1996年6月アーカイブ

「新しき千年」に「生命尊厳の文明」を

 ブエナス・タルデス(こんにちは)!

 尊敬するハルト文化大臣、尊敬するヴェーラ総長。尊敬するマルティ副大臣。またアジア外交団の諸先生方はじめ、ご臨席の皆さま。そして、英知の顔(かんばせ)輝く、若き学生の皆さま。

 ただ今、キューバ共和国の誉(ほま)れある「フェリックス・バレラ最高勲章(文化功労の最高勲章)」、また二百七十年に及ぶ荘厳なる伝統のハバナ大学から「名誉文学博士号」を賜(たまわ)り、これほどの光栄はありません。 心より御礼申し上げます。

「諦めない人間」

 私は、この栄誉を、私の恩師である戸田第二代会長に、捧(ささ)げたいと思うのであります。

 貴国の偉大なる精神の父であり、共和国の英雄であるホセ・マルティは、「民衆が疲(つか)れても、決してあきらめない人間」に、歴史変革の光明を求めております。

 わが恩師は、まぎれもなく、そうした勇者の一人でありました。 一国をあげて、アジアへの侵略戦争に暴走しゆくなか、恩師は、先師・牧口初代会長とともに、日本の軍部ファシズムに抵抗し、投獄(とうごく)されました。 しかし、二年間の獄中闘争を敢然(かんぜん)と勝ち越え、獄死した牧口の平和への遺志を受け継(つ)ぎ、五十一年前、敗戦の焼け野原に一人立ったのであり ます。

 その出獄の日が、まもなく巡(めぐ)り来る七月三日であります。

 「人間の尊厳と相(あい)いれないものは、すべて滅(ほろ)びる運命にある」というホセ・マルティの信念は、そのまま恩師の歴史観でもありました。 ゆえに恩師は、「人間の尊厳」なかんずく「生命の尊厳」に一切の焦点(しょうてん)を当てました。 民衆一人一人が、尊極(そんごく)なる「生命」の価値に目覚(めざ)め、生活に、人生に、社会に価値を創造していく――この"内面の変革"を基軸とする 「人間革命」という大道を、恩師は踏み出したのであります。

冷戦の中、「地球民族主義」を提唱

 冷戦が激化するなかで、恩師は、敢然と「地球民族主義」の理念を提唱いたしました。

 その志向するところは、現代的にいえば、「トランス・ナショナル」、すなわち、偏狭(へんきょう)な民族中心主義を克服し、人類の共通の課題に挑(い ど)みゆくことにあります。 ここに、仏法の人間主義を基調として、世界の民衆を結びゆく、私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動の原点があります。
二十一世紀に始まる新しい千年には、「人間の尊厳」を基盤とした、"希望"と"調和"の文明を、断固として築いてまいりたい。 その深き願いをこめ、本日は、「新世紀へ 大いなる精神の架橋(かきょう)を」と題して、ホセ・マルティの思想と対話を交わしながら、若干の考察を加えさ せていただきたいと思うのであります。

 私が注目したいのは、ホセ・マルティが不可欠としていた「詩心(しごころ)」による"個と全体の架橋"であります。 人間の心の律動を、大宇宙、大自然のリズムと和合させながら、悠久(ゆうきゅう)なる時空(じくう)のなかで、幸福へ、平和へと高め、開いていく――それ が、「詩心」といってよいでありましょう。 古来、"人間"と"社会"と"宇宙"を結ぶ架橋の役割を担(にな)ってきたのが、生命に躍動する「詩心」でありました。

断片化した個人

 現代社会から、「詩心」の喪失(そうしつ)が指摘されて久しくなりますが、それは、現代人が、"断片"と化し、閉ざされた空間で呻吟(しんぎん)してい る証左(しょうさ)といわざるを得ません。 だからこそ、「詩で教育せよ!」というホセ・マルティの呼びかけが、強く迫ってくるのであります。

 "人間の目が、かつて見たこともないほど美しい"とたたえられるカリブの島に、人情味あふれる人生模様を織(お)り成(な)すキューバ。 その街角で、浜辺で、そして何げない会話のなかで、多くの詩が自然に語り合われている――なんと心豊かな光景でありましょうか。 貴国の人々は、ホセ・マルティがいう「魂(たましい)の叫びである詩の翼(つばさ)」を育(はぐく)んでおられるように思えてなりません。

 それは、世界的に文学の衰退(すいたい)が憂慮(ゆうりょ)されるなか、貴国をはじめラテン・アメリカ文学が、ひときわ活況(かっきょう)を呈し、旺盛 (おうせい)な生命力をたたえている事実からも、うかがわれるのであります。 ホセ・マルティの名が、その第一ページに記(しる)されている、文学史上に不滅の「モデルニスモ(近代主義)」運動しかり、詩人のギリェンに象徴される 「ネグリスモ(黒人芸術)」の運動も、またしかりであります。

 これらの精神的営為(えいい)は、とりもなおさず、自らが何者であるかを真摯(しんし)に模索(もさく)し、みずみずしい「生の全体性」を回復せんとする運動であった、といってもよいのではないでしょうか。

 ホセ・マルティが、同じく詩人であったホイットマンに託して述(の)べた次の言葉は、そのまま自身の心からの感慨であったにちがいありません。

 「彼(ホイットマン)にとって無縁なものはなにもありません。彼はあらゆるものに気を配っています。枝をはうかたつむり、不可思議なまなざしで彼を見つ める牛」「人間は両腕(りょううで)を広げて、自分の胸にすべてのものを抱擁(ほうよう)しなければなりません」(神代修訳『キューバ革命思想の基礎』理 論社刊から)と。

 響(ひび)き合う「詩心」は、生き生きと、宇宙のすべてに、自己との関連性を見いだしていこう、とするのであります。

眼は日月、髪は星、皮は大地、毛は林

 仏典では、人間の生命と宇宙の活動との"相応性(そうおうせい)"を、具体的に、次のように説いております。 「鼻の息(いき)の出入(でいり)は、山沢渓谷(さんたくけいこく)の中の風に法(のっ)とり、

 口の息の出入は、虚空(こくう)の中の風に法とり、

 眼(め)は日月に法とり、開閉は昼夜(ちゅうや)に法とり、

 髪(かみ)は星辰(せいしん)に法とり、眉(まゆ)は北斗に法とり、

 脈は江河に法とり、骨は玉石(ぎょくせき)に法とり、

 皮肉は地土に法とり、毛は叢林(そうりん)に法とり」と。

 このように、仏教は、人間の内なる「小宇宙」と、外なる「大宇宙」との密接不可分な関係性を、精妙に説いているのであります。 それは、大宇宙のリズムに調和し、共鳴しゆく、人間の「生の全体性」であります。 宇宙の森羅万象(しんらばんしょう)は、"一念"、すなわち、人間の「心」に包括(ほうかつ)される。と同時に、その"一念"は、森羅万象に脈動(みゃく どう)し展開していくのであります。

