神奈川新聞に寄稿
「未来への選択 20世紀の英知に学ぶ」
名誉会長の寄稿文 神奈川新聞に掲載
27日付の神奈川新聞に、池田名誉会長の寄稿文が掲載された。同紙の連載「未来への選択 20世紀の英知に学ぶ」の第1回「非暴力の系譜」に一文を寄せたもの。
名誉会長は、ガンジーは「心という『実在する最強の力』」を信じた、極めて現実主義的な指導者だったと指摘。関東大震災の際、決死の覚悟で多くの人命を救った鶴見警察署長の逸話などを紹介し、「非暴力の継承とは勇気の心の継承なのである」と綴っている。
2003年2月27日(木)
非暴力とは「心こそ大切」の哲学
(神奈川新聞 掲載)
◇「野蛮」対「文明」の戦い
マハトマ・ガンジーの忘れがたいエピソードある。ある会議の前、ガンジーが何かそわそわしていた。あたりを見回したり、机の中をのぞいたりしている。「何か、おさがしですか?」。ある人が聞いた。「そう、鉛筆をさがしているんじゃ」「ああ、それなら」。その人は自分の鉛筆を差し出した。「どうぞ使ってください」。しかし、ガンジーは「それは私がさがしている鉛筆ではない」と言う。しかたなく、その人は一緒にさがした。やっと見つかった。それは、わずか三センチほどの「ちびた鉛筆」であった。「あった、あった」とガンジーは喜び、説明してくれた。
「私が独立運動への援助を呼びかけ、各地を回っていたころだ。一人の少年が、この鉛筆を『どうぞ使ってください』と寄付してくれた。その子にとっては大事な大事な鉛筆を捧げてくれた。その心を私は忘れないのだ」。
これは、高名なガンジー研究家の森本達雄氏(名城大学名誉教授)が紹介されているエピソードである。
ガンジーにとって、「ちびた鉛筆」は、少年の熱い「心」そのものであり、どんな高級な万年筆よりも大切な「宝」であったに違いない。何でもない話のようだが、私は、ここに彼の非暴力の真髄のひとつがあると思う。それは「心こそ大切なり」という哲学である。
彼は独立運動の局面局面で、運動する国民の心が憎悪や臆病に汚されていないかを鋭敏に問題にした。「命を失おうとも、魂は失うな」と教えた。平和を創るにも、「平和な心」と「平和的手段」でしか不可能なのだと訴え続けた。薔薇の花がほしければ、薔薇の種を植えよ。戦争で憎しみの種を撒いて、どうして平和の樹が育とうか!
彼は極めて現実主義的な指導者だった。だからこそ、心という「実在する最強の力」を引きだそうとした。その力を信じない人は、非暴力など観念論だと笑った。キング博士も「心という『最も現実的で最も強力な力』が、今や非現実的とされ、死刑を宣告されている」と嘆いた。人間精神へのこうした冷笑から「戦争の世紀」は生まれたのではないだろうか。
その意味で、二十一世紀に人類が直面している緊急の課題は、文明間の衝突でもなければ、「テロ」対「対テロ戦争」でもないはずである。挑戦すべき焦点は「暴力」対「非暴力」の競争にある。「力ずくでという傲慢」対「対話する勇気」の競争である。「人間不信」対「人間信頼」の競争である。そして、これこそが真の「野蛮」対「文明」の戦いであろう。
あの関東大震災の時、神奈川でも、「暴力」対「非暴力」の戦いのドラマがあった。
大混乱のなか、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、襲ってくる」との流言が飛びかい、疑心暗鬼となった日本人が大量殺害を引き起こした。その渦中、鶴見警察署の署長・大川常吉氏は、助けを求める三百余人の人々を署にかくまった。署の周りは「奴等を出せ」と叫ぶ千人もの暴徒。大川氏は、ただ一人で出ていき、毒が入れられたという井戸の水を自ら飲みほして疑いを解くとともに、「この人たちを殺すなら、その前に私を殺せ!」と、大手を広げて立ちふさがった。その決死の気迫が、猛りたった人々を正気に戻した。この話を神奈川新聞紙上で拝見し、私は感銘した。
まさに非暴力とは勇気の別名である。
公民権運動の母、ローザ・パークスさんにお会いした。この穏やかな婦人のどこから、激しい人種差別と戦う勇気がでてたのか不思議なほど、物静かで優しい女性であった。彼女が、バスの運転手から「黒人は白人のために席を立て」と言われて、「ノー」と答えた日。彼女は疲れていた。体が疲れていたのではない。「不当な扱いに従うこととに、ほとほと疲れていた」のである。もういやだ。もう侮辱にも暴力にもうんざりした。こんな社会を子どもの代まで変えられないならば--私は私の「心の誇り」を汚してしまう!
