2006年8月アーカイブ

「世界平和の構造は、一人の人間や、一つの政党や、一つの国家だけでつくりあげられるものでは決してありません」「それはあくまで、全世界の協力的な努力の結果としてのみ成し遂げられるものであります」

国連の生みの親の一人で、その名付け親でもあったフランクリン・ルーズベルト大統領が、1945年3月、アメリカ連邦議会の演説で語った言葉であります。

彼は、自身が夢見た世界平和のための国際機関の誕生をみることなく、その翌月、国連憲章の採択のための「サンフランシスコ会議」が開幕する直前に逝去しました。

その壮大な理想を受け継ぐかのように、世界50カ国の代表が勇み集った会議では、"戦争と悲劇の流転史と決別し、平和な世界を断固として建設しゆくのだ"との熱気に包まれておりました。

当時、会議それ自体が「よりよき未来への人類の長い前進の里程標」と形容されたほど、世界は、国連創設という夢に熱い期待を寄せてやまなかったのであります。

2カ月にわたる討議を経て採択された国連憲章は、一つの大いなる誓いが結実したものとなりました。

「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い――」

前文に謳われたこの誓いは、単なる「過去」の反省だけにとどまりません。それは、何よりも「未来」の世代に対する崇高な責任感に貫かれたものだったのであります。

私も今から13年前(1993年3月)、憲章の採択の場となったサンフランシスコの会議場を訪れました。

「人類の議会」たる国連が産声をあげた世界史の劇的な瞬間に思いを馳せながら、国連に託された使命の大きさを、改めて噛みしめずにはいられませんでした。

創設から60年を経た国連の課題


世界を巻き込む大戦を、断じて再び起こさない――この当初の目的は、東西の冷戦対立をはじめとする数々の危機の中で、薄氷を踏むような危うさを常に抱えながらも、なんとか生き永らえてきたといえましょう。

しかし、その間にも、各地で紛争はやむことなく続いてきました。21世紀に入ってからは、テロの脅威がますます高まっております。さらに、貧困や飢餓、環境破壊、難民問題など、人間の尊厳を脅かす地球的問題群も、深刻の度を増しております。

創設から60年。国連を取り巻く状況に目を向けた時、浮かび上がってくるものは、いったい何か。

それは、アナン事務総長が、「加盟国間の深い亀裂、また、国連諸機関全体の機能不全により、私たちが一致団結して今日の脅威に取り組み、機会をとらえることができなくなっている」(2005年9月、国連総会特別首脳会合でのスピーチ)と指摘する厳しい現実でありましょう。

政府間組織という性格を有する中で、大胆な改革や挑戦を始めようとしても、各国の国益という厚い壁が立ちはだかってしまう――これが、国連が長い間、直面してきた難問であります。

そうした中で、国連への失望を語る声や、国連無力論が一部で叫ばれてもきました。たしかに国連には、時代の変化に対応しきれていない面があるかもしれない。また、多くの課題や批判があることも事実です。

しかし、世界の各地でさまざまな脅威に苦しんでいる人びとがいる限り、国連の大使命が失われることは、絶対にありません。

192カ国が加盟する最も普遍的な機関である国連を除いて、国際協力の礎となり、その活動に正統性を与えられる存在を、他に求めることは、事実上、困難であります。

そうであるならば、この60年の長きにわたって、「グローバルな対話の場」として国際的なコンセンサス(合意)づくりに努め、各地で人道支援の活動を担い続けてきた尊き実績をもつ国連を、より力強く支え、より活性化していく以外に道はないのではないでしょうか。

私がこれまで世界のリーダーや識者の方々と対話を重ねゆく中で、一貫して焦点を当ててきたのは「国連をどう考えるか」というテーマでありました。

それらの意見を要約するならば、国連が抱える問題点や、国連に対する要望はあるにせよ、「国連支持」という一点においては、ほぼ完璧に一致をみたのであります。

ただし、いざ国連を中心に行動を起こすとなると、自国の立場や利害のために距離をおいてしまう政治指導者が少なくないというのが、大方の見方でもありました。

実際、デクエヤル氏やブトロス・ガリ氏をはじめ、歴代の国連首脳との対話の中で浮き彫りとなったのも、"国連に「最大の期待」が寄せられる一方で、現実には「最小の支援」しか寄せられていない"という不本意な実情だったのであります。