この法理は、「人間は統一された宇宙」というホセ・マルティの洞察(どうさつ)とも呼応しております。

立ち上がれ! そこに太陽が輝く

 わが"一念"の変革は、「詩心」の薫発(くんぱつ)とも連動しております。この"一念"の拡大が、他者と共感し、周囲へ貢献(こうけん)を広げつつ、生 命の内奥(ないおう)から、智慧(ちえ)と慈悲の太陽を輝かせていくのであります。 これこそ、万人に平等に開かれた、「人間の尊厳」また「生命の尊厳」の光彩でありましょう。

 この内なる太陽を昇らせゆく「人間革命」こそが、"人間"の連帯を強め、"社会"の繁栄をもたらす。そして、"世界"の平和を創出する基点となるにちが いありません。 波乱万丈(はらんばんじょう)の人生にあって、ホセ・マルティは悠然(ゆうぜん)と、「いかなる場所であろうとも、人間がしっかり立ち上がれば、太陽はそ こで輝いている」と語っておりました。

 ホセ・マルティが、ラテン・アメリカが抱(かか)える問題を掘(ほ)り下げたエッセーを『根源へ』と題した時、まさに、人間の内面の根源的な変革を志向 していたのではないでしょうか。 ホセ・マルティは、徹して弱者の側に立ち、人々の苦悩と同苦しゆく勇者でありました。 「人間にとって、真実かつ唯一(ゆいいつ)の栄光とは、他者への奉仕である」と断言しております。

 自他ともに「人間革命」を探求しゆく"人格"を、仏教では「菩薩(ぼさつ)」と呼びます。「菩薩」は、四つの汲(く)めども尽(つ)きぬ無量の心で、他者とかかわることによって、小さな自我のカラを打ち破っていくのであります。

 それは、

 第一に、民衆の苦しみを抜こうとする心。

 第二に、民衆に楽しみを与えようとする心。

 第三に、民衆の幸福をともに喜ぶ心。

 第四に、民衆を平等に愛する公平な心であります。

 まさに、ホセ・マルティの生涯は、こうした"菩薩"の無量の心に溢(あふ)れていたと、私は見たいのであります。 ともあれ、すべてが「人間」で決まります。「人間」をつくり、「人間」を結ぶ以外に、崩(くず)れざる人類の平和の橋は築けません。 もとより、それは、地道な作業であり、長い眼で見なければ、成果は望めないかもしれない。

あせらず、たゆまぬ努力に果実が

 しかし、私たちは、ホセ・マルティが愛する妹に書き送った手紙に励まされるのであります。 それは、「木を見てごらん。太い枝に、黄金色のミカンや赤いザクロが実るには、どんなに時間がかかるか、わかるだろう。 人生を極(きわ)めていくと、あらゆるものが同じプロセスをたどることがわかるのだ」と。 ここには、漸進(ぜんしん)的な歩みに徹する忍耐がうかがえてなりません。

 これこそ、「人間の尊厳」に則(のっと)った、内発的な変革を可能ならしめる力でありましょう。 その意味において、私は、教育に力を入れ、世界に燦(さん)たる知性を誇(ほこ)る貴国のたゆみない努力に、心から敬意を表したいのであります。教育こそ が、未来への希望の架橋である、と私は考える一人であるからであります。

 今、私の胸には、ホセ・マルティの有名な言葉が、響きわたっております。

 「それぞれの人間文明の真価は、その中でどのような種類の男性と女性が生れるかによって知ることができる」(橋本芳雄訳。『キューバ革命』加茂雄三編・平凡社刊から)と。

人間を錬成する

 貴大学の宝ともいうべき、マルティ資料の保管所は、"鉄を熱する炉(ろ)"すなわち"人間を錬成(れんせい)する場所"という意義の「フラグワ」という名前を冠(かん)しているとうかがっております。

 まさに、貴大学が、二十一世紀の「新しき人間像」を鍛(きた)え、世界の舞台へ陸続(りくぞく)と輩出(はいしゅつ)しゆく、熱き「フラグワ」となりゆくことを、私は確信してやまないのであります。

 結びに、諸先生方のますますのご健勝と、新世紀のキューバを担いゆく青年たちの栄光の前途に思いを馳(は)せつつ、私の好きな貴国の詩人・ギリェンの詩の一節を捧(ささ)げ、私の講演を終わらせていただきます。

 「汝(なんじ)の魂を光で満たし

 はるか山頂を目指したまえ!

 汝の杖(つえ)を大胆にも妨(さまた)げる障害があれば

 汝はより果敢なる翼を広げたまえ!」

 ムーチャス・グラシアス(どうもありがとうございました)。

1996.6.25

 シャローム(平和を)!

 尊敬するハイヤー会長並びに令夫人、尊敬する貴センター理事会並びにご来賓の諸先生方、私は、貴センターの「寛容の博物館」を、三年前の一月、オープンの直前に見学させていただきました。
 ホロコーストの歴史は、人間の人間に対する「非寛容」を示す、究極の惨劇(さんげき)であります。

 私は、貴博物館を見学し「感動」しました。いな、それ以上に「激怒」しました。いな、それ以上に、「このような悲劇を、いかなる国、いかなる時代においても、断じて繰り返してはならない」と、未来への深い「決意」をいたしました。

 そして、「人々が忘れなければ希望は続く」という、ウィーゼンタール博士の言葉を抱(いだ)きつつ、わが創価大学は、ただいま会長のお話にありましたように、貴センターの全面的なご協力を得て、一九九四年五月から、日本各地で「勇気の証言」展を共催したのであります。

 東京都庁舎での東京展の開幕式には、クーパー副会長をはじめ、貴センターのご一行が参加してくださり、アメリカのモンデール駐日大使など二十カ国の大使館関係者も出席されております。

 終戦五十年に当たる昨年の八月十五日には、ハイヤー会長をはじめ、多くのご来賓をお迎えし、広島での開催となりました。

 更に、沖縄など全国十九都市に巡回され、今も継続されております。

 直接、同展を訪れた人々は、一日平均で約五千の市民、あわせて約百万人に及んでいることを、謹(つつし)んでご報告いたします。

 なかでも、けなげな乙女アンネと同じ十代の青少年が数多く訪れ、憤激(ふんげき)に紅涙(こうるい)をしぼっております。親子づれでの見学も絶えません。

 まさに、「正義」を教える最高の「教育」の場となり、「啓発」の場となっているのであります。

 「ユダヤの人々の不屈の精神に学べ!」

 開催に当たって、私は、胸中で、牧口常三郎・初代会長の愛(まな)弟子であり、私の恩師である戸田城聖・第二代会長の遺訓を反復しておりました。それは、「ユダヤの人々の不屈の精神に学べ!」という言葉であります。

