1995年1月アーカイブ

人類史の流転とどめ「第三の千年」へ
第二次世界大戦終結から50年
「平和」へのみずみずしい思いを今一度

 SGIの発足20周年を記念して、最近の私の所感の一端を述べさせていただきます。

 まず最初に、このたびの「兵庫県南部地震」で亡くなられた方々に、衷心より哀悼の意を表させていただきます。仏法者として、懇ろに追善させていただいております。

 とともに、被災された皆さまに、心からお見舞い申し上げます。

 関西の地を、かけがえのない故郷と思う私にとって、これほどの心痛はありません。

 この戦後最大の惨事にあたり、政府はじめ行政機関は、何はさておき、総力を挙げて、迅速な対応を急ぐべきであります。

 私どもも、民間の立場から、ドクター部救急医療班の派遣、青年部ボランティアによる物資の応援、緊急避難所としての会館の提供、義援金の寄付など、全力を挙げております。

 我が身をいとわず、我が家を顧みず、懸命の救援活動にあたる民衆の真心ほど、気高いものはありません。

 かつて、関東大震災の折、白金小学校の校長であった牧口常三郎先生(創価学会初代会長)は、自ら先頭に立って、罹災者の援助に奔走されました。その姿は、児童たちの眼に、焼きついて離れなかったのであります。

 今回の学会員の皆さまの尊き献身に、私は、重ねて御礼申し上げるものであります。

 学会本部にも、ゴルバチョフ元ソ連大統領、エイルウィン前チリ大統領はじめ、多数の世界の識者の方々、ならびに全世界のSGIの同志が、お見舞いの励ましを寄せてくださいました。深く感謝申し上げます。

 御聖訓には、「大悪を(起)これば大善きたる」(「大悪大善御書」、御書一三〇〇ページ)、「災来るとも変じて幸と為らん」(「道場神守護事」、同九七九ページ)と仰せであります。

 被災者の方々が、悲しみを乗り越えられ、一日も早く、復興されゆくよう、心よりお祈り申し上げます。

 そして、我が関西創価学会が、その「希望の柱」たることを、私は確信してやまないのであります。

 さて、世紀末の今日、冷戦が終結し、長らく世界を東西に分断していた"壁"はひとまず取り除かれたものの、いまだ人類は確たる「平和の構図」を見いだす というにはほど遠い状況にあります。加えて、絶えまない民族対立や地域紛争の激化、悪化の一途をたどる地球環境問題、そして大量の難民流出など、山積する 地球的問題群の存在は、私たちの前途に暗い影を投げ掛けております。

 二十一世紀まであとわずか五年余。私たち人類は、こうした世界の様相を"世紀末"の風景とあきらめ、立ち尽くすだけなのか、それとも新しき世紀の扉を開 くため、敢然と課題に立ち向かうのか―大きな岐路に差し掛かっております。「戦争と暴力の世紀」といわれた二十世紀に別れを告げ、「希望と不戦の世紀」を 開幕させるという、いわば人類全体がその運命を百八十度転換できるか否かという正念場を、まさに迎えているのです。

 時あたかも本年は、第二次世界大戦終結から五十年という大きな節目にあたっております。昨今はさまざまな形でこの半世紀の回顧がなされておりますが、改 めて私たちはあの当時、まがまがしい戦禍の中にあって半ば途方に暮れながら、渇えて水を欲するように抱いた、「平和」に対するみずみずしい思いに立ち返る べきではないでしょうか。

 平和の素晴らしさ、命の尊さへの新鮮な感情、そして恒久の平和を心から希求する、また今こそそれが可能だという情熱であります。一言でいえば、いい意味 での燃えるような理想主義であります。大切なことは、過去の反省に立って、私たちは今、何を成すべきかを明確にすることであり、英知を結集して将来への確 たるビジョンを打ち出すことであります。戦後50年という節目は、その絶好の機会を与えてくれるものといえましょう。

 今一つ忘れてはならないのは、あの忌まわしい核兵器が初めて使用されたのも、50年前の1945年のことであるということであります。この半世紀、科学 技術の急速な進歩と人類絶滅の危機が表裏一体になって進んできました。膨大な量に達した核兵器の脅威は、東西の厳しい対立の中で、常に「ダモクレスの剣」 のように人類の頭上を覆い尽くしておりました。冷戦の終結は、その重苦しい暗雲を幾分か取り払い、明るい陽光を期待させましたが、これを打ち砕いたのが民 族対立など頻発する地域紛争であります。

 戦争の克服ということは、人類にとって古くからの課題であり、多くの先哲たちがこの難問の解決を図るべく、努力を傾けてきました。特に、兵器の殺傷力が 増すにつれて戦争の被害も加速度的に増大し、「平和」はもはや優れた"良心"の避けて通れぬ課題となってきました。ちなみに、哲学者カントがその晩年に、 かの有名な『永遠平和のために』を著したのは、奇しくも今からちょうど二百年前の一七九五年のことでありました。戦争に次ぐ戦争の時代であった当時、カン トはこの中で、何世紀にもわたって繰り返されてきた戦争を完全に終わらせるための処方せんを示し、世に問う。そして、諸国が戦争中心の政策を転換しない限 り、やがて人類は絶滅してしまうと警告したのです。しかし、カントの警告もむなしく、この二世紀の間、戦火はやむことなく、人類は彼の描いた「恒久平和」 の理想をいまだ実現できずにおります。

 今はこの古い時代から新しい時代への「大いなる過渡期」といえましょう。

過渡期には過渡期特有の混乱がつきものです。決して悲観的にばかり考える必要はありません。むしろ"好機到来"と、希望をもって取り組むことができるかどうかに、私たち人類の未来はかかっているといってよい。

 今世紀の苦々しい教訓を踏まえ、そこから「第三の千年」へと飛翔する覚悟で、私たちは事にあたらねばなりません。そのために、確かな哲学に裏打ちされた ビジョンとともに、その実現を後押しするたくましき「楽観主義」に根差した行動が、今ほど求められている時はないのです。哲学者アランの「悲観主義は気分 に属し、楽観主義は意思に属する」(『幸福論』、白井健三郎訳、集英社文庫)との言葉は、私たちを勇気づけます。いかなる困難があろうと、必ずやそれらの 問題を乗り越えて前進することができるのだという、人間の能力に対する絶大な信頼感を、私たちは決して手放してはならないのです。

 そのうえで必要なことは、何が人類にとって最優先課題なのかをしっかりと見極め、残された期間で21世紀を迎える準備にあたることです。その意味で、今後の5年間は極めて重要な期間となるといわねばなりません。

「不戦共同体制」実現へのビジョン

 ひるがえって、19世紀末に人類はどれだけの備えをもって、20世紀を迎えたのでありましょうか。かろうじて目立った動きとしては、1899年に世界平 和を議題に「第一回ハーグ平和会議」が開催されたものの、軍縮は真剣に論議されないまま、やがて第一次大戦の破局へと向かってしまったことは周知のことで あります。そして結果的に、二度にわたる世界大戦という言語に絶する悲劇を人類は味わうこととなったのです。

 この点では、20世紀の世紀末は様相を異にしているといえましょう。何よりも国際社会はグローバルな討論の場として国連という国際機関を有しております。20世紀最後の10年間となる90年代も、いくつか顕著な動きがありました。

国連が中心となって、全地球的視野から「環境と開発」「人権」「人口」をテーマとする諸会議をこれまでに開催しており、本年も「社会開発サミット」や「女 性会議」が行われる予定になっています。次の世紀に持ち越されるであろう大問題に、ともかく解決への糸口を見いだしていこうとしているのです。そこに私 は、19世紀末とは異なる、人々の積極的な意思を強く感じ取るのであります。問題はそこで得た結論をどこまで生かせるかでありましょう。

 では、究極的にきたるべき21世紀を私たちはいかなる世紀にすべきか。それは端的に言えば、人間と人間とが武器を取り合って戦争をしない時代をつくる、 即ち「不戦の世紀」を実現することであります。そのためには、グローバルな「不戦共同体制」構築の作業にいよいよ着手しなければなりません。

 20世紀の最大の悲惨はおびただしい戦死者を出したことにあります。第一次大戦では民間人を含め2200万人、第二次大戦では6000万人が命を失った とも推定されております。ある学者は「戦死の世紀」と名付けているほどです。「第三の千年」はこのような愚を繰り返してはならない。

 今世紀の二つの大戦を目の当たりにした歴史家のホイジンガは、戦争を引き起こす軍国主義を「恒常的な文化の喪失の最も有害な形式」と厳しく断じておりま す。なぜなら、軍国主義に支配された国家は、「かつてその国の人々がもっていた非常に高い天分と文化にもかかわらず、その国に征服された弱小国民ばかり か、自らの国民をもただの奴隷に貶しめ」ようとしたからだ、と。そして、「世界がなおこの巨大な怪物の恐ろしい触手をのがれうるかどうかは、次の時代に よって証明されるに違いない」(以上、『汚された世界』、磯見昭太郎訳、河出書房新社)との言葉を残し、その希望を後世の人々に託したのでした。

 そのホイジンガ自身は第二次大戦の終結前(1945年2月)に世を去り、ついに「次の時代」を見ることはなかった。それから半世紀、全世界を巻き込むよ うな戦争は幸いなことに起こらなかったとはいえ、戦争という「巨大な怪物の恐ろしい触手」によって、どれだけの尊い人命が失われてきたことか。

 近年、世界を見渡しても軍事政権から民主制に移行する国が増加し、民主主義への流れは人々に明るい曙光を感じさせております。とはいっても、戦争の脅威 が弱まっているわけではない。それは、世界でいまだ軍縮が大勢になっていないことからも明らかでありましょう。ましてや、制度としての戦争を廃止させるめ どは立っておりません。そこで今、いかに「戦争のない世界」を現実化させるシステム、即ち「不戦共同体制」を構築するか、その確かなビジョンが問われてい るのです。

「心の平和」こそ世界平和の源泉

 なぜ私がこれほど戦争の問題にこだわるのか。なぜ毎年、このような形で世界へ向けて平和へのメッセージを発信し続けているのか。なぜ従来の陸軍省や海軍 省、国防省といったものではなく、平和の問題に専念できる「平和省」を各国に設置するよう提案してきたのか。そして、なぜ「世界不戦宣言」を国連決議とし て成立させ、やがて拘束力のある「世界不戦規約」へ発展させることをこれまで主張してきたのか―。