「戦争の文化」を乗り越えるために

では、いかにして、この状況を打開すればよいのか。そのためには、まず当然のようであっても、国連が「人類の議会」であるという原点に常に立ち返ることで あり、国益や主張のぶつかり合いで、どれだけ厳しい対立の構図に陥ったとしても、各国が「対話」という軸足を動かすことなく、人類共闘の地歩を一歩ずつで も固めていくしかないと、私は考えます。

「対話」がなければ、世界は、分断の暗闇の中を迷走し続けなければなりません。その意味で「対話」とは、ギリシャ神話の怪物ミノタウルスが住む迷宮のような袋小路から、人類が抜け出すための"アリアドネの糸"ともいえましょう。

こうした「対話」を忍耐強く継続する中でこそ、時代の要請する「共生」と「寛容」のエートス(道徳的気風)が育まれる。それがやがては、人類史を転換しゆく「平和の文化」の土壌となることを、私は確信してやみません。

今、世界には、混迷深まるイラク・中東情勢をはじめ、北朝鮮やイランの核開発問題、またアフガニスタン情勢の悪化、さらにアフリカ各地で続く紛争など、幾多の問題が山積しております。

しかし、状況が深刻だからこそ、国連の最大の特性ともいうべきソフトパワーの源泉となる「グローバルな対話の回路」を、できうる限り駆使しながら、事態打開の糸口を探る努力を粘り強く続けることが、大切ではないでしょうか。

グローバル化の波とは裏腹に、国家間の対立や内戦など、分断化が進む世界にあって、戦争や暴力といった手段に訴えて自己の主張を押し通そうとする「戦争の文化」が増長しております。今ほど、その根を断ち切る挑戦が求められている時はありません。

それは、対話を通じて、互いの立場を理解しながら、共に人間の尊厳が輝く「平和な地球社会」を目指していく断固たる前進であります。

この「対話の文明」の大建設に向けて、国連が厳然と中心的な役割を死守していただきたいと、私は強く訴えたいのであります。

世界の紛争解決と平和に捧げた生涯


ここで、21世紀の国連が進むべき方向性を見定めるために、今なお"国連の良心"として慕われ、国連史に不滅の光を放つダグ・ハマーショルド第2代事務総長の事績にスポットを当てておきたい。

スウェーデン出身の経済学者であったハマーショルド総長は、東西冷戦の緊張が高まる最中、国連が受動的な対応にとどまることなく、世界平和への主体的な役割を担うことを志向したリーダーであります。昨年は、生誕100周年に当たっておりました。

その手腕は、スエズ危機をはじめ、レバノン事件やラオス問題などで発揮され、自ら現地に赴き、調停に当たる「静かな外交」に精力的に取り組んだことも、不滅の足跡であります。

そうした積極的な外交姿勢に批判的な国もあり、ソ連のフルシチョフ首相から辞任を迫られた時もありました。しかし、ハマーショルド総長は、断固、これを拒否し、国連の中心者として難局に挑み続けたのであります。

亡くなった後、発刊された『道しるべ』には、その不屈の信条を綴った言葉が残されております。

「≪鑿を打ちこんでない石塊≫――。おまえ自身の、また全人類の中核に留まってあれ。そのためにおまえに課される目標めざして行動せよ。一瞬一瞬に、能う かぎりの力を尽して行動せよ。結果を顧慮せず、自分のためにはなにごとも求めずに行動せよ」(鵜飼信成訳、みすず書房)ハマーショルド総長は、この宗教的 ともいうべき高邁な使命感をもって、「世界が期待する国連」の重責を、最後の瞬間まで担い続けました。そして1961年9月、コンゴ紛争の解決のため、カ タンガのチョンベ大統領との会談に向かう途中、北ローデシア(現在のザンビア)で飛行機事故に殉難し、56年の生涯を閉じたのであります。

その一連の功績を称え、没後にノーベル平和賞が贈られています。

 『我と汝』の翻訳に込められた思い


このハマーショルド総長が、逝去の直前、コンゴ紛争の調停とともに、やり遂げようと決意していたことが、実はもう一つありました。

それは、彼が敬愛してやまなかった"対話の哲学者"マルティン・ブーバー氏の『我と汝』を、母国スウェーデン語に翻訳することだったのであります。(以下、モーリス・フリードマン『評伝マルティン・ブーバー 下』黒沼凱夫・河合一充訳、ミルトス)