 幾世紀から幾世紀を重ねた迫害の悲劇に、ユダヤの人々は決して屈しなかった。その偉大な強さと勇気から、学ぶべきことは、あまりにも多いと、私は思ってきた一人であります。

 ユダヤの民は、迫害への挑戦のなかから、不滅の教訓を刻(きざ)み、そしてその英知と精神と強さを、後世の子孫に厳然と残してこられました。

 「忘れない勇気」とは、同時に「教えていく慈愛」でありましょう。

 「憎悪(ぞうお)」が植えつけられるものであるからこそ、「寛容」を植えつけていかねばなりません。

 仏法では、「怒りは善悪に通ずる」と教えております。

 いうまでもなく、利己的な感情や欲望にとらわれた怒りは、「悪の怒り」であります。それは、人々の心を憎しみで支配し、社会を不調和へ、対立へと向かわせてしまうものであります。

 しかし、人間を冒涜(ぼうとく)し、生命を踏みにじる大悪に対する怒りは、「大善の怒り」であります。それは、社会を変革し、人道と平和を開きゆく力となります。まさに、「勇気の証言」展が触発するものこそ、この「正義の怒り」にほかならないのであります。

 寛容と憎悪は対極

 冷戦後の世界における重大な課題は、異なる「民族」や「文化」や「宗教」の間に横たわる無理解と憎悪を、いかに乗り越えていくかということでありましょう。

 私には、昨年十一月、「国連寛容年」の掉尾(とうび)を飾る第五十回・国連総会でのウィーゼンタール博士の演説が、強く胸に響いて離れません。

 すなわち、「寛容こそ、この地球上のあらゆる人々が平和に共存するための必要条件であり、人類に対する恐ろしい犯罪に至った憎悪に代(か)わる、唯一の選択肢(し)であります。憎悪こそ、寛容とは対極の悪であります」と。

 「正義の怒り」と「積極的な寛容」

 ここで確認したいことは、「怒り」に積極と消極の両面がはらまれるように、「寛容」にも、消極的な寛容と積極的な寛容があるということであります。

 ともすれば、現在の社会一般の通念となっている、他者への無関心や傍観は、その消極的な寛容の一例といえるかもしれません。

 日本においては、無原則の妥協を「寛容」とはき違える精神風土が、軍国主義の温床になってしまった痛恨の歴史があります。

 真の「寛容」は、人間の尊厳を脅(おびや)かす暴力や不正を断じて許さぬ心と、表裏一体であります。

 「積極的な寛容」とは、他者の立場に立ち、他者の眼を通じて世界を見つめ、共鳴しゆく生き方にあります。

 すなわち、貴センターが範を示しておられるように、異なる文化とも進んで対話し、学び合い、相互理解を深めていく。そして、人類の共感を結びゆく「行動の勇者」こそ、まことの「寛容の人」なのであります。

 この崇高なる「人権と平和の城」である貴センターにおきまして、わが先師である牧口常三郎創価学会初代会長について講演の機会をいただきましたことは、私にとりまして、無上の光栄であります。

 本日は、「正義の怒り」、そして「積極的な寛容」という二つの点を踏まえつつ、牧口が生涯、貫いた信念、その思想と行動について、簡潔にご紹介させていただきたいと思うのであります。

 牧口会長--軍国主義に抵抗し73歳で獄死

 日本の軍国主義の時代にあって、牧口は、「悪を排斥(はいせき)することと、善を包容することは同一の両面である」「悪人の敵になり得る勇者でなければ 善人の友にはなり得ぬ」「消極的な善良に甘んぜず、進んで積極的な善行を敢然となし得る気概(きがい)の勇者でなければならない」等と強く主張しておりま す。

 そして、「戦争」に反対し、「信教の自由」を奪った軍国主義に敢然と抵抗して、投獄されました。過酷な弾圧を受け、七十三歳で獄死したのであります。

 牧口常三郎は、一八七一年、日本海の一寒村であった新潟県の荒浜に生まれました。この六月六日で、生誕・満百二十五年を迎えます。

 牧口は、自身のことを「貧しい寒村出身の一庶民」であると、誇りをもって言い続けておりました。

 小学校を卒業後、苦しい家計を助けるために進学を断念。やがて単身、北海道にわたり、働きながら、時間を見つけては、本を読み、学び続けております。

 その才能を惜しんだ上司の援助もあり、独学で師範学校に入学し、二十二歳の春、卒業しました。

 牧口は、若き情熱を教育に燃やし、恵まれぬ子らのために、教育の機会を大きく広げていくのであります。教え子たちからの感謝を込めた追想は、枚挙にいとまがありません。

 「個人の権利と自由こそ神聖」

 時代は、国を挙げて「富国強兵策」を推し進め、軍国主義の道を歩み始めた時であり、教育においても、盲目的な愛国心が鼓舞(こぶ)されていきました。

 しかし、牧口は「そもそも、国民教育の目的とは何か。面倒な解釈をするよりも、汝(なんじ)の膝(ひざ)もとに預(あず)かる、その可憐(かれん)な児 童を『どうすれば、将来、最も幸福な生涯を送らせることができるか』という問題から出発すべきである」と論じたのであります。

 牧口の焦点は、「国家」ではなく、どこまでも、「民衆」であり、そして一人の「人間」であったのであります。それは、「国権の優位」がことさらに強調さ れるなかで、「個人の権利と自由は、神聖侵(おか)すべからざるものである」と言い切って憚(はばか)らなかった。彼の人権意識は、あまりにも深く、強 かったのであります。

 一九〇三年、一千・に及ぶ大著『人生地理学』を、三十二歳で出版しました。

 発刊は、日露戦争の前夜であり、東京帝国大学の教授ら、高名な七人の博士が、そろって、「対ロシアの強硬策」を建議したことも、開戦論を高めました。

 そうした時勢にあって、無名の学究者・牧口は、足元の「郷土」に根ざして、しかも「狭隘(きょうあい)な国家主義」に偏(かたよ)らず、「世界市民」の意識を育(はぐく)むことを提唱したのであります。
 仏法は、社会に開かれた民衆教育の哲理