 それはひとえに、この地球上にはさまざまな問題はあるものの、戦争こそ人類史に纏綿する『業』ともいうべき諸悪の根源であると考えるからにほかなりませ ん。人間があたかも虫けらのように殺される、そんな狂気を日常化させてしまう戦争は、あらゆる人間性をもズタズタにする。それだけでなく環境を無残に破壊 し、膨大な数の難民を生み出す原因となっているのです。

 昨年、ユニセフ(国連児童基金)が発表した「世界子供白書」によれば、この10年間の戦争で、兵士よりはるかに多い約200万人の子供が殺され、400 万人から500万人の子供が障害を負ったといいます。地球の未来を担うはずの子供たちが戦争で傷つけられ、生命を奪われるということほど不幸なことはあり ません。

 「戦争」という人類の業の転換なくして、一人一人の人間に真の幸福も安寧も訪れることはないというのが、仏法者としての私の切実な思いなのであります。 「戦争ほど悲惨で残酷なものはない」というのが、人類が大きな代償を払った末に得た教訓であり、子供たちのためにも「不戦の世紀」への確かな道筋をつける ことが、何にもまして私たちが果たすべき責務ではないでしょうか。

 この不幸で悲惨な「戦争」をなくすための内的要因を考えるうえで忘れてならないのは、ユネスコ(国連教育科学文化機関)憲章に掲げられた理念でありま しょう。その有名な前文の一節には、「戦争は人の心の中に生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かねばならない」とうたわれています。

 私どもの信奉する大乗仏教では、「十界」といって、どんな人間の生命にも十通りの生命境涯が具わっていることが説かれております。これによれば、戦争を 引き起こす人間の生命状態は、このうち最も低い「地獄界」「餓鬼界」「畜生界」「修羅界」の三悪道・四悪趣に覆われたもので、本能と欲望に支配されるまま の状態といえるでしょう。

 そうした状態の人間の思慮も行動も、愚かで野蛮にならざるを得ない。ゆえに仏法の視点から見ても、いかなる制度的要因にもまして個々の人間の「心の中に平和のとりで」をいかに築き上げるかが、世界平和建設への源泉であり、急所になると考えられるのです。

 さて、このユネスコ憲章の採択五十年となる意義深き本年は、国連の定める「寛容年」にも当たります。これはユネスコなどの働きかけにより、93年12月の国連総会において正式に採択されたものであります。

 現在、国連においてこうした動きがみられる背景には、冷戦終結後もなお残る対立や紛争の根が、人種や民族間、そして宗教間の「不寛容」にあるとの認識が、国際社会において高まっていることがあげられましょう。

 つまり、従来の軍事力を中心とする方法では、複雑化した事態にもはや対処できないし、根本的な解決を導き出すのは困難、との認識が強まり、寛容という「共生の哲学」の模索が国際社会で始まっていると私は見ております。

 「国連寛容年」――問われる「共生の哲学」の内実

 ここでまず私は、寛容の内実とは何かを考えるにあたり、まずキーワードともいうべき御聖訓に言及してみたいと思います。

 日蓮大聖人の「開目抄」に、あまりにも有名な次の一節があります。「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を 退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を 立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をご(期)せよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義 やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」(御書二三二ページ)―

 この大聖人の師子吼は、生命の内奥に具わる真理に対する不抜の確信とともに、巍々堂々たる「人間王者」としての精神の誇りを高らかに宣言した、人類史に輝く不滅の言葉であろうと私は考えております。

 なぜなら、信仰の自由を認める「寛容」といった概念は、今を去ること七百年以上も前の鎌倉時代にあっては、思いもよらないものでした。当時、日本を支配 していた鎌倉幕府は「貞永式目」を制定し、幕府に逆らわないならば積極的な保護を与えるが、意に背けば体制を脅かし治安を乱すものとして弾圧を加えると いった方針をとっていたのです。

 諸宗が幕府の権力におもねってその庇護を受け、名利を貪っているなかで、大聖人だけは節を曲げなかった。その信ずるところに則り、時の権力者に対しても容赦なく諫言を続けた結果、二度も流罪の刑に処せられたのです。

 庶民に対しては肉親も遠く及ばぬ細やかな愛情を注がれている大聖人ですが、邪悪な権力との戦いでは、断じて一歩も退かれない。度重なる迫害に遭っても、 身に寸鉄も帯びず、もっぱら言論・非暴力に徹する姿勢は、微動だにしなかった。その精神は、先ほど挙げた言葉に象徴されているのです。驚くべきことに、こ れは幕府によって遠島に流罪になっていた時のものであります。

 すなわち、改宗すれば日本の国王にしようと誘惑されようとも、また改宗しなければ父母の首をはねると脅迫されようとも、「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と師子吼された大聖人。私はそこに、真理に対しては一切の妥協を許さない、屹立した人格を見る思いがします。

 それだけでなく、宗教という思想上の対立はあくまで対話などの言論に基づいて決すべきとの、大聖人の金剛のごとき信念――すなわち「屹立した人格」と 「開かれた対話」こそ、現代に生きる私たち人類が共通の課題とするところの「寛容」を実現するうえで、画竜点睛ともなる急所ではないかと、私は信じてやま ないのであります。

「屹立した人格」と「開かれた対話」

 日蓮大聖人の仏法は「四箇の格言」などの印象から、ともすれば"排他性""非寛容性"を指摘されるのですが、それはあまりにも表面的な見方であり、真実の寛容は、不動の信念や決然たる自己主張と、決して異質のものではないのであります。

 この点に関して、宗教研究の第一人者であるオックスフォード大学のウィルソン教授は、私との対談集『社会と宗教』の中で「意識的・積極的に宗教的寛容を奨励することと、多神教的ないし混淆主義的な伝統の中での宗教的無関心との間には、違いがある」と指摘しております。

 この言葉にしたがえば、宗教的不寛容が猛威をふるうことが比較的少なかったとされる日本において、これまで「寛容」として尊ばれてきたのは、まさに後者の"宗教的無関心"に過ぎなかったと言えましょう。そこには、精神的営為の生み出す緊張関係は著しく希薄です。

 一般に、日本において寛容と呼び慣らされているものは、その実、"足して二で割る"式の妥協であったり、"同床異夢"の野合や慣れ合いであったりする場合がほとんどといっても過言ではない。

 そうではなく、「屹立した人格」と「開かれた対話」とが車の両輪の如く回転して、信念と信念との撃ち合いがなされていくところ、対立ではなく調和が、偏 見ではなく共感が、争乱ではなく平和がもたらされることは間違いない。けだし、真の対話がなされるのならば、対立が生じたとしても「結びつき」の一つの表 れに過ぎないからです。

 これまで、一般に「寛容」というのは、消極的な意味合いでしかとらえられていないきらいがあった。また、長い歴史の中で宗教対立がもたらした悲劇の印象 が強いあまりに、ともすれば「寛容」という言葉に名を借りて、無原則に近い妥協を許してしまう風潮があることも否めません。

 この点を見据えることなく、日本的な寛容に焦点が当たるのは、的外れであるばかりか、大きな危険をはらんでいると私は考えます。「和をもって貴しとなす」といった精神風土がその経済的な成功と表裏の問題として、日本人の傲慢さを助長する恐れさえあるのです。

 二十世紀に猛威をふるった一元主義的イデオロギーの凶暴性を考えれば、価値観の多元化は、おそらく不可避でしょうが、「あつものに懲りてなますを吹く」愚をおかすべきではありません。真の寛容と無関心とは、おのずから異なるはずです。

 実のところ、日本的な寛容なるものの内実は惨憺たるものがある。昨今の政治状況一つをとってみても、理念・政策ではなく打算や情念で動かされているあり さまは、確たる国策ももたないまま、ずるずると太平洋戦争になだれこんでいった戦前の状況をも想起させるものがあります。その一方で、次代を担う青年層に おいて精神的な緊張とはまるで逆の自閉的傾向、そして正義への無関心、シニシズム(冷笑主義)が顕著に高まっているのです。

 真の「寛容」とは、もっと積極的な概念でなくてはならない。その意味で、この無関心が生み出すシニシズムとはいわば対極にある、「他者への責任感」を源泉とする積極的な行動性こそ、現代における「寛容」の条件たりうるものではないでしょうか。

「他者への責任感」が生み出す行動性

 日本史にも造詣の深いイスラエル・ヘブライ大学のシロニー教授は昨年十月、私と対談した折に、こう述べておられました。「人間と動物の違いは、理想を もっているかどうかです。理想によって、自分が納得して生きられる。それも日蓮上人の考え方に通じます。(その理想によって)他人をも納得させようとす る。折伏もそうでしょう。他人に無関心ではいけません。他人に対しても責任があります。これ(他人への責任感)も人間だけのものです」―と。

 全人類の救済を願われた大聖人にとって、思想上の正邪を明らかにし、人々を苦しめる一凶を取り除くことは当然の行為であった。そのために大聖人が用いた のが、「開目抄」の御聖訓に象徴されるように、言論という「精神の王者」の武器であったのであります。この大聖人の仏法を信奉する私どもSGI対し、さま ざまな識者が共感を寄せてくださっているのも、「対話」を根本に世界に友情のネットワークを広げている点なのです。

 さてここで、私は自身の"青春の一書"であった『エセー』の著者ミシェル・ド・モンテーニュにスポットを当ててみたい。いうまでもなくモンテーニュは、 エラスムス等と並んで、これほど寛容を語るにふさわしい人物はないわけですが、とりわけ私が強調したいのは、彼の精神世界が日本特有のぬるま湯的な精神風 土とはまるで無縁であったということです。

 「寛容の人」モンテーニュは、何にもまして「対話」の人であり、「対話」を通しての人間と人間との撃ち合い、錬磨、鍛えの重要性を繰り返し訴えてやまない人でした。

 ユグノー戦争の最中に起こった「聖バルテルミーの大虐殺」をはじめとして、宗教対立が数多くの惨劇を引き起こした十六世紀フランスを生き抜いたモンテーニュはその著『エセー』の中で次のように記しております。