彼女が、その自分の思いに正直に行動した瞬間から、歴史の回転が始まった。心から心へ炎は燃え広がった。アメリカは一変した。
非暴力の系譜とは、勇気の心の系譜である。非暴力の継承とは勇気の心の継承なのである。「ガンジーの教えを要約すると」と、弟子のネール首相は言った。「それは『断じて恐れるな』でした」。
(創価学会名誉会長・池田大作)
「未来への選択 20世紀の英知に学ぶ」
名誉会長の寄稿文 神奈川新聞に掲載
27日付の神奈川新聞に、池田名誉会長の寄稿文が掲載された。同紙の連載「未来への選択 20世紀の英知に学ぶ」の第1回「非暴力の系譜」に一文を寄せたもの。
名誉会長は、ガンジーは「心という『実在する最強の力』」を信じた、極めて現実主義的な指導者だったと指摘。関東大震災の際、決死の覚悟で多くの人命を救った鶴見警察署長の逸話などを紹介し、「非暴力の継承とは勇気の心の継承なのである」と綴っている。
2003年2月27日(木)
非暴力とは「心こそ大切」の哲学
(神奈川新聞 掲載)
◇「野蛮」対「文明」の戦い
マハトマ・ガンジーの忘れがたいエピソードある。ある会議の前、ガンジーが何かそわそわしていた。あたりを見回したり、机の中をのぞいたりしている。「何か、おさがしですか?」。ある人が聞いた。「そう、鉛筆をさがしているんじゃ」「ああ、それなら」。その人は自分の鉛筆を差し出した。「どうぞ使ってください」。しかし、ガンジーは「それは私がさがしている鉛筆ではない」と言う。しかたなく、その人は一緒にさがした。やっと見つかった。それは、わずか三センチほどの「ちびた鉛筆」であった。「あった、あった」とガンジーは喜び、説明してくれた。
「私が独立運動への援助を呼びかけ、各地を回っていたころだ。一人の少年が、この鉛筆を『どうぞ使ってください』と寄付してくれた。その子にとっては大事な大事な鉛筆を捧げてくれた。その心を私は忘れないのだ」。
これは、高名なガンジー研究家の森本達雄氏(名城大学名誉教授)が紹介されているエピソードである。
ガンジーにとって、「ちびた鉛筆」は、少年の熱い「心」そのものであり、どんな高級な万年筆よりも大切な「宝」であったに違いない。何でもない話のようだが、私は、ここに彼の非暴力の真髄のひとつがあると思う。それは「心こそ大切なり」という哲学である。
彼は独立運動の局面局面で、運動する国民の心が憎悪や臆病に汚されていないかを鋭敏に問題にした。「命を失おうとも、魂は失うな」と教えた。平和を創るにも、「平和な心」と「平和的手段」でしか不可能なのだと訴え続けた。薔薇の花がほしければ、薔薇の種を植えよ。戦争で憎しみの種を撒いて、どうして平和の樹が育とうか!
彼は極めて現実主義的な指導者だった。だからこそ、心という「実在する最強の力」を引きだそうとした。その力を信じない人は、非暴力など観念論だと笑った。キング博士も「心という『最も現実的で最も強力な力』が、今や非現実的とされ、死刑を宣告されている」と嘆いた。人間精神へのこうした冷笑から「戦争の世紀」は生まれたのではないだろうか。
その意味で、二十一世紀に人類が直面している緊急の課題は、文明間の衝突でもなければ、「テロ」対「対テロ戦争」でもないはずである。挑戦すべき焦点は「暴力」対「非暴力」の競争にある。「力ずくでという傲慢」対「対話する勇気」の競争である。「人間不信」対「人間信頼」の競争である。そして、これこそが真の「野蛮」対「文明」の戦いであろう。
あの関東大震災の時、神奈川でも、「暴力」対「非暴力」の戦いのドラマがあった。
大混乱のなか、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ、襲ってくる」との流言が飛びかい、疑心暗鬼となった日本人が大量殺害を引き起こした。その渦中、鶴見警察署の署長・大川常吉氏は、助けを求める三百余人の人々を署にかくまった。署の周りは「奴等を出せ」と叫ぶ千人もの暴徒。大川氏は、ただ一人で出ていき、毒が入れられたという井戸の水を自ら飲みほして疑いを解くとともに、「この人たちを殺すなら、その前に私を殺せ!」と、大手を広げて立ちふさがった。その決死の気迫が、猛りたった人々を正気に戻した。この話を神奈川新聞紙上で拝見し、私は感銘した。
まさに非暴力とは勇気の別名である。
公民権運動の母、ローザ・パークスさんにお会いした。この穏やかな婦人のどこから、激しい人種差別と戦う勇気がでてたのか不思議なほど、物静かで優しい女性であった。彼女が、バスの運転手から「黒人は白人のために席を立て」と言われて、「ノー」と答えた日。彼女は疲れていた。体が疲れていたのではない。「不当な扱いに従うこととに、ほとほと疲れていた」のである。もういやだ。もう侮辱にも暴力にもうんざりした。こんな社会を子どもの代まで変えられないならば--私は私の「心の誇り」を汚してしまう!
彼女が、その自分の思いに正直に行動した瞬間から、歴史の回転が始まった。心から心へ炎は燃え広がった。アメリカは一変した。
非暴力の系譜とは、勇気の心の系譜である。非暴力の継承とは勇気の心の継承なのである。「ガンジーの教えを要約すると」と、弟子のネール首相は言った。「それは『断じて恐れるな』でした」。
(創価学会名誉会長・池田大作)