 その後、四十二歳で、東京の小学校の校長となり、以後約二十年にわたり各校を歴任し、東京屈指の名門校も育て上げております。

 牧口は、アメリカの哲学者であるデューイ博士らの教育理念に学びながら、日本の教育改革を進めました。しかし、権力の露骨な介入である「視学制度」の廃止などを直言する牧口には、常に圧迫が加えられたのであります。

 地元の有力者の子弟を特別扱いせよという指図(さしず)を拒否したために、政治家の策謀によって、追放されたこともあります。この折、生徒も、教師も、父母も、皆、こぞって牧口校長を慕い、留任を求めて同盟休校までしました。

 後に、転任校でも、同様の干渉を受けましたが、牧口は、自分の辞任と引き換(か)えに、子どもたちが伸び伸びと遊べるように、運動場の整備を実現させ、他校へ移っていったというのであります。

 こうした歩みは、ほぼ同時代のホロコーストのなかで、命を賭(か)けて、子どもを守る奮闘を続けた、ポーランドの偉大なユダヤ人教育者・コルチャック先生の人間愛とも相通ずるのではないかと思う一人であります。

 一九二八年、牧口は、仏法に巡りあいます。

 すべての人間生命に内在する、尊極(そんごく)の智慧(ちえ)を開発しようとする仏法は、それ自体が、社会に開かれた民衆教育の哲理であると信ずるのであります。

 教育を通しての社会の変革を強く志向してきた牧口は、この仏法との出あいによって、理想の実現への確かな手応(てごた)えを実感していったようでありま す。時に五十七歳。人生の総仕上げの刮目(かつもく)すべき展開が始まります。二年後、弟子の戸田とともに、『創価教育学体系』第一巻を出版。この発刊の 日、一九三〇年十一月十八日を、私ども創価学会の創立の日としております。

 生命--「価値と呼べる唯一の価値」

 「創価」とは、「価値の創造」の意義であります。

 その「価値」の中心は、何か。牧口の思想は明快でありました。それは「生命」であります。

 デューイらの実用主義の見地を踏まえつつ、牧口は、「価値と呼ぶことのできる唯一の価値とは、生命である。その他の価値は、何らかの生命と交渉する限りにおいてのみ成立する」と洞察(どうさつ)しました。

 人間の生命、また生存にとって、プラスになるのか、どうか。この一点を根本の基準としたのであります。

 「生命」の尊厳を守る「平和」という「大善」に向かって、挑戦を続け、いかなる困難にあっても、価値の創造をやめない――そうした「人格」の育成にこそ、「創価教育」の眼目があります。

 軍部ファシズムと全面対決

 一九三九年、牧口は、創価教育学会の第一回総会を開催いたしました。

 この年、第二次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)。ドイツはポーランドへ侵攻し、日本の軍隊も暴走を増し、中国や朝鮮で蛮行(ばんこう)を重ねていきます。この時流を危惧し、牧口は軍部ファシズムと全面的に対決の姿勢を示します。

 日本の宗教界の多くが、戦争遂行の精神的支柱たる国家神道に翼賛(よくさん)していくなか、思想・信教の自由の蹂躙(じゅうりん)に奮然と反対し、平和実現への宗教的信念を断固として曲げなかったのであります。

 また日本がアジア諸国に神道の信仰を強制した非道に対し、牧口は、「日本民族の思い上がりも甚だしい」と烈火のごとく怒り、憤慨してやみませんでした。

 牧口の峻厳(しゅんげん)さは、他の民族の文化や宗教に対する寛容と、深く通底(つうてい)していたのであります。

 創価教育学会の機関紙「価値創造」は、治安当局の指示で廃刊とさせられました。

 「言論の自由」を奪うことなど、「信教の自由」「良心の自由」を踏みにじる軍部にとって、いともたやすいことでありました。

 権力は、これらの「基本的な人権」を封じ込めることによって、国民を沈黙の"羊(ひつじ)"の立場に甘んじさせておこうとした。牧口は、これに対して、 「羊千匹よりも、獅子(しし)一匹たれ! 臆病(おくびょう)な千人よりも、勇気ある一人がいれば、大事を成就することができる」と訴えております。

 不正や悪に、真っ向から立ち向かう牧口の言説は、権力の側にとっては、危険思想以外の何物でもありませんでした。

 戦時下で240回の座談会

 牧口は、思想犯として、徹底した特高刑事の監視に晒(さら)されるのであります。しかし、牧口は、民衆の中に常に飛び込んで、間断なく対話を続けております。後の起訴状には、牧口は、戦時下の二年間に二百四十余回の「座談会」を開催したと記(しる)されております。

 舌鋒(ぜっぽう)鋭く軍部への批判に及んで、「発言そこまで!」と刑事に制止されることも、一度や二度ではありませんでした。

 軍部権力による神札の礼拝の厳命には、同信であったはずの僧侶までも、ことごとく屈従しましたが、牧口は、最後まで、きっぱりと拒絶しております。

 500日に及ぶ獄中闘争

 一九四三年七月、遂(つい)に、牧口は、戸田とともに、官憲に捕(と)らえられ、投獄されました。容疑は、希代(きたい)の悪法である「治安維持法」の違反と「不敬罪」であります。七十二歳の高齢でありました。一年四カ月余り、五百日に及ぶ獄中生活が始まります。

 牧口は、一歩も退(しりぞ)くことがなかった。独房のなかでも、牧口は大きな声を出して、他の房の囚人(しゅうじん)たちに語りかけたといいます。

 「皆さん、こう黙っていては退屈するから、一つ問題を出しましょう。善(よ)いことをしないのと、悪いことをするのとは、同じでしょうか? 違うでしょうか?」

 どこでも、まただれとでも、牧口は、心を開き、平等な立場で対話をしていく、闊達(かったつ)な人間教育者でありました。

 取り調べの検事や看守にさえも、諄々(じゅんじゅん)と仏法の法理などを説き聞かせております。

 「世間的な毀誉褒貶(きよほうへん)等に気兼(きが)ねして、悪くはないが、善もしない」という生き方は、結局、仏法に反する――現存する尋問(じんもん)調書には、こうした牧口の見解も明確に記されております。

 仏典には「人のために灯をともせば、自分の前も明るくなる」という譬喩(ひゆ)があります。まさに、牧口は、自他ともに希望を輝かせゆく、積極的な「貢献の人生」を、最後まで垂範(すいはん)してやまなかったのであります。

  人権を無視した国家権力の非道

 また尋問調書からわかるように、牧口は、中国への侵略や大東亜戦争などは、根本的に、日本国家による誤った精神的指導に起因する「国難」であると、断言しておりました。

 日本の侵略戦争が「聖戦」と美化され、言論界も、競(きそ)って賛美する時代において、こうした牧口の発言は、希有(けう)の勇気と覚悟を表(あらわ)したものであります。