 「われわれの信心は、われわれの憎悪や、残虐や、野心や、貪欲や、中傷や、反逆への傾向を助けるときには驚くべき力を発揮する。逆に、親切や、好意や、 節制への傾向を助けるときには、まるで奇蹟のように、何かのまれな性格にでもうながされないかぎり、歩きもしなければ飛びもしない。われわれの宗教は悪徳 を根絶させるために作られたのに、かえって悪徳をはぐくみ、養い、かき立てている」(『エセー』3、原二郎訳、岩波文庫)―と。

 宗教動乱の渦中に生き、人間同士が利害と狂信のために殺し合うさまを幾度も目の当たりにしたモンテーニュは、こうした争いをやめさせようと「寛容」を説いたのでした。この主張は彼の死後、異教徒に対しても信教の自由を認める「ナントの勅令」として結実しております。

 また、海外の植民地開拓が目的で出発したキリスト教徒が、偶像を崇拝する土着民よりもはるかに残忍であり、倫理的にも劣る行為を犯していると述べた彼の 報告は、宗教的相対観の発生を促し、当時の心あるキリスト教徒に深い衝撃と内省の機会を与えたという事実も、よく指摘されるところであります。

 かの作家S・ツヴァイクも、彼こそ"この世のすべての「自由なる人間」の友"であると、モンテーニュの主義・思想に対する強い共鳴の意を示す言葉を残しておりますが、けだし至言でありましょう。

 モンテーニュ的「対話」から

 ともあれ、そんな時代にあってモンテーニュが何よりも重視したのが「対話」という行為でありました。

 「精神を鍛練するもっとも有効で自然な方法は、私の考えでは、話し合うこと」であるとし、それは「人生の他のどの行為よりも楽しいもの」であるという彼は、その絶対条件となる「開かれた心」についてこう述べております。

 「いかなる信念も、たとえそれが私の信念とどんなに違っていようと、私を傷つけない。どんなにつまらない、突飛な思想でも、私にとって人間の精神の所産 としてふさわしく思われないものはない」「したがって反対の判断は私を憤慨も興奮もさせずに、私を目覚めさせ、鍛えるだけである。われわれは人から矯正さ れることをいやがるが、本当は自分からすすんでそれに立ち向かわねばなるまい」(『エセー』5)―と。

 更に、キケロの言葉「反駁なしには議論は成り立たない」を我が信条としたモンテーニュは、対話の目的は真理の探究にこそあり、「私は、真理をどんな人の 手の中に見いだしても、これを喜び迎える。そして、遠くからでも真理の近づいてくるのを見れば快く降参して、私の負かされた武器を差し出す」(同)と、ま ことに精神の王者らしい言を残しているのです。

 これぞ「屹立した人格」による「開かれた対話」の真骨頂と言えましょう。そして、言語をとことん駆使するところに、人間であることの最極の証を求めよう とする彼の精神こそ、「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と仰せになった大聖人の立場と深く通底していると思うのであります。

 加えて私は、「対話」の根底には、みずみずしい批判力が不可欠であると訴えたい。

 新教と旧教の対立がフランス社会を真っ二つに裂き、互いに殺戮を繰り返すという狂気が吹き荒れるなかで、モンテーニュは自分自身の"生"に生き抜くとを 守り通した。その強靭な精神は、ツヴァイクが彼を描いた評伝の中で、「興奮した時代の濁った有毒の泡が、自分の内奥の自我に、その『真髄』に、まじり込ん だり流れ込んだりしないようにするために、あれほど真摯にはげしく戦った人はこの世に数少ない。そして、この内奥の自我を時代から永遠に救い出すことに成 功した人も数少ない」(『ツヴァイク全集8 三人の巨匠』、渡辺健他訳、みすず書房)と記している通りであります。

 事実、モンテーニュは「いったい、ろくな歩調も歩み方ももたない者と真理の探究に出かけて行って何になろう」(『エセー』5)と、批判力という理性に裏 打ちされていない人間と対話を行うことの無益さを述べております。更に彼は、ここでは詳しく論じませんが、その批判力が自己を厳しく見つめる「内省」の力 を伴うことも述べているのです。

大乗仏教が説く「大我」

 先に私は、シロニー教授がいう「他者への責任感」に触れましたが、その精神から発するところの「対話」――つまり他者への働きかけを行うにあたっては、 正邪、善悪の問題を論ずることを避けて通れない。モンテーニュもいうように、対話の目的があくまで「真理の探究」にある以上、そこで互いに発揮される批判 力は、人間精神の崇高な発露であるからであります。


 私の恩師である戸田城聖創価学会第二代会長はかつて、当時青年だった私たちに対し「青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり」との言葉を贈ってく ださったことがありました。恩師の熱願は"この世から悲惨の二字をなくしたい"というものであり、民衆を苦しめるあらゆる悪と戦うために、批判力を鍛え抜 くことを青年であった私たちに訴えられたのであります。

 先に述べたように、寛容は無原則な妥協を意味するものでは決してない。妥協点を見いだすことのみに気をとられ、正邪や善悪を明らかにしようとしない、批 判力を失った対話をいくら続けても創造的なものは何も生まれはしないのであり、かえって人間特有の真理への探究心を曇らす結果になってしまうでありましょ う。

 とはいっても、際限のない自己主張を繰り返すだけでは、「独善的」「排他的」になってしまうことは、これまた、人類史が雄弁に証言をしているところで す。この、いわば人類史的ジレンマをどう乗り越えていけばよいのか。かつてハーバード大学における講演でも論じましたが、私は大乗仏教が説くところの「大 我」こそ、そのカギとなるものではないかと考えるものです。

 仏典では「己こそ己の主である」とし、他に紛動されず、自己に忠実に主体的に生きよと強くうながしております。しかし、ここでいう「己」とはエゴイズム にとらわれた小さな自分、すなわち「小我」ではなく、時間的にも空間的にも無限に因果の綾なす宇宙生命に融合している大きな自分、すなわち「大我」を指し ております。

 そして、「大我」とは、一切衆生の苦を我が苦となしゆく「開かれた人格」の異名であり、つねに現実社会の人間群に向かって、抜苦与楽の行動を繰り広げる力をもちます。この生き方こそ、日蓮大聖人がその生涯を賭して指し示したものであり、恩師が望んでいた人間像であった。

 私は、この「大我」に立脚してはじめて、対話に基づく「寛容」の実現も、「共生の時代」という新しい地平も、世紀末のペシミズム(悲観主義)が人類を覆いつつあるなか、「希望」という光明を差し照らすのではないかと強く訴えたい。

「和解の時代」支える内発の力
 平和とは意志に基づく"積極的状態"
 「世界市民」の輩出競争を

 国際社会は、南アフリカ共和国の共存や中東の和平に代表されるように「和解の時代」へと着実に歩みを進めています。そこでも、無視することのできない役 割を果たしたのは「対話」の力でした。ハード・パワーというものの習性は"外発的"に、時には"外圧的"に人間をある方向へ動かすが、それとは逆に、人間 同士の合意と納得による"内発的"なうながしが、国際交渉を成功に導くための重要なカギを握るというのは、私の年来の主張でもあります。

 実際、合意した内容を一つ一つ進めながら、「共存」を現実のものにするには大変な困難が伴います。また交渉当事者だけでなく、それらの人を支える国民の「平和実現」への積極的姿勢なくして、和平は全うできるものではありません。

 なぜなら、平和とはそれ自体、確固たる意思に支えられた"積極的状態"にほかならないからです。そのためにも、民衆レベルにおいても実感できる「納得性」がカギとなるのであり、その源泉となる「共生の哲学」が焦点となってまいります。

 分裂という"遠心力"が国際社会で強まるなかで、「共存」という言葉をむなしくしないためにも、各地で達成された「和平」をより強固なものにすることが先決です。そのためには、国際社会の幅広い理解と協力が欠かせません。

せっかく芽生えた「和平」を挫折させてしまっては、他の地域にも少なからず影響を与えましょうし、総じて"歴史の後戻り"につながりかねないからです。

 本年の国連寛容年に向けてユネスコが用意した「寛容に関する宣言」案は、「寛容は、平和をあらわす新しい名前とならなければならない」との言葉で結ばれ ています。それを内実化させるためには、何といってもモンテーニュが、ソクラテスに託して自負していたような「世界市民」を陸続と輩出させていく以外にあ りません。私が、かねてより諸宗教間の世界市民輩出競争を提唱しているのも、そのためであります。その競争にあっては「屹立した人格」と「開かれた対話」 こそ不可欠であることを重ねて訴えておきたいと思います。

 次に、世界の不戦を実現するためにグローバルな枠組みをどうつくりあげていくかという具体的な点について、いくつか触れてみたい。

ソフト・パワー基軸に国連強化

 国連は今年、創設五十周年の大きな節目を迎えます。本来であれば、心から慶祝したい記念の年でありましょうが、国連を取り巻く環境は一段と厳しさを増し ているようです。冷戦終結後に頻発した地域紛争に手を焼いた国際社会は、その解決を国連の平和維持活動(PKO)に託しましたが、初の平和執行部隊だった ソマリアでのPKOの挫折、ボスニアにおける手詰まり状態など、思うにまかせないことは周知の通りであります。

 国連のガリ事務総長が本年初頭、安全保障理事会に報告書を提出し、当面、平和執行部隊の派遣を断念することを表明したのは象徴的な事例であります。 こ れは事務総長自ら武力によりPKOを強化しよう、との国連の路線を修正したものであります。ここには武力行使の権限をもつ平和執行部隊の派遣は、国連の能 力を超えるとの厳しい認識が見られます。平和執行的行き方がうまくいかず、しかも膨らむ一方のPKOの展望が開けない現状では、これはむしろ賢明な選択だ といってよいでしょう。

 もともと紛争当事国の同意なしで国連が介入し、しかも武力を表にするとなると国連自体が紛争の当事者になりかねません。これは中立であるべき国連が厳に 慎まねばならない点でありましょう。もとよりこうした路線の修正があったからといって、平和の維持、創造に果たす国連の役割の重要性が変わるわけではあり ません。

