器を大量に輸出しないよう自粛 することです。多くの指摘があるように、その点ではE軽武装Fゆえに目覚ましい経済発展を成し遂げた戦後の日本の歩みが、格好のモデル・ケースを提供して いるはずです。

 九一年、国連総会は日本やEC(欧州共同体)の提案で武器移転登録制度を設けました。しかし、この登録制度には義務はありません。あくまでも各国の自発 的な登録に期待するだけであります。この不十分な制度では武器輸出の抑制は不可能であります。この点でも戦後一切の武器輸出にかかわってこなかった日本こ そ、世界の武器輸出に歯止めをかけ、武器輸出抑制の制度化に尽力する資格を有すると思います。

 と同時に、第三世界の武器購入にストップをかけるには、経済援助とからませる仕組みが必要といわれます。兵器の購入を厳しくチェックし、兵器を大量に購入した国には経済援助をしないというシステムが国際的に制度化すれば大きな成果が上がるでしょう。

 明一九九五年は世界の平和にとって極めて象徴的な年になります。国連創設五十周年であるとともに、広島、長崎に原爆が投下されて五十年目を迎えます。同 じく来春には核不拡散条約(NPT)を無期限延長するか、一定期間延長するかを決める再検討会議が開かれることになっております。最近、核軍縮に対する関 心が薄れているといえないでしょうか。

 冷戦が終結し、かつてのような核超大国同士の厳しい核軍拡競争の脅威がなくなったこともあるでしょうが、依然として膨大な核兵器が地上に存在するという 脅威への関心が薄いことは憂慮しなければなりません。北朝鮮の核査察問題に象徴されるような核兵器の拡散の問題も大きな課題ですが、核保有国の膨大な核兵 器を一日も早く減らし、どのようにして廃絶にまでもっていくかは、いわば全人類的な課題といえましょう。明年を節目に、こうした核兵器を巡るさまざまな問 題に解決への道筋をつけるべきだと考えます。

 そのためにはまず包括的核実験禁止条約をまとめあげ、すべての核実験が禁止されねばならない。そして九五年のNPT再検討会議では、すべての核保有国に対して核兵器の廃絶が最終目標であることを改めて強く確認すべきであります。

 懸案だったウクライナの核兵器廃棄の動きは朗報ですが、仮に米国とロシアが一定の数まで核兵器を減らすことができたとしても、すべての核兵器を無くすと ころにまで至るには原子力の国際管理が必要であり、そのための機関を作らねばならないでしょう。冷戦が終結し、核抑止そのものの考え方の意味がなくなった 今こそ私は、この方向へ進むべきだと思います。現在のジュネーブの国連軍縮会議を、核廃棄物の処理問題などもカバーできる新たな「国連軍縮機関」にまで拡 大発展させる必要がありましょう。

 こうした平和へのさまざまな課題を国連五十周年の大きな節目にどのように取り組んでいくか、私は関係者の真剣な検討をお願いしたい。なかんずく戦後、ヒ ロシマ・ナガサキの被爆体験に立脚し、核廃絶を主張してきた日本はこの歴史的な転換期を迎えて、平和へのリーダーシップを発揮すべきだと思います。

 例えば、一九九五年に「国連平和サミット」を開催し、国連に世界の首脳が集まり、全面完全軍縮への合意の流れが作れればと思うものです。原子力の国際管 理案や全面完全軍縮などというと夢物語のように思うかもしれませんが、戦後まもなく米国はバルーク案という原子力国際管理案を国連の原子力委員会に提出し たことがありますし、一九五二年には国連憲章を基盤に紛争解決の手段としての戦争を制度的に不可能にし、戦争のない世界を築くための包括的な軍縮提案を 行っております。

 戦争のない世界を築くも築かないも人間次第であります。それを不可能と諦(あきら)めてしまうか、あくまでもその難行に挑戦していくか、そこに二十一世 紀の命運がかかっております。考古学者の説くところによりますと、人間の歴史四百万年の中で、集団同士がぶつかりあう戦争の歴史は一万年にも満たないそう であります。とするならば戦争のない人間社会の実現は決して不可能ではないという確信がわくではありませんか。

 二十一世紀まで七年を残すのみとなりました。戦争と暴力の二十世紀の中で翻弄(ほんろう)されてきた民衆が、今や歴史の主役として登場する時代がやって まいりました。民衆こそが新しい共生の秩序を建設するための主体者なのであります。その民衆の国境を超えた連帯により世界の不戦を実現させ、第三の千年を 希望輝く時代にしようではありませんか。そのために本年も私は、世界を駆け巡り平和のための対話を続けてまいる所存です。

1994.01.26

(C)Daisaku Ikeda

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