 家族に送った獄中の書簡も残されております。

 「老人は当分ここで修養します」「本が読めるから、楽であり、何の不足はない。心配しないで、留守(るす)を守って下さい」「独房で思索(しさく)がで きて、かえって良かった」等々、思いやりに満ち、しかも一種の楽観主義さえ感じさせる、悠然(ゆうぜん)たる筆致であります。

 「心一つで地獄にも楽しみがあります」――これは、検閲(けんえつ)で削(けず)られた書簡の一節であります。

 地獄――狭い独房の四壁(しへき)のなかでは、息がつまり、暑さや寒さは、容赦(ようしゃ)なく老齢の身を痛めつけていったに違いありません。

 しかし、わびしさはなく、彼の胸中には、常に赫々(かっかく)たる信念の太陽が昇っていました。

 牧口は、人権を無視した国家権力とは、「正義の怒り」をもって戦いましたが、その「怒り」を「憎悪」へと変質させることはなかったのであります。

 やがて、老衰と栄養失調で重体になり、ついに病監(びょうかん)へ移ることに同意いたします。

 衣服を改め、羽織(はおり)を着し、頭髪を整え、看守の手を借りず、衰弱した足で、病監へ歩いていきました。そして、その翌日、1944年の11月18日、奇(く)しくも「創価学会の創立の日」に、眠るがごとく逝去(せいきょ)したのであります。

 死の恐怖さえも、牧口をとらえ、屈服させることはできませんでした。

 一般に、人間は死を恐れ、忌(い)み嫌う存在といえましょう。

 死への恐怖こそが、人間に内在する、他者への攻撃本能の基底をなしている、という見方さえあります。

 しかしながら、仏法では、「生死」は「不二」であるとし、「生」と「死」の永遠なる連続性を説いております。正義の信念を貫き、生死の本質を通観しゆく者にとっては、生も歓喜であり、死もまた歓喜となると教えております。

 大いなる人道の理想に生き抜く時、恐怖も、後悔も、そして憎しみさえもなく、死を迎えることができるという確かな証(あかし)を、牧口は冷たい牢獄のなかで、厳然と残したのであります。

 直弟子の戸田 権力の魔性への怒りを胸に

 牧口は、だれにも見とられず、心によって偉大であった、また行動によって偉大であった生涯を終えました。

 その静かな逝去は、新生の旅立ちとなりました。

 すなわち、直(じき)弟子の戸田が、同じく獄中にあったのであります。

 二カ月後に、「牧口は死んだよ」と、判事から聞いた悲嘆、憤怒(ふんぬ)......。戸田は、涙も涸(か)れ、獄中で一人懊悩(おうのう)したといいます。

 しかし、実は、その「絶望」の果てから「希望」の回転が始まったのです。

 「死して獄門」を出た牧口に代わり、戸田は「生きて獄門」を出ました。

 師匠の命を奪った権力の魔性への怒りを、新たな平和運動の創出への決然たる誓いとしたのであります。

 かつて牧口は、『創価教育学体系』において、「悪人は自己防衛の本能から忽(たちま)ち他と協同する。(結託し)強くなって益々(ますます)、善良を迫害する悪人に対し、善人は何時(いつ)までも孤立して弱くなっている」と慨嘆(がいたん)しておりました。

 「さしあたり、善良者それ自身が結束していく以上に方法はない」――これが、牧口の痛切な、そして痛恨(つうこん)の心情だったのであります。

 ゆえに、その不二の弟子として、戸田は、草の根の対話の広場である「座談会」運動を軸に、「善なる民衆の連帯」を、戦後の荒野に築き始めました。

 それは、仏法の「生命尊厳の哲理」を基調とし、民衆の一人一人が賢(かしこ)くなり、強くなって、「人道」と「正義」が尊重される世界を創(つく)りゆく運動であります。

 また、牧口は、『価値論』において、「人を救う」という「利の価値」、「世を救う」という「善の価値」にこそ、宗教の社会的存立の意義があるとしており ました。すなわち、「宗教」のために「人間」があるのではない。「人間」のために「宗教」があるという人間主義であります。

 牧口の精神を創立の魂とする「創価大学」のキャンパスに、この四月、一本の桜の木が植樹されました。

 それは、中東和平に命を捧げられた、故・ラビン首相の記念の桜であります。

 記念の植樹は、創価大学と学術・教育交流を結んだ、ヘブライ大学のアラド副学長ご一行をお迎えして、盛大に行われました。

 かつて、ラビン首相は、叫ばれました。

 「平和の勝利にまさる勝利はありません。戦争には勝者と敗者がありますが、平和においては、皆が勝者になるのです」と。

 春がめぐり来るごとにラビン桜が、美しい万朶(ばんだ)の花を大空に向かって大きく咲かせていくことでありましょう。

 また、その志を継承する青年が、陸続と育ちゆくことを、私は信じてやみません。「教育」は、「新たな生」への希望の光であります。

 牧口は、権力と真っ正面から戦い、微動だにしませんでした。その勇気と英知の提唱は、時代を超えて、人々の良心を揺(ゆ)さぶり、覚醒(かくせい)していくことでありましょう。

迫害を受けた人間に限り無き栄光と勝利

 牧口は、いかに高邁(こうまい)な理想であっても、そこに民衆に根ざした連帯の行動がなければ、実現できないことを見抜いておりました。

 私どもが、SGI憲章に制定したように、他の宗教とも、「人類の基本的問題」について対話し、その解決に協力していくのも、この精神からであります。

 牧口の魂は、創価学会、そしてSGIの運動に脈打っております。私どもは、いかなる権力にも断じて屈しません。永遠に牧口の信念を受け継いでまいります。

 始祖・日蓮が予見したごとく、はるか「万年」の先を目指して、民衆の「平和」と「文化」と「教育」の連帯を広げていく決心であります。

 私自身、皆が勝者となりゆく「平和の二十一世紀」へ、尊敬する諸先生方と手を携(たずさ)えて、命の限り、勇気ある行動を貫いていく決心であります。

 本日の貴センターにおける講演を、私は、牧口常三郎初代会長、ならびに「人道」と「正義」のために殉(じゅん)じた、すべての方々に、そして、深き「決意」をもって未来に生きゆく若き人々に捧げます。