 大事なことは、単にPKOという狭い枠組みにとらわれることなく、もっと幅広い視野から、平和と安全保障に果たす国連の使命を総合的に見直すことであります。

 各国を協調させ、行動を調和させるというソフト・パワーを基調に、平和的なシステム、ルールをつくりあげることが国連の原点である以上、それを最大限に 生かす道を考えねばならないでしょう。それを国連加盟国が、そして国連を支えるNGO(非政府機関)が真剣に考えるには、五十周年は格好の時機といえま しょう。

「人間の安全保障」へ発想転換

 国連はその創設以来、五つの大国が拒否権をもつ安全保障理事会を平和維持の大きな柱にして進んできました。厳しい冷戦下にあって、安保理が有効に機能しなかった時代が続きましたが、冷戦が終結し東西の厳しい対立がなくなり、国連の役割への期待が大いに高まりました。

 しかし今、国連はその期待にどう応えたらいいのか立ち往生しているといったら言い過ぎでしょうか。明らかに世界の幅広い安全保障というものを、少数の大 国を中心にした安保理で取り仕切る現在の国連システムには限界がきています。それは日本やドイツが安保理事会の常任理事国になるというような改革ですむも のではありません。

 問題は、安全保障に対する抜本的な発想の転換が要請されている時代の流れに、安全保障理事会が対応できていないことにあります。

 最近、これまでのように「安全保障」を国家による国家のための安全の保障という狭い解釈にとどめるのでなく、ヒューマン・セキュリティー(人間のための安全保障)」という発想に立つ構想が模索されております。

 それは人道、人権がさまざまな形で危機にさらされがちな現代にあって制度的要因よりも人間的要因を優先するという発想であります。それは主権国家の顔が支配的であった国連に、「人間の顔」そして「人類の顔」を際立たせる新しい方向性につながるものであります。

 「安全保障」といってもそこに住む人間の生存、福利、そして正義、自由を無視しては成り立ちえません。現代はそうした人間の平和的に生きるための基本的 な権利が、さまざまな脅威にさらされている時代です。これまで国家の利益を優先するあまり、それらが軽視されてきたことは否定できません。

 軍事力というハード・パワーを表にして、世界の安全保障を考える旧来の安全保障体制はもはや時代遅れのものになりつつあります。人間への脅威に包括的に 対処する国連を軸にした「ヒューマン・セキュリティー」の枠組みを、一日も早く確立できるよう英知を結集すべき時であります。

 ヒューマン・セキュリティーという広義の概念は、平板な平和観では達成しえません。それは「開発」とも密接に連動しております。昨年、ガリ国連事務総長 は「開発への課題」と題する報告書を総会に提出しました。そこには「平和」「経済成長」「環境保全」「社会的正義」「民主主義」という相互に関連し合う五 つの分野を、持続的な「開発」のための推進力とする包括的理念が打ち出されております。

 この点はまさに、本年三月に予定されている「社会開発サミット」でも焦点となってくるでありましょう。

 こうした基本的理念に立脚し、国連が新たな構想力をもって世界の平和にリーダーシップを発揮すべきではないでしょうか。民族紛争にしても、紛争が泥沼化 してから介入するという従来のやり方は限界にきています。そうした紛争を起こさないためには、前述した開発のための五項目を各国がそれぞれ国内的に強力に 推進しなければなりません。

 そのためにも開発の問題を扱う経済社会理事会の任務、権限の抜本的強化が不可欠であります。その強化された経済社会理事会と新たな発想に立った安全保障理事会との連動があって、初めて国連は国際環境の変化に即応した安全保障の機能を発揮できるといえましょう。

 今後、世界から紛争をなくしていくためには、国家の中で恵まれない立場にある少数民族の人権、福利をどう実現し、守っていくかが大切であります。経済発 展だけでは、そうした人々の欲求を満足させることはできない。民衆の声なき声をどう吸い上げるかが大事であります。国連には信託統治理事会があります。そ れは、国連の監督下に信託統治地域(多くの場合、植民地)の住民の福祉の向上を図り、自治や独立を促進するためのものであります。

 もはや植民地の多くが独立し、信託統治理事会の使命は終わったといわれます。そこで、信託統治理事会を新たに衣替えし、特に旧ユーゴスラビアのような紛 争下にある地域の文化的、民族的多様性を保障し、それに伴う問題に総合的に対処しうる新たな役割をもたせてはどうでしょうか。この理事会を難民高等弁務 官、人権高等弁務官と密接な連携をもたせ機能させていってはどうか。

 国連憲章第一条第一項には、国連の目的は「国際の平和及び安全を維持すること」にあり、そのために紛争等の解決を「平和的手段によって且つ正義及び国際 法の原則に従って実現すること」とあります。しかし、戦後の流れを見れば明らかなように、国連憲章のもとで、国際の平和と安全の維持に関する主要な責任を 負った安全保障理事会が、正義と国際法の原則にしたがって平和を維持することが十分できたとはいえない側面もあります。

 私は、21世紀の国際社会を考えるうえで、「平和の国際法」を明確にし、強化すること、具体的に申せば、現行の国際人道条約(ハーグ条約、ジュネーブ条 約)をより発展・強化させる形で、「平和の国際法」を拡充する方向を目指していくべきであり、また国際法がより遵守されるように拘束力をもつ制度を確立さ せていくことが重要と考えます。

 さまざまな問題はあるにしろ、世界に国連という場が存在し、世界のほとんどの主権国家が同じ機構に属しているという事実には重いものがあります。冷戦時 代ですら、激しく対立していた米ソがこの機構から離脱することはなかった。この機構と国際法を更に強く結びつけて、国家間の関係のルール化を推進していく ことが大事であります。

 昨年の12月、日本が提案した「核兵器廃絶」をうたった核軍縮決議が国連総会で正式に採択されました。決議は冷戦終結後、核戦争の恐怖のない世界が創造 される可能性が増したとし、核不拡散条約(NPT)の未加盟国に対し、可能な限りの早期加盟を要請すること、核保有国に対し、核兵器廃絶を究極の目標とす る核軍縮の努力を呼び掛けること、すべての国に対し、大量破壊兵器の軍縮と不拡散の約束履行を呼び掛けることを求めています。

 またもう一つ、核兵器に関するものとして、核兵器の使用、威嚇が国際法に違反するかどうかについて、国際司法裁判所(ICJ)に勧告的意見を求める決議が国連総会で採択されました。

 これらの決議に関しては拘束力がないということから軽視するむきもありますが、私はそうは思いません。核兵器の問題は人類絶滅の可能性をはらんだものだ けに国際社会に普遍的な問い掛けをなすものであり、人道的、倫理的な判断をも含んでいます。ともすればこれまで、拘束力があるかないかにあまりに比重を置 き過ぎてきたのではないでしょうか。

 核兵器廃絶へ高まる国際世論

 「平和の国際法」を充実させていくには、人々の良心に呼び掛け、漸進的にそうした方向へ進んでいくことが望ましい。たとえ拘束されなくとも、総会の決議を人類の意思として尊重していく、そういう世界にする必要があるのではないでしょうか。

 国際法の充実といっても、一つ一つ細かく罰則を設けるのは所詮不可能だからであります。その点からいうと、国連で現状のように安全保障理事会だけが突出 し、総会が従属的な形になっているのは望ましいとはいえません。「人類の議会」という特色を際立たせるためにも、さまざまに工夫し、総会の強化、充実を図 るべきだと思います。

 冷戦終結、中東和平の進展など世界の緊張緩和が進み、国連総会の論議が対立から協調への流れに向かい、実りあるものとなりつつあります。その意味で機は熟しているといえましょう。

 加えて、「正義及び国際法の原則に従って」平和を維持するためには、国際司法裁判所の強化は不可欠であります。更に平和のための新しい国際戦争犯罪法廷 を機能させることが必要であり、昨年の国連総会で、戦争犯罪などを裁く目的の「国際刑事裁判所」設置に向けた決議が採択されたのは一歩前進といえましょ う。

 民族紛争が多発していることもあり、こうした裁判所の必要性が高くなっているからであります。国連を核にした国際的な立法、行政、司法機能の拡充は、21世紀の大きな課題であります。

 世界の「不戦」への道筋を考えるために、ここで核兵器を含めた兵器の問題に触れねばなりません。とりわけ、本年は広島、長崎への原爆投下から五十年を迎えるわけで、改めて核兵器を廃絶するという人類の悲願へ前進の契機にしたいものであります。

NPT(核不拡散条約)再検討 「非核地帯」を拡大

 このところやっと核問題の流れに明るさが感じられます。その一つは、懸案だったウクライナが核不拡散条約(NPT)に正式に加盟したことであります。更 に米国と旧ソ連の核を減らす第一次戦略兵器削減条約(START I)がやっと発効し、今、米国とロシアの間では第二次戦略兵器削減条約(START  II)の批准手続き、その発効後の核解体の促進に取り組むことが求められています。また、先に触れたように国連史上初めて「核廃絶」を掲げた核軍縮決議案 が国連総会で正式に採択された意義も大きい。

 本年春には、発効から25年になるNPTの再検討会議が控えております。NPTは、核保有国の増加(水平的拡散)だけでなく、核保有国の核軍拡(垂直的 拡散)を防ぐことが目的とされております。核保有国の核軍縮が遅々として進まない現在、条約に加盟している非核保有国の多くが、「無期限延長」に躊躇を示 しているといわれます。現状がこのまま固定化されてはならないとの思いからであります。

 NPTの第六条で核軍縮の効果的措置、全面軍縮の誠実な実行が約束されている以上、NPT再検討会議に際し、核保有国は核廃絶への明確な道筋を示す計画を明らかにし、その実行を約束すべきでありましょう。

 核廃絶への段階的措置として重要なものの一つは、「非核地帯」の拡大であります。「非核地帯」というのは一般的に、(1)その地域内のいかなる国も、核 兵器の実験や製造を行わず、また取得もしない、(2)地域外の国々に対しても、この地域においては核兵器の実験や配備、核脅迫、使用などを認めない、とい うことを目的としたもので、これを実現させた地域のことを指したものです。

 これまでラテンアメリカ非核化条約、南太平洋非核地帯条約が成立しており、今後その可能性が指摘されているものに東南アジア諸国連合(ASEAN)による東南アジア非核地帯条約、アフリカ統一機構(OAU)によるアフリカ非核地帯条約などがあります。