   偉大なる思想をもった人間と、そして民族が

  偉大なる信仰をもった人々が

  そしてまた嵐の中で

  壮大なる理想と現実に生き抜いた人間と民族のみが

  限りなき迫害を受け、耐え抜いた人間と民族のみが

  永遠にわたる歓喜と栄光と勝利の太陽を浴びゆくことを信じて


 尊敬するレヴィン学長、尊敬するリアルドン博士ならびに、ご臨席の先生方。

 滔々(とうとう)たるハドソン川の流れのごとく、偉大なる二十一世紀の若き指導者を育成しゆく、世界の教育の王冠輝く王者の学府たる、全米随一の貴カレッジにおいて、講演の機会をいただき、このうえない光栄であります。

 レヴィン学長をはじめ、ご関係の皆さま方に、深く厚く御礼申し上げます。

 また、本日は、ご多忙のところ、高名な諸先生に、ご出席をいただき、後ほど、ご高見を賜(たまわ)りますことに、心より感謝申し上げるものであります。

 二十一年前の一九七五年一月、私は、貴大学を訪問し、教育交流をさせていただきました。

 その四年前に創立したばかりの、いまだ孫のような創価大学に対し、偉大なる貴大学が、真心の励ましと示唆(しさ)を寄せてくださったことを、私は、生涯、忘れることはできません。

 また、世界的な哲学者のデューイ博士が教鞭(きょうべん)をとられた貴カレッジに、私は、ひときわ深い感慨をもつものであります。

 と申しますのも、創価大学の精神の源流である牧口常三郎・創価学会初代会長が、一九三〇年発刊の『創価教育学体系』において、最大の敬意を込めて論及したのが、デューイ博士であったからであります。

 戦争への怒りが教育への決意に

 私自身の「教育」に寄せる決意と情熱は、第二次大戦の戦争体験から発するものであります。

 四人の兄を、ことごとく兵隊にとられ、長兄はビルマにて戦死。三人の兄も、ボロボロの軍服を身につけて、戦後、一、二年を経(へ)て、哀れな姿で中国大陸から帰ってまいりました。

 年老いた父の苦しみ、母の悲しみは、まことに痛切なものがありました。

 その長兄が、一時、中国から戻ってきた折、日本軍の残虐(ざんぎゃく)非道に憤慨(ふんがい)していたことも、私には、終生、忘れることはできません。

 戦争の残酷(ざんこく)さ、愚かさ、無意味さを、私は、激しい怒りとともに、若きこの命の奥深く刻んだのであります。

 戦後まもない、一九四七年、私は、戸田城聖という傑出(けっしゅつ)した教育者に出会いました。戸田は、師である牧口とともに、日本の侵略戦争に反対し、投獄されておりました。牧口は獄死。戸田は、二年間の獄中闘争を生き抜いてきました。

 この事実を知った時、十九歳の私は、この人なら信じられると直感し、弟子となりました。 戸田は常々、「生命の尊厳」を深く尊重しゆく新しい世代を育成 する以外に、戦争の恐怖の流転(るてん)を押しとどめることは絶対にできないと叫び、「教育」の重要性を、声高く強調しておりました。

 知識のみの延長は大量殺戮兵器

 要するに、教育は、人間のみが為(な)し得られる特権であります。人間が、人間らしく、真の人間として、善なる使命を悠々(ゆうゆう)と、また堂々と達成しゆく原動力であります。

 知識のみの延長は、大量殺戮(さつりく)の兵器となりました。

 反対に、人間社会を最大に便利にし、最大に産業的に、豊かにさせてくれたのも、また知識の延長でありました。

 その知識というものを、すべて、人間の幸福のほうへ、平和のほうへもっていく本源が、実は、教育であらねばならないでしょう。

 ゆえに、教育は、永遠なる人道主義の推進力になっていかねばならないと思うのであります。

 私は、教育を、人生の最終にして最重要の事業と決めてまいりました。

 だからこそ、レヴィン学長の「教育は、社会の変革のための最も効果の遅い手段かもしれない。しかし、それは、変革のための唯一(ゆいいつ)の手段である」という信条に、私は深く共感を覚えるのであります。

 今日、地球社会は、複合的に絡(から)み合った危機に直面しております。

 戦争、環境破壊、「南北」の発展の格差、民族・宗教・言語などの相違による人間の分断......。問題は山積し、解決への道のりは、あまりにも遠いように見えます。

 しかし、これらの問題群の底流にあるものは、一体、何か。

 それは、あらゆる分野において、「人間」を見失い、「人間の幸福」という根本の目的を忘れてきた失敗であると、私は考える一人であります。

 ゆえに、「人間」こそ、私たちが立ち戻り、また新たな出発をすべき原点でなければなりません。人間革命が必要となっています。

 デューイ博士と私の先師・牧口常三郎の思想には、多くの共通点がありました。

 特に、新しい「人間」教育の創出こそ、二人が共有した深き理想でありました。

 デューイ博士いわく、「人間は、学ぶことによって人間となる」と。

 「子どもの幸福」が教育の「目的」

 博士と牧口は、地球の西と東の対極にあって、ほぼ同時代を生きました。ともに、近代化の進展に伴(ともな)う秩序(ちつじょ)の混乱のなかで、希望の"未来"を切り開くために格闘を続けたのであります。

 デューイ博士の研究から多大な影響を受けた牧口は、児童や学生の「生涯にわたる幸福」こそが、教育の目的であると、高らかに主張いたしました。

 そして、その真の幸福とは、「価値創造」の人生にある――これが、彼の信念でありました。

 この「価値創造」とは、端的にいうならば、いかなる環境にあっても、そこに意味を見いだし、自分自身を強め、そして他者の幸福へ貢献しゆく力のことであります。

 牧口は、この独創的な教育思想を、仏法の深遠なる生命哲理の探究のなかで構築しました。

 ともあれ、デューイも、牧口も、民族国家という限界を超えて、新しい人間社会と市民の連帯を、はるかに見すえていたことは、確かであります。

 二人は、地球規模で価値創造のできる人間、すなわち「地球市民」のビジョンを抱(いだ)いていたといえるのであります。

 「地球市民」の要件とは、何か。この数十年、世界の多くの方々と対話を重ねつつ、私なりに思索(しさく)してまいりました。

 それは決して、単に何カ国語を話せるとか、何カ国を旅行したということで、決まるものではない。
 国外に一回も出たことがなくても、世界の平和と繁栄を願い、貢献している気高(けだか)き庶民を、

 私は数多く友人としております。

 ゆえに、「地球市民」とは、たとえば――
 一、生命の相関性を深く認識しゆく「智慧(ちえ)の人」
 一、人種や民族や文化の"差異"を恐れたり、拒否するのではなく、尊重し、理解し、成長の糧(かて)としゆく「勇気の人」
 一、身近に限らず、遠いところで苦しんでいる人々にも同苦(どうく)し、連帯しゆく「慈悲の人」――と考えても間違いないと思うのであります。