 地域内の合意と地域外の合意の二つが必要とされる「非核地帯」でありますが、これを実質たらしめるには後者の合意を欠かすことはできません。そこで、こ れを担保する国際的枠組みがポイントになります。現状で、その枠組みが稼働しているものとして第一に挙げられるのが、NPT体制でありましょう。

 そのNPT第七条には、この条約は、各国が地域的非核化条約を締結する権利に影響を及ぼすものではないとの規定がありますが、これでは消極的すぎる。むしろ「非核地帯の拡大」を推進する条項とすべきでしょう。

 第二に、二国間交渉から多国間交渉に比重を移し、国連による核兵器の国際管理を目指しつつ、最終的には核兵器禁止条約の締結を目標とすべきであります。二国間交渉はどうしても「抑止均衡」という考え方にとらわれ、究極的な核廃絶になかなか到達しない。

 たとえ、数を互いに減らすことに合意したとしても、技術開発による質の向上を止めることはできず、実質的に脅威の大きさとその破壊力は一向に減らないのです。私は、生物・化学兵器禁止条約と同様に、核兵器も製造・保有・使用を禁止する条約が必要だと考えるものです。

国連「武器移転登録制度」の義務化へ

 次に、大きな課題として通常兵器の軍縮と武器輸出の問題があります。

 核兵器や生物・化学兵器など、いわゆるABC兵器については国際的枠組みが形成されつつあるのに、通常兵器に関する規制はほとんどなされてきませんでし た。いくら戦争のない時代を到来させようとしても、現実に世界に兵器があふれていては絵に描いた餅になってしまうでしょう。

 冷戦下で兵器を大量に造り続けてきた軍事産業を縮小し解体することが大きな課題になっていますが、事はそれほど簡単ではありません。米国でもロシアでも 軍民転換は進んでいないといわれます。その理由としては、軍民転換を実際に進めるための資金が十分でないという状況があります。またその一方で、自国の政 府に頼れなくなった先進国の軍事産業は発展途上国への武器輸出に懸命になっている実態があります。

 九一年に、日本と欧州共同体(EC)が共同提案した「武器移転登録制度」が国連総会で採択され、九二年より制度が発足しておりますが、総会決議に拘束力 がないため、武器輸出の報告は加盟国の自主申告に任せられております。なるべく早く制度自体を義務的なものにしなければ、武器輸出の抑制には効果を発揮し ません。

 八年もの長きにわたったイラン・イラク戦争も、外国からの武器の供給があったからであります。武器輸出がイラク軍を強大にし、湾岸戦争にまで進んだとい われます。国際社会で武器取引の規制が進まない点で先進国側の責任は大きいと思います。世界の武器輸出の八割以上が国連安全保障理事会の五つの常任理事国 によって行われているという事態は、およそ正常なものではありません。

 世界の安全保障に責任をもつといっても、これでは説得力を欠くといわねばなりません。国連の武器移転登録制度の義務化が、すぐには難しいにしても、武器 輸出大国でもある五カ国の間だけでも、早急に輸出規制の枠組みに関して何らかの具体的な合意に達するべきではないでしょうか。武器輸出を禁止している日本 は、この問題で国際的なイニシアチブをとるべきだと思います。

 昨年九月、私は中米和平の立役者として名高いコスタリカ共和国のアリアス元大統領と会談しました。元大統領は、私どもSGIが世界各国で巡回してきた 「核の脅威展」を高く評してくださり、「非武装中立を宣言した我が国コスタリカでも開催を」と希望されました。また、持論である「世界非軍事化基金」構想 について語ってくださいました。

 これは、各国が軍縮を進める結果として、その余剰資金を第三世界の貧困の克服や教育の推進などに使用しようという案であります。私もかねてから同様の主張をしてきており、全面的に賛同しました。

 席上、アリアス元大統領は第三世界においては、「非軍事化」「非武装化」「軍隊の解体」の三点を提案したいとし、コスタリカの隣国のパナマが非軍事化し たのを評価しました。史上、隣り合う二つの国がともに軍隊をもたない初のケースであります。私たちは決して現状に悲観的になる必要はありません。多くの要 因によってもはや戦争が無益なものであり、武器を持って戦うことが割りに合わないという意識が広がりつつあります。

 むろんこれは主に先進国の事情であり、旧社会主義圏や第三世界の貧しい国では紛争はなくならないという見方もされています。たしかに、"民族浄化"など という忌まわしい言葉に出くわすと、人類の進歩にも疑問を投げ掛けざるを得なくもなりますが、とはいえ、国際世論の監視の中で、あからさまな侵略戦争など が徐々に不可能になりつつあることも事実であります。人類の未来を信じ、意識のうえでも南北のギャップを埋める努力をこれからも進めていけば、前途が開け てこないはずがありません。その点で、私は国家、民族の枠を超えて人権擁護、人道援助、平和教育などさまざまな分野の活動を行い、地球規模の一つの市民社 会を創出しつつあるNGO(非政府機関)の力がますます要請されてくると思います。

民族分断の悲劇とアジアの平和

 最後に、戦後五十年への私の所感を申し上げて今回の提言を締めくくりたいと思います。

 戦後半世紀が経過した今日、従軍慰安婦の方々の問題等、まだ戦争の傷をそのまま残して苦しんでいる人々が多数いるなかで、戦後が終わったなどと簡単にいえるものではありません。

 戦時中、軍国主義の弾圧により創価学会の牧口常三郎初代会長は獄中で殉教の生涯を終え、戸田城聖第二代会長も二年間の獄中生活を余儀なくされました。軍 国主義はまさに私たちの敵であります。同時に、戦後、私の脳裏をいつも離れなかった問題に、戦時中、日本軍国主義により多大の被害を被ったアジアの民衆の ことがあります。

 日本は侵略の歴史を永遠に忘れてはならないし、その深い反省に立って、アジアの民衆との友好交流を進め、崩れざる平和の基盤を築かねばならないというのが、私の一貫した思いであります。そうした決意から私は戦後、アジア平和への主張と行動を続けてまいりました。

 なかでもアジアの平和にとって極めて重い比重を占めてきたのが中国であり、ベトナムであり、朝鮮半島(韓半島)の情勢でありました。特に中国を国際社会 に復帰させ、日中間の友好関係を確立するという課題は、常に私の最大の関心事の一つであり、ここでは詳述しませんが、私なりに行動し、着実に友好の道を開 くことができました。

 朝鮮戦争(韓国戦争)が勃発したのは、1950年6月25日でした。その翌年5月3日に恩師・戸田先生が創価学会第二代会長に就任されたのです。就任に 先立って開かれた臨時総会(3月11日、東京・神田の教育会館)で、恩師は、朝鮮戦争に言及され、戦火のなかで塗炭の苦しみを受けている民衆のために、断 じてアジアの平和を築いていくとの烈々たる思いを語られました。

 私は、当時、23歳でしたが、この折の恩師の話は、今も鮮明に脳裏に焼き付いております。凄惨な戦争は三年後に休戦を迎えましたが、現在も、民族は分断されたままであり、離散家族の問題などまだ未解決の多くの問題を抱えています。

 一九五三年七月に調印された「休戦協定」は、今も「休戦協定」のままです。大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との最高責任者の直接対 話は、昨年、実現の寸前まで進められましたが、北朝鮮の金日成主席の死去のため、現在も、展望が開けない状況にあります。

 一方、ベトナムでも、第二次大戦後、戦火が消えることがありませんでした。フランスとの長い戦争が続き、多大の犠牲者を出しました。ようやくフランスとの戦争が終わっても、また新しい戦争が始まり、民衆は苦しみの連続でした。

 私が、恩師の後を継いで創価学会の第三代会長になった年の1960年12月には、南ベトナム解放民族戦線が成立、政府軍との戦いが激しくなっていきまし た。また、この年は社会主義陣営のなかで最も大きな影響力をもっていたソ連と中国が対立を強めて、「中ソ論争」が始まった年でもありました。

 64年12月、私は小説『人間革命』を悲惨な戦争の傷跡を残す、平和原点の地・沖縄で書き始めました。翌六五年一月から連載が「聖教新聞」で始まりまし たが、二月には米軍の飛行機による北ベトナムへの爆撃(北爆)が開始され、ベトナム戦争が一挙に拡大、ベトナムの民衆だけでなく、若いアメリカ軍兵士たち の犠牲者も増える一方でした。

 戦争の広がりは、米国と中国、ソ連など社会主義諸国との対立関係を深め、米国と中国が直接対決する事態さえ心配されるようになっていきました。

 こうしたアジアの緊張を何としても解決しなければと思い、私は翌66年11月3日、第15回男女青年部総会で、一万数千人の青年たちを前にベトナムの平 和のための提言をしました。その内容は、早急な停戦、南ベトナム解放民族戦線を含めた関係国による世界平和会議の開催、米軍のベトナムからの引き揚げの実 施、南北ベトナムへの経済援助などでした。

 67年8月24日、第10回学生部総会では「アメリカ空軍の北爆強化は、もはや米中戦争の危機さえ招かんとしている。ゆえに私は、第一に、ただちにアメ リカ軍の北爆を停止し、つぎに非武装地帯をはじめとする南ベトナム内の軍事行動や、軍隊派遣を同時に停止する」ことなどを提案しました。こうした提言を踏 まえ、私は73年1月に、米国のニクソン大統領に、戦争終結を訴える書簡を送付しました。

 75年に旧南ベトナム政府のサイゴン(現在のホーチミン市)が陥落し、統一ベトナムが誕生しましたが、そのあとも、多くの困難に直面してきました。しか し、昨年2月にはクリントン米国大統領が、ベトナムに対する経済制裁の全面解除に踏み切り、「米越正常化」へ大きな前進がありました。

 11月には、アジア・西欧15カ国が、パリで、ベトナムに対して経済改革推進のために二十億挑の援助を供与することに合意しました。本年は、東南アジア 諸国連合への加入も予定されています。ベトナムが、平和のなかで、飛躍し、発展していくことは、民衆のために、まことに喜ばしいことであります。

 このベトナムの首都ハノイ市とホーチミン市で、昨年夏、創価学会インタナショナル(SGI)とベトナム心理教育学会、ベトナム青少年保護委員会などの諸 団体が主催して「世界の少年少女絵画展」が、開催されました。これにはド・ムオイ書記長から祝福のメッセージが寄せられ、グエン・ティ・ビン副大統領はじ め各界来賓も鑑賞されました。