 相互依存の世界

 この"智慧"と"勇気"と"慈悲"を具体的に展開していくために、仏法の世界観、なかんずく森羅万象(しんらばんしょう)の相依(そうえ)・相関性の原理が、確かな基盤となると、私は思う一人であります。

 仏典には、多様な相互依存(そうごいぞん)性をあらわす美しい譬(たと)えが記(しる)されております。

 生命を守り育(はぐく)む大自然の力の象徴でもある帝釈天(たいしゃくてん)の天宮には、結び目の一つ一つに、「宝石」が取りつけられた「宝の網(あ み)」がかかっている。その、どの「宝石」にも、互いに、他のすべての「宝石」の姿が映し出され、輝いているというのであります。

 アメリカ・ルネサンスの巨匠・ソローが観察しているように、「われわれの関係性は無限の広がり」をもっております。

 この連関に気づく時、互いに生かし、生かされて存在する「生命の糸」をたどりながら、地球の隣人の中に、荘厳(そうごん)な輝きを放つ「宝石」を発見することができるのではないでしょうか。

 仏法は、こうした「生命」の深き共感性に基(もと)づく"智慧(ちえ)"を耕(たがや)しゆくことを、促(うなが)しております。なぜならば、この"智慧"が、"慈悲"の行動へと連動していくからであります。

 それゆえ、仏法で説く"慈悲"とは、好きとか、嫌いという人間の自然な感情を、無理やりに抑(おさ)えつけようとすることでは決してありません。

 そうではなく、たとえ嫌いな人であったとしても、自身の人生にとっての価値を秘めており、自己の人間性を深めてくれる人となり得る。こうした可能性に目を開きゆくことを、仏法は呼びかけているのであります。

 また、「その人のために何ができるか」と真剣に思いやる"慈悲"の心から、"智慧"は限りなくわいてくるというのであります。

 「善性」を信じて

 更に、仏法では、すべての人間の中に、「善性」と「悪性」がともに潜在(せんざい)していることを教えております。

 したがって、どのような人であったとしても、その人に備(そな)わる「善性」を信じ、見いだしていこうという決意が大切であります。その"勇気"ある行動の持続に、"慈悲"は脈打っていくというのであります。

 それは、自分が関(かか)わり続けることによって、他者の生命の尊極(そんごく)なる「善性」を引き出そうとする挑戦であります。

 他者と関わることは、"勇気"を必要とします。

 "勇気"がなければ、"慈悲"といっても、行動に結実せず、単なる観念で終わってしまう場合が、あまりにも多いからであります。

 仏法においては、"智慧"と"勇気"と"慈悲"を備え、たゆみなく他者のために行動しゆく人格を「菩薩(ぼさつ)」と呼んでおります。

 その意味において、「菩薩」とは、時代を超(こ)えて、"地球市民"のモデルを提示(ていじ)しているといえるかもしれません。

 仏典によれば、釈尊と同時代にあった、勝鬘(しょうまん)夫人という女性は、人間教育者として、人々に語りかけていきました。

 彼女は、あらゆる人々の中にある尊極の「善性」を、母のごとき慈愛で、守り育(はぐく)んでいくのが、「菩薩」であると説いております。

 彼女は、誓願します。

 「私は、孤独な人、不当に拘禁(こうきん)され自由を奪われている人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏(あんのん)にし、豊かにしていきます」と。

 そして、具体的には、

 「愛語(あいご)」(思いやりのある優〈やさ〉しい言葉をかけること、すなわち対話)

 「布施(ふせ)」(人々に何かを与えゆくこと)

 「利行(りぎょう)」(他者のために行動すること)

 「同事(どうじ)」(人々の中に入って、ともに働くこと)

 という実践を通しながら、人々の「善性」を薫発(くんぱつ)していったのであります。

 菩薩の行動は、すべての人々に内在する「善性」を信ずることから始まります。

 この「善性」を引き出すための知識でなければならない。譬(たと)えて言えば、精密(せいみつ)な機械をもった飛行機をどのように安穏に無事に目的地へと導(みちび)いていくか、ということであります。

 要するに、そのためには、"破壊や分断(ぶんだん)をもたらす根源的な悪もまた人間生命に内在する"という洞察(どうさつ)が必要であります。

 ゆえに菩薩は、仏法で説く「元品(がんぽん)の無明(むみょう)」を真っ正面から見つめ、対決していくのであります。

 連帯は善=大我 分断は悪=小我

 人間の内なる「善性」とは、自己と他者の"共生"と"連帯"を促(うなが)します。

 反対に「悪の心」は、人間を他の人間から切り離し、更には人間と自然をも切り裂(さ)き、「分断」をもたらしていってしまうものであります。

 人間としての共通性に目を閉(と)ざし、他者との差異(さい)に執着(しゅうじゃく)する「分断」の病理は、個人の次元を超えて、「集団エゴイズム」の 本性でもあります。それは特に、排他(はいた)的・破壊的な民族中心主義、国家中心主義の深層に、顕著(けんちょ)に表れているのであります。

 このような「小我(しょうが)」を克服しゆく戦い、すなわち「大我(たいが)」を覚知し、「自他ともに益(えき)する」行動に打って出るのが菩薩であります。

 教育は、本来、菩薩の営(いとな)みであります。

 教育は、教育を受けていない人々に、無形・有形に奉仕していく、誇(ほこ)りある使命をもたねばならないでしょう。

 教育は、肩書(かたがき)、地位、権威につながる場合もある。しかし、それよりも、自分自身の人格完成、また他者への偉大なる心をもっての包容(ほうよう)と貢献につながっていくべきものであろうと思う一人であります。

 教育は、汝(なんじ)自身に勝ち、社会に出て勝ち、そして人類の未来に対して、勝ちゆける力を意義するものでなければなりません。

 地域に根ざして

 ところで、「地球市民」の概念ならびに倫理(りんり)を確立し、「地球市民」を育成する作業は、すべての人間に深く関(かか)わることであり、これには、皆が携(たずさ)わり、皆が責任をもたねばならない、重要な事業であります。

 だからこそ、「地球市民」教育を意義あらしめるためには、わが郷土、つまり地域社会に根ざしていくことが大切ではないでしょうか。

 「地球市民」の育成にとって、足元の"生活の場"こそが、その出発点となる――これが、デューイ博士と牧口の共通した卓見(たっけん)でありました。

 牧口は、すでに一九〇三年、現代の社会生態(せいたい)学の先駆をなす著書『人生地理学』において、「生活」の場である「郷土」を「学習の場」として、重視しておりました。

 すなわち「郷土は、世界の縮図である。郷土における土地と人生、自然と社会の複雑な関係を児童に直接に観察させることによって、家庭、学校、市町村を把握(はあく)させ、広く世界を理解させることができる」と考察していたのであります。

 これは、「隣人への理解力を深める人間的な体験がなければ、たとえ、機会があっても、外国の人々を、深く理解していくことはできない」というデューイ博士の洞察(どうさつ)とも、確かに響き合っているところであります。

 私たちの日常生活は、自分自身も、周囲の人々も、ともに成長し、向上しゆく「学びの場」に満ちております。

 他者との"対話"と"交流"と"参加"は、一つ一つが、価値を創造する貴重なチャンスであります。

 私たちは、「人間」から学びます。

 まさにここに、教師の人間性こそが、教育体験の核をなす理由があると思うのであります。

 教育は技術・芸術

 牧口は、人間教育は、人格価値の創造を指導する最高の技術であり、それは、更に芸術の域へと達しゆくものであると論じておりました。

 思えば、牧口の教育者としての第一歩は、日本の北海道の開拓地での教育でありました。複数の学年を同時に教える「単級教授」に取り組んだのであります。

 そこには、他の学校に比(くら)べて、貧しく、家庭の躾(しつけ)なども十分に行き届かない子どもたちが集まっておりました。

 教師・牧口の慈愛

 しかし、若き牧口は、厳然と力説してやまなかったのであります。

 「皆、等しく生徒である。教育の眼(まなこ)から見て、何の違いがあるだろうか。
 たまたま、垢(あか)や塵(ちり)に汚(よご)れていたとしても、燦然(さんぜん)たる生命の光輝(こうき)が、汚れた着物から発するのを、どうして見ようとしないのか。

 過酷(かこく)な社会の差別にあって、彼らを唯一(ゆいいつ)、庇(かば)える存在は、教師のみである」と叫んだのであります。

 教師こそ、最大の教育環境である――この牧口の精神が、「創価教育」の不変の魂(たましい)なのであります。

 牧口は、訴えております。

 「教師は、自身が尊敬の的(まと)となる王座をくだって、王座に向かう者を指導する公僕(こうぼく)となり、手本を示す主人ではなくて、手本に導く伴侶(はんりょ)となるべきである」と。

 まさに、「学校」とは、魂なき校舎のことではありません。学生に献身的に奉仕する教師こそが、「学
校」それ自体なのではないでしょうか。

 ある教育者いわく、「講義のみが教育ではない。人間が人間をつくる。したがって、真の師弟の中に、教育は存在する」と。

 師弟こそ真髄

 私自身、ほとんどの教育を、私の人生の師・戸田城聖の個人教授から受けました。

 約十年の間、毎朝、そして、日曜日は朝から一日中、個人教授を恩師から一対一で、歴史、文学、哲学、経済、科学、組織論等々、万般(ばんぱん)にわたって受けたのであります。

 また恩師は、毎日のように、「今、何の本を読んでいるのか」と尋(たず)ねました。それは、質問というよりも、尋問(じんもん)のような厳しさでありました。

 何よりも私は、恩師の人格から学びました。

 投獄にさえひるまなかった、平和へのあの断固たる情熱を、恩師は終生、燃やし続けました。

 そして、苦悩の民衆の中に分け入って、人々と交流を間断(かんだん)なく続けました。その深き人間愛こそ、私が恩師より最も教えられたものなのであります。

 今の私の九八%は、すべて、恩師より学んだものであります。

 「創価教育」、すなわち価値創造を掲(かか)げた一貫教育のシステムは、私が受けてきた、このような人間教育を、未来の世代にも贈りたいとの願いを込めて創立したものであります。

 この創価教育の卒業生たちが、新たな人間主義の歴史を綴(つづ)る「地球市民」と育ちゆくことこそが、私の最大の希望であります。

 地球的課題を自覚させる教育を

 さて、「地球市民」のネットワークの基軸となりうるシステムは、やはり国連でありましょう。

 国連は、「諸国の行動を調和する」(国連憲章)という役割を果たすのみならず、平和な世界を築きゆく「地球市民」の育成の場としても「価値創造」しゆく段階に入ってきた気がするのであります。

 これまで、確かに、国益(こくえき)を最優先する国家の要請(ようせい)が、国連を動かしてきましたが、「われら人民」の力の結集が、いよいよ際立(きわだ)ってきたことは、NGO(非政府組織)の活躍を見れば、明らかになりつつあります。

 政府機関、非政府組織の双方(そうほう)を代表する人々が一堂に会し、環境、人権、先住民、女性、人口など、さまざまな問題に関し、議論をかわしており ます。こうした近年の諸会議を通して、"地球市民"の基軸となる「地球倫理(りんり)」の合意形成に向けて、具体的な回転が始まったと、私は期待する一人 であります。

 また、国連と連動して、これらの地球的な課題が、各教育機関のカリキュラムにおいても積極的に盛り込まれゆくことを、私は強く念願するものであります。

 たとえば、

 (1)"戦争"の残酷(ざんこく)さと無意味さを教え、社会に"非暴力"を根づかせていく「平和教育」

 (2)自然生態系の現状と、環境保全対策を学ぶ「環境教育」

 (3)貧困や地球的不公平さに目を向ける「開発教育」

 (4)人間の平等性と尊厳性を学ぶ「人権教育」――の四項目であります。

 国家を超えた「教育者の連帯」を

 私はかねてより、「教育」は、絶対に国家権力に従属してはならないとの信念から、「教育権」を、立法、行政、司法の「三権」から独立させて、「四権分立」にするべきであると主張してきました。

 それが、偏狭(へんきょう)な国家の教育統制と戦ってきた、二人の先師の心でもあるからであります。

 人類の将来を展望するうえで、国家の枠(わく)を超えた教育者の地球次元での連帯が、なによりも重要となってくると、私は強く思う一人であります。

 その意味において、私は、いわゆる政治家だけの「サミット」ではなくして、「教育者のサミット」を最大に重視し、提唱したいのであります。

 とともに、貴カレッジは、実に世界八十カ国から、留学生を受け入れておられる。青年の教育交流を盛(さか)んに行(おこな)っておられます。この力強い姿を心から尊敬するものであります。

 ともあれ、牧口は語りました。

 「目的観の明確な理解の上に築かれる教育こそが、やがては、全人類がもつ矛盾(むじゅん)と懐疑(かいぎ)を克服するものであり、人類の永遠の勝利を意味するものである」と。

 尊敬する諸先生方とご一緒に、この「人類の永遠の勝利」に向かって、「地球市民」の育成に、今後とも、全力を尽くしゆくことを、ここにお誓いし、私の講演とさせていただきます。

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