 ド・ムオイ書記長のメッセージには「この展示会を機に、私はベトナムの少年少女と世界中の少年少女がいつまでも幸せで、平和に暮らし、自分たちの美しい 夢が実現できることを希望してやみません」とありました。戦後長く私どももまたそのことを切望しており、感無量の思いがありました。

青年の力で新時代の幕開けを

 平和な国際環境をともどもに創造しながら、教育・文化交流を推進することによって、相互理解と友好関係が深まり、アジア、世界の未来が一層明るいものとなっていくように更に尽力したいと思っております。

 ベトナムと韓国・北朝鮮は、第二次大戦後も長く平和からほど遠い道を歩いてきたという面でも共通していますが、同民族が北と南に分断されたまま、外国軍の介入を背景に、同民族が銃口を向け合うという悲劇も、ともに体験してきました。

 ベトナムは、75年に戦闘を終結させ、翌年7月、「ベトナム社会主義共和

国」として南北を統一しました。一方、韓国・北朝鮮では、現在も、南北間の平和、交流、協調への道が模索されている状態です。最大の障害である北朝鮮の 「核開発問題」をめぐって、米朝間の合意がなされましたが、米議会のなかでの強い反対が表面化するなど、依然として前途には難関が予想されます。しかし、 対話を通して、南北間、米朝間で決められた事項のもつ意義は決して過小評価してはならないと思います。

 対話の過程に見られる紆余曲折に一喜一憂することなく、また、合意事項の実現への伸展の遅さにも決して悲観的にならず、漸進的に、対話を積み重ね、一つ一つを現実化していく地道な実践のなかにしか平和な未来の創造はありません。

 現在の最大の障害となっている「核開発問題」は、重要な問題であるだけに、長期化することが予測されます。米朝合意に基づく「軽水炉支援問題」も、また「使用済み燃料棒問題」も短期間で解決するものではありません。

 こうした長い期間を必要とする大きな課題と切り離して、すでに実現可能なことが少なからずあります。また、南北離散家族の再会事業のように、人道的にも、高齢者の健康問題からも緊急な課題もあります。

 韓国側からは、学者・業界間交流の拡大とともに、非武装地帯生態系調査、黄海共同調査、科学技術用語標準化、南北大陸棚共同開発、共同研究所の設置、精製石炭活用技術等関連技術共同開発などの具体的な提案もされています。これらは、南北双方の利益に合致するものです。

 こうした協力可能な分野での交流を推進するとともに、南北合意事項のなかで速やかに実施しなければならない南北離散家族の再会事業、また、鉄道、道路、 海路、航路の開設など将来的に必ず必要となる事業から着手していくことによって、新しい展望も開かれてくるでありましょう。

 「民族融和」への道は、信頼関係、協力関係を着手可能なところから地道に築いていくなかにあると私は確信しております。

 昨年11月、福岡市の福岡ドームで、創価学会創立65周年、国連創設50周年を祝賀する「アジア青年平和音楽祭」を開催いたしました。そのなかで韓国の 青年たちは民族伝統の「農楽」を舞いました。その躍動感にあふれた楽しいリズム、溌剌とした青年の姿に、私は民族の不死鳥のようなたくましい生命力と、新 しい時代の到来を強く感じました。この青年たちの輝かしい未来のためにも、この一年がアジアの平和への確かな前進をしるすものとなるよう念願してやみませ ん。

 本年の1月26日をもって、SGIは発足満20年を迎えます。これまで、世界各地にあって、メンバーはそれぞれの使命と責務に徹した活動を続けてきまし た。その多大な尽力に私は衷心より敬意を表するものであります。とともに、21世紀へ向けて、世界に確固たる平和勢力としての根を張る戦いを、人間の連帯 を築きながら、今後も展開することを誓い合いたい。

 ここで、SGIの基本路線を改めて確認しておきたい。

 第一に、SGIのメンバーは、自国の文化・風俗や法律を尊重しつつ、よき市民として、それぞれの社会の繁栄に貢献することを目指す。

 第二に、SGIのメンバーは、生命の尊厳を根本的に説き明かした日蓮大聖人の仏法に基づき、恒久平和実現と人間文化・教育の興隆を目指す。

 第三に、SGIのメンバーは、戦争をはじめとするあらゆる暴力を否定し、人類の幸福と世界の繁栄に尽くしゆくことを目指す。そのために核兵器廃絶と世界不戦の実現を大きな目標とし、国連憲章の精神を支持し、世界平和維持の努力に協力する路線を進む。

 以上の三点を我がSGIの基本路線とし、これからも「人間主義」の旗を高く掲げて、世界に友情のネットワークを広げながら、ともどもに前進したいと願うものであります。

1995.01.24

(C)Daisaku Ikeda
 本日、まことに輝かしき伝統と傑出(けっしゅつ)した業績を誇る、ここ東西センターにおきまして、講演の機会をいただきましたことは、私のこの うえない光栄と思っております。

 ご尽力くださったオクセンバーグ理事長ならびにマツナガ平和研究所のグアンソン所長をはじめ、ご関係の方々に深く感謝申し上げるものであります。ありがとうございました。

 また、このたびの阪神大震災に対し、諸先生方から真心こもる、お見舞い の励ましをいただきました。この席をお借りいたしまして、謹(つつし)んで御礼申し上げます。

 万人を魅了してやまない、ここハワイの天地には、「人間」と「自然」との抱擁(ほうよう)があり、「東」と「西」との握手があります。「文化の多様性」の調和があり、「伝統」と「近代化」との融合があります。

 私は、ハワイこそ、「平和」と「人間」という人類の根本課題を探究する格好の舞台であると信ずる一人であります。

 私自身、世界への旅を、ハワイより開始いたしました。1960年--奇(く)しくも、貴センターが創設された、その年のことであります。

 日本の軍国主義によって、太平洋戦争の開戦という悲劇が刻まれた、このハワイから、人類の平和の旭日を輝かせていきたい--これが、青春の日より、私が抱(いだ)いてきた熱願なのであります。

世紀の悲劇が告げているもの

 翻(ひるがえ)って、眺望(ちょうぼう)すれば、20世紀は、一言でいって、あまりに人間が人間を殺しすぎました。

 「戦争と革命の世紀」と形容されるように、二度にわたる世界大戦や相次いだ革命など、今世紀は、かつてない血なまぐさい激動の連続であったと言ってよいでしょう。

 科学技術の発展が、兵器の殺傷力を飛躍的に高めたこともあって、両度の世界大戦などの死者は約一億人にも及び、その後の冷戦下から現在に至るまで、地域紛争等による犠牲者も、2000万人以上にのぼるといわれております。

 とともに、「南」と「北」の貧富の差は拡大し続け、約八億もの人々が飢(う)えており、幾万の幼(おさな)い尊き命が、日々、栄養不良や病(や まい)で失われております。この構造的暴力から、決して目をそらすことはできません。

 更に多くの識者が危惧(きぐ)するように、東西を問わず蔓延(まんえん)する"精神の飢餓(きが)"は、物質的な繁栄の空虚さを物語っております。

 こうした計り知れない人柱(ひとばしら)をもって、20世紀の人類が贖 (あがな)ってきたものは、いったい何だったのか--世紀末を迎え、一段と混迷の度を加えつつある現状を前に、だれしも痛恨(つうこん)の情を抑 えることができないのではないでしょうか。

一人一人の人生の蘇生が根本

 私の胸には、大乗仏教の真髄(しんずい)たる「法華経」の一文が迫ってくるのであります。

 「三界は安きことなし 猶(なお)火宅(かたく)の如(ごと)し"衆苦充満して"甚(はなは)だ怖畏(ふい)すべし」--この現実世界は、安心できるところではない。ちょうど燃えている家 のごとくである。多くの苦が充満しており、はなはだ恐るべきである-- と。

 苦悩と恐怖の炎(ほのお)に焼かれる民衆への限りなき同苦であります。  この悲惨な絵巻を直視しつつ、「法華経」には、こう宣言されておりま す。

 「応(まさ)に其(そ)の苦難を抜き、無量無辺の仏智慧(ぶつちえ)の 楽を与え、其れをして遊戯(ゆげ)せしむべし」--まさに、人々の苦しみを抜きとり、無量無辺の「仏の智慧」の楽しみを与えて、遊戯(ゆうぎ)できるようにしてあげたい--と。

 ここに、仏法の出発点があります。  そして、それは、この現実社会の真っただ中に、安穏(あんのん)なる楽 土を断固として築かんとする、ダイナミックな行動へと脈動していくのであ ります。

 その基軸は、あくまでも、民衆一人一人の生命の変革による「生活」と 「人生」の蘇生であります。  私の恩師である戸田城聖・創価学会第二代会長は、これを「人間革命」と 宣言いたしました。

 思えば、19世紀の進歩主義思想に酔(よ)いしれた人類は、社会及び国 家の外的条件を整えることにのみ狂奔(きょうほん)し、それをもって幸福 への直道(じきどう)であるかのごとき錯覚に陥(おちい)ってしまったの であります。

 しかし、「人間」それ自身の変革という根本の一点を避(さ)けてしまえ ば、せっかくの平和と幸福への努力も、かえって逆効果となってしまう場合さえある。ここに、20世紀の最大の教訓があったとはいえないでありまし ょうか。

 大変、意を強くしたのは、安全保障問題の権威者でもあられるオクセンバーグ理事長も、私と同じような感触をもっておられるということであります。

 昨年秋、東京でお会いした際、理事長は、こう述べておられました。

 「--精神が空洞(くうどう)化すると、人々は『不安』をもちます。

『安定』できない。一人一人が『安心』を感じない。

 これでは、国家は人々に真の『安全』を保障できません。--真の安全保障は、国家だけでなく、文化そして個人まで、その視野に入れなければなり ません」と。

 私も、まったく同感であります。  いかなる困難、悪条件にも揺(ゆ)るがない確たる内面世界、すなわち不 動の"汝(なんじ)自身"を築き上げていく。

 その内なる生命の変革--すなわち「人間革命」から、社会の変革を志向 していくことこそ、「恒久平和」の道を開き、「人間のための安全保障」を 可能ならしむる王道であると、私は思うのであります。

 こうした観点に立って、私は、21世紀へ向け不可避と思われる発想の転換を、第一に「知識から智慧へ」、第二に「一様性から多様性へ」、そして 第三に「国家主権から人間主権へ」という三点にわたって、提案してみたいと思います。

 まず第一は「知識から智慧へ」という命題であります。

 私の恩師・戸田会長は、「知識を智慧と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄(めいもう)である」と鋭く見破っておりました。

 たしかに、現代人の知識量・情報量は50年前、百年前に比べて飛躍的に 増大しておりますが、それがそのまま幸福をもたらす智慧につながっている とは、とうてい言えません。

 むしろ「知識」と「智慧」のはなはだしいアンバランスが不幸をもたらす場合があまりにも多い。それは、近代科学の粋(すい)が核兵器に直結して いることや、先ほど申し上げた「南北の格差」の広がりなどに、如実に表れております。

 空前の高度情報化社会を迎えた今、膨大(ぼうだい)な知識や情報を正しく使いこなしていく「智慧」の開発は、いよいよ重大な眼目となっているの ではないでしょうか。

 たとえば、発達した通信技術は、民衆の「恐怖」と「憎悪(ぞうお)」を煽(あお)るために悪用される場合もある。その一方で、教育の機会を世界 に拡充するために活用することもできます。

 それを分かつのは、人間の「智慧」と「慈愛」の深さなのであります。

 仏法は、一貫して、人間生命の慈悲に基づく「智慧」に焦点を当ててきました。

 私どもの信奉する仏法に、こういう一節があります。

 「仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、 若(も)し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬(たと)えば貧窮(びんぐ)の人日夜に隣(となり)の財(たから)を計(かぞ)へたれども半銭の 得分もなきが如し」(一生成仏抄)--仏教を習ったとしても、自分自身の心の本性(仏性)を内観しなけれ ば、まったく、生死の苦しみから離れることはできない。

 もし、心の外に道を求めて、万行万善を修めたとしても、それは、たとえば貧窮(ひんきゅう)している人が、日夜にわたって、隣の人の財産を数え たとしても半銭の得もないようなものである--と。

 仏教をはじめとして、総じて東洋的思考の特徴は、一切の知的営為が、「自己とは何か?」「人間いかに生くべきか?」といった実存的、主体的な 問いかけと緊密に結びついて展開されている点にあります。

 この一文も、その象徴的事例といえましょう。

 目先の争いより共通課題へ目を

 最近、水などの資源をめぐる地域紛争が憂慮されておりますが、それに関 連して、私が思い起こすのは、故郷での水争いに対して示した釈尊の智慧で あります。

 --釈尊が、布教のため、故郷の一帯を遍歴していた折(おり)のことである。干ばつのため、二つの部族の間を流れる川の水量が乏(とぼ)しくなり、争いが起こった。

 彼らは、互いに一歩も譲(ゆず)らず、武器を手に、流血も辞さないという事態となった。  まさに、その時、釈尊は、自ら分け入って、こう呼びかけたのでありま す。

 「殺そうと闘争する人々を見よ。武器を執(と)って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」

 武器を持つからこそ、恐怖が生ずる--この明快なる一言には、皆の目を覚(さ)まさせる響きがあった。

 人々は武器を捨て、敵、味方ともに一緒になって、その場に腰をおろした。

 やがて釈尊は、目先の"いさかい"よりも、更に根源的な恐怖である「生 死」について語り始めた。

 誰人(だれびと)も避けえぬ「死」という最大の脅威を、いかに打開し、 安穏の人生を生きゆくか--人々の心に染(し)み入るように、釈尊は訴え ていったというのであります。

 たしかに、現代の複雑な葛藤(かっとう)と比較すれば、素朴(そぼく) にすぎるエピソードであるかもしれません。

 旧ユーゴスラビアをめぐる紛争にしても、そのルーツをたどると、二千年近くも遡(さかのぼ)ってしまう。

 その間、東西キリスト教会の分裂あり、オスマン・トルコによる征服あ り、今世紀には、ファシズムやコミュニズム(共産主義)による蹂躙(じゅ うりん)ありで、民族や宗教がらみの敵意は、想像を絶する根の深さ、すさ まじさであります。

 少し、その経緯をたどっただけでも、それぞれの勢力が、歴史的な見地か ら差異を強調しあい、自己の正当性を言い立てていては、とても収拾(しゅ うしゅう)がつきません。

 しかし、だからこそ、釈尊の勇気ある対話が垂範(すいはん)するごとく、人間を分断するのではなくして、人間としての共通の地平を見いだそう とする智慧、すなわち、思い切った精神の跳躍(ちょうやく)が要請されて いるのではないかと思うのであります。

 そして、仏教は、そのための無限の宝庫たりうるでありましょう。

 慈悲の行動で胸中から智慧が

 仏典には、平和への英知の言句(げんく)は、枚挙(まいきょ)にいとまがありません。

 たとえば、日蓮大聖人の一文には、平和や安全の危機と、人間生命の内的な要因との連関について、こう洞察されております。

 「三毒がうじやうなる一国いかでか安穏なるべき(中略)飢渇(けかち)は大貪(だいとん)よりをこり・やくびやうは・ぐちよりをこり・合戦は瞋恚(しん に)よりをこる」  --貪(むさぼ)り、瞋(いか)り、癡(おろ)かさという三種の生命の毒が強盛(ごうじょう)な国が、どうして安穏でいられようか。......飢饉 (ききん)は、激しい貪(むさぼ)りの心から起こり、疫病は癡(おろ)かさから起こり、戦争は瞋(いか)りの心から起こる--と。

 こうした欲望や憎悪にとらわれた、個人的自我としての「小我」を打ち破り、民族の心の深層をも超えて、宇宙的・普遍的自我である「大我」へと生 命を開き、充溢(じゅういつ)させていく--その源泉こそ、仏法が明かし た智慧なのであります。

 この智慧(ちえ)は、どこか遠くにあるのではない。「足下(そっか)を掘れ!そこに泉あり」というごとく、汝自身の胸奥(きょうおう)に開かれ ゆく「小宇宙」そのものに厳然と備わっているのであります。

 そして、その智慧は、人間のため、社会のため、未来のため、勇猛(ゆうもう)なる慈悲の行動に徹しゆく中に、限りなく湧(わ)きいずるものであります。

 この「菩薩(ぼさつ)道」を通して薫発(くんぱつ)される智慧をもって、エゴイズムの鉄鎖(てっさ)を断ち切っていく--。その時、もろもろ の知識もまた、地球人類の栄光の方向へ、生き生きと、バランスよく回転を 始めるのではないかと私は考えるのであります。

 第2の発想転換 多様性の調和へ

 第二に申し上げたいのは、「一様性から多様性へ」の発想の転換でありま す。

 私は、「国連寛容年」の開幕にあたり、多様性の象徴ともいえる"虹(にじ)の島"ハワイにおいて、このテーマに言及することの意義を、深くかみしめております。

 「多様性の調和と融合」という、これからの人類の第一義の課題に、最先端で取り組んでおられるのが、皆さま方だからであります。

 その尊い挑戦は、さながら、溶岩(ようがん)で覆(おお)われた不毛の大地に真っ先に根を張り、深紅(しんく)の花を咲かせゆく、あの「オヒアの樹」にもたとえられましょう。

 思えば、近代文明は、富の蓄積だけをめざす経済成長路線に象徴されるように、人間や自然の多様な個性を切り捨てて、ひたすら一元化、一様化され た画一的な目標を追い続けてきました。

 こうして突き進んだ結果、遭遇(そうぐう)しているのが、環境破壊をは じめとする、深刻な「地球的問題群」であります。  未来の世代に連帯する「持続可能な人間開発」が必須(ひっす)とされる ゆえんであります。

 その反省の眼が、人間や社会、自然の多様化、多様な個性の見直しへと向かいゆくのは、いわば当然の推移ではないでしょうか。

 環境運動のパイオニアであった海洋生物学者・カーソン女史の卓見を、今ここに想起するのは、私一人ではないと思います。

 亡くなる一年前の1963年、女史はこう語りました。女史の遺言(ゆいごん)ともなった言葉であります。

 「この世代に生きる私たちは、自然と折り合っていかなければならないと私はかたく信じております。そして、私たちは、自然の支配に熟達(じゅくたつ)す るのではなく、私たち自身を制御する面で熟達することを、今日ほど強く求められたことはなかったと考えております」(ポール・ブルックス 著『レイチェル・カーソン』、上遠恵子訳、新潮社刊から) 近年、より一層、環太平洋にスポットが当てられているのも、多彩な民族、文化、言語に満ちたこ の地域こそが、人類融合への壮大な「実験の海」と期待されるからであります。

 その中心にあって、多様な文化を受け入れ、異質な価値観を認め合いなが ら、共生の道を模索してこられたハワイの天地は、環太平洋文明の貴重な先例として、ますますその光彩を放っていくにちがいありません。

 縁起観は「個性の尊重」を教える

 ところで、この多様性という点でも、仏教の叡智(えいち)には、多くの 示唆(しさ)が含まれていると、私は思っております。  なぜなら、仏教でいう普遍的価値は、徹底して内在的に追求されるため、 画一化し、一様化しようとしても、不可能だからであります。

 仏典に「桜梅桃李(おうばいとうり)の己己(ここ)の当体を改めずして」とあります。すべてが桜に、あるいはすべてが梅になる必要はない。なれるはずも ない。桜は桜、梅は梅、桃は桃、李(すもも)は李として、それぞれが個性豊かに輝いていけばよい。それが一番正しいというのであります。

 もとより「桜梅桃李」とは一つの譬喩(ひゆ)であって、それが人間であれ、社会であれ、草木国土であれ、多様性の重視という点では原理は同じでありま す。 「自体顕照(じたいけんしょう)」というごとく、自らの本然の個性を、 内から最高に開花させていく。しかも、その個性は、いたずらに他の個性とぶつかったり、他の犠牲の上に成り立つものではない。

 相互の差異を慈(いつく)しみながら、花園のような調和を織(お)り成 していく。そこに、仏教の本領があるのであります。

 仏典には、

 「鏡に向って礼拝(らいはい)を成す時浮べる影又(また)我を礼拝するなり」  --鏡に向かって礼拝すれば、映る姿もまた、私自身を礼拝するのである --という美しい譬(たと)えがあります。

 仏教の精髄ともいうべき、万有(ばんゆう)を貫く「因果律」の上から、他者の生命への尊敬が、そのまま鏡のごとく、自身の生命を荘厳していくという道理が示されているのであります。

 このように、人間や自然の万象は、縁(よ)りて生起する相互関係性のなかで、互いの特質を尊重し、生かし合いながら存在していくべきことを促 (うなが)しているのが、仏教の縁起(えんぎ)観なのであります。

 自分と異なるニ人をこそ尊敬

 しかも、その関係性は、まぎれもなく、万物と連(つら)なりあう宇宙生命への直観に基づくものであります。なればこそ仏法では、"森羅万象のかけがえのない調和を絶対に壊(こわ)してはならない"として、一切の暴力を否定するのであります。

 その点、貴大学のアンソニー・マーセラ教授の次の言葉は、この縁起観の本質を詩的に、素晴らしく表現されております。

 「自分の中にある生命力は、宇宙を動かしコントロールする力と同じものであるという自明の事実を受け入れ、であるがゆえに、その不思議さを謙虚 に受けとめると同時に、これまでにない確信で、生命というものに対して新しい畏敬(いけい)の念をもって接する。

 自分は生きている"自分は、大きな生命の一部である"」と。

 「生命」という最も普遍的な次元への深き眼差(まなざ)しは、そのまま、「生命」の無量の多様性への「共感」となって広がっていくものであり ます。

 「平和学」の創始者であられるガルトゥング博士が、いみじくも喝破(かっぱ)されたごとく、さまざまな暴力の根底には、この「共感」の欠如(けつじょ)があります。

 現在、博士と私は、対談集の発刊を進めております。その中で、自分と異なっているからこそ、自分を豊かにしてくれる「他者」と、いかに積極的に 交流していくか、そのための青少年の教育をめぐって語り合いました。

 こうした「開かれた共感」を育(はぐく)むことによって、多様性は、創造力の触発へと生かされ、「共栄」の時代、「共存」の文明の土台となりゆ くことを、私は確信してやまないのであります。

 私どもが、世界に「文化の交流」を結んでいるのも、この信念からであることを、申し添(そ)えさせていただきます。

 第三に、「国家主権から 人間主権へ」の発想の転換であります。

 20世紀の相次ぐ争乱の主役を演じてきたのは、何といっても主権国家であります。

 国権の発動としての近代戦争は、ほとんど有無(うむ)をいわせず、すべての国民を大いなる悲劇へと巻き込んでまいりました。

 両大戦ののち、苦渋(くじゅう)の経験を踏まえて、国際連盟や国際連合が結成されたのも、一面から言えば、何らかの形で、国家主権を制限し、相対化しる上位のシステムを作り出そうとの試(こころ)みであったと思う のであります。

 しかし、その意欲的な試みも、今なお"日暮れて道遠し"の感はいなめません。

 国連はソフト・パワーを基軸に

 幾多の難題を抱(かか)えながら、本年、国際連合は、満五十歳を迎えようとしております。

 私は、"人類の議会"たるべき国連は、あくまで対話による「合意」と「納得」を基調としたソフト・パワーを軸にして、従来の軍事中心の「安全保障」の考え方から脱却しつつ、機能の強化を図っていくべきであると信じる一人であります。

 たとえば、「環境・開発安全保障理事会」の新設など、新たな活力をもって、「人間のための安全保障」に取り組んでいくことが望まれております。

 その際、何といっても、すべてのベースになるのは、国連憲章が「我ら人 民は」と謳(うた)い上げているように、「国家主権から人間主権へ」の座 標軸の変換であります。

 そのためにも大切なのは、「人類益」(人類全体の利益)という幅広い視野をもった世界市民を育成し、その連帯を広げゆく草の根の教育運動ではないでしょうか。

 意義深き国連創設五十周年の節にあたり、私どもも、NGO(非政府機関)として、青年を中心に更に力強く、グローバルな意識啓発を推進しゆく所存であります。

 ナショナリズムは集団力の崇拝

 この「国家から人間へ」という転回を、仏法者の立場からいえば、一個の人間として、巨大な権力にも毅然(きぜん)と対峙(たいじ)し、権力を賢明に相対化していける人格を、どう形成すべきか? という主題であります。

 20数年前、イギリスの歴史学者・トインビー博士は、私との対談の中で、"ナショナリズム(民族主義)は、人間の集団の力を信仰の対象とする宗教である"と位置づけておりました。

 これは、国家のみならず、今日、世界各地で地域紛争を激化させている『自民族中心主義』にも当てはまるでありましょう。

 こうした人類の生存を脅(おびや)かす、狂信的ナショナリズムなどの諸悪と対決し、克服しゆく力を、トインビー博士は、未来の世界宗教に要望されたのであります。

 なかんずく、博士が、「普遍的な生命の法体系」を説いた仏法に深い期待を寄せられていたことを、私は忘れることができません。

 たしかに、仏教の伝統は、人間の内なる「真理の法」に立脚して、権力というものを超え、それを相対化しゆく、実に豊かな水脈を有しております。

 たとえば、釈尊は、セーラというバラモンから「王の中の王として、人類の帝王として、統治(とうち)をなさってください」と懇願(こんがん)された時、「セーラよ、私は王ではありますが、無上の真理の王です」と応じているのであります。

 総合的安全保障へ「七つの道」

 また、覇権(はけん)主義の大国、マガダ国が、共和国を形成していたバッジ族を根絶しようとした際、釈尊がそれを思いとどまらせた有名なドラマも、まことに印象的であります。マガダ国は当時のインドの一番の強国でありました。

 傲然(ごうぜん)と、侵略の意向を伝えに来たマガダ国の大臣を前にして、釈尊は、そばにいた門下に、バッジ族について七つの質問を発した。

 それは、敷衍(ふえん)して申し上げれば、

1.「会議・協議」を尊重しているか?

2.「協同・連帯」を尊重しているか?

3.「法律・伝統」を尊重しているか?

4.「年配者」を尊重しているか?

5.「女性や子ども」を尊重しているか?

6.「宗教性・精神性」を尊重しているか?

7.「文化の人・哲学の人」を、内外を問わず尊(たっと)び、他国にも

開かれた交流を重んじているか?

 の七ポイントであります。

 答えは、いずれも「イエス!」でありました。それを受けて釈尊は「この 七つを守っているのが見られる限りは、バッジ人には繁栄が期待され、衰亡 (すいぼう)はないであろう」と語り、その征服が不可能であることを諭 (さと)したのであります。

 これが、釈尊の最後の旅で説かれた「七不退法」すなわち、共同体を衰えさせないための七種の原則であります。 現代的にいえば、まさしく「安全保障」の 具体的な指標として、「軍備」 ではなく、「民主」や「人権」や「社会開発」等の観点が提唱されていることは、刮目(かつもく)に値(あたい)するところでありましょう。

 世俗の権力を前にして、「無上の真理の王」たる釈尊の威風と威光を伝え、面目躍如(めんもくやくじょ)たるエピソードの一つであります。

 この点、日蓮大聖人も、1260年(文応元年)、「民衆の嘆きを知らない」最高権力者に対して、有名な「立正安国論」を送り、烈々たる諫暁(かんぎょう)を行いました。

 以来、命に及ぶ迫害の連続にありながら、「王地に生れたれば身をば随(したが)えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」--王の支配する地に生まれたがゆえに、身は権力に従えられているよう であっても、心は絶対に従えられません--。

 また、「願(ねがわ)くは我を損ずる国主等をば最初に之(これ)を導かん」  --願わくは、私を迫害した国主等を、最初に導いてあげよう--。

 更に、「難来(きた)るを以(もっ)て安楽と意(こころ)得可(うべ)きなり」  --難が来たことをもって、安楽と心得るべきである--等の珠玉の言葉を残しております。

 儚(はかな)き無常の権力を見おろしながら、我が生命の「永遠の法理」に根差して、非暴力の人間主義を貫いていった姿であります。

 こうした大闘争の真っただ中にこそ、何ものにも侵(おか)されぬ、金剛不壊(こんごうふえ)の「安楽」の境涯があると私は信ずるのであります。

 まことに、屹立(きつりつ)する人間の尊厳性の比類なき宣言といえましょう。

 それはまた、新世紀の地球文明を担いゆく世界市民たちの心に、深く強く、魂の共鳴を奏(かな)でゆくでありましょう。

 民衆が「人間革命」のスクラムを

 以上、三つの発想の転換をめぐって、私なりの考察を申し上げました。

 その帰結するところは、生命の内なる変革、すなわち「智慧」と「慈悲」 と「勇気」の「大我」を開きゆく「人間革命」であります。

 この一人の人間における本源的な革命が、賢明なる民衆のスクラムとなって連動しゆく時、その潮流は、「戦乱」と「暴力」の宿命的な流転(るてん)から、必ずや人類を解(と)き放つであろうことを私は信じてやまない のであります。

 あの大戦中、創価教育学会の創立者である牧口常三郎初代会長は、軍部権力と昂然(こうぜん)と戦い、獄中にあっても信念の対話を続け、判事や看守まで仏法に導きながら、73歳で獄死しております。

 その精神を受け継ぎ、私は、35年前、ここハワイから、世界の民衆との対話を開始しました。

 これからも生ある限り、「希望と安穏の21世紀」を創(つく)るため 、諸先生方とともに、偉大なる平和への智慧を涌現(ゆげん)し、結集させていく決心であります。

 「一人で全世界に立ち向かい給え」

 結びに、このテーマを生涯を通じて追求した偉大な先達(せんだつ)であり、私が敬愛してやまないマハトマ・ガンジーの言葉を添えて、講演を終わらせていただきます。

 「たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かい給(たま)

え!

 世界から血走った眼で睨(にら)まれようとも、君は真っ向

から世界を見すえるのだ。

 恐れてはならない。

 君の心に響く、小さな声を信じ給え!」

 (『私の非暴力』から)

 ご清聴、ありがとうございました。

 マハロ(ありがとうございました)

1995.01.28

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