両者の交流は、事務総長に就任する前年の1952年に始まりました。共感を深め合う中、ハマーショルド総長は、ブーバー氏の著作を自ら翻訳したいとの思い を強めていきました。その気持ちを手紙に綴ったところ、ブーバー氏からの返事で、『我と汝』を翻訳してはどうかとの提案を受けたのは、コンゴへ出立するわ ずか数週間前であったようであります。

即座にスウェーデンの出版社と連絡をとり、快諾を得たハマーショルド総長は、その旨を手紙に認め、ブーバー氏に送りました。

ハマーショルド総長はニューヨークを飛び立ち、コンゴへ向かう途次でも、著者本人から贈られたドイツ語版の『我と汝』を、常に携えておりました。

そして飛行機での移動時間や、一時滞在したレオポルドビル(現キンシャサ)で、激務の合間を縫いながら、翻訳作業に取りかかっていたのであります。

最後の滞在の地には、その遺稿というべき『我と汝』の12ページ分の翻訳原稿が残されていたといいます。

ブーバー氏がハマーショルド総長からの手紙を受け取ったのは、飛行機事故のニュースをラジオで聞いた、まさに1時間後のことでありました。

ブーバー氏は、「使命のために殉教してしまった」と、その死を深く悼みました。そして、最後まで成すべきことを成し遂げようと試みた善意と情熱の人生を、心から偲んだのであります。

難局を打開した"一対一"の対話

ハマーショルド総長が、ブーバー氏と共有し、著作の翻訳を通じて、人びとに伝えようとした信念とは何であったのか――。

それは、いかなる難局にあろうとも、人間は他者と「真の対話」を持ちうるという確信だったのではないか。そして「真の対話」がなされれば、不信と分断の世界にも、必ず橋をかけることができる、との信念であったに違いないと、私は思うのです。

そのことを象徴する有名なエピソードがあります。(以下、BrianUrquhart"Hammarskjold",W.W.Norton& Company)1954年の暮れ、ハマーショルド総長は、朝鮮戦争の際に囚われたアメリカ人飛行士の釈放を求めて、国連の議席が未回復状態にあった中国 へ向かい、年明け早々に、周恩来総理との会見に臨みました。

周囲からは反対され、また通訳の同行も認められないなか、単身、会見の席に臨んだ総長は、周総理にこう語りました。「私は、あなたに懇願するためにきたの ではなく、あなたの知恵と平和実現の思いの強さを信頼してきました。今、囚われているアメリカ人飛行士の運命が、平和への重要な要素となっていることを理 解していただきたい。

目と目を合わせ、率直に会談することによって、今ここにある摩擦を悪化させないことが、切迫した要請であると理解してもらうことが、事務総長として、また一人の人間としての大きな懸念であることを、どうかわかっていただきたいのです」と。

人間こそが人間を知る――私も、この周総理とは、忘れ得ぬ出会いを結びました。周総理が逝去される1年ほど前(1974年12月)のことです。

これに先立つ1968年9月、日本と中国との間で戦争状態が正式に終結していない状況にあって、私は、日中の国交正常化と、国連における中国の議席回復を 求める提言を行いました。そうした経緯をよくご存じであった周総理は、病気療養中で、こちらが辞退したにもかかわらず、北京の病院で私を温かく迎えてくだ さったのです。

周総理は、30歳も年の離れた私に対し、烈々たる気迫で「全世界の人びとが、お互いに平等な立場で、助け合い、努力することが必要です」と語られました。そして、アジアと世界の平和を展望されながら、中国と日本の万代の友好を、強く願われたのであります。

この私自身の体験に照らしても、周総理とハマーショルド総長との間に、どのような魂と魂の対話が交わされたのか、その光景が目に浮かんでまいります。

事実、この会見を通じて、総理と総長に、ある種の共感が芽生えたことが端緒となり、11人のアメリカ人飛行士の釈放への道が開かれたのであります。

ともあれ、国と国の関係、また、国連と各国の関係といっても、その源は、人間と人間との出会い、そして心を開いた対話から、すべては始まります。

いかに情勢が厳しくとも、直接会って、対話を重ねる中で、問題解決の突破口は必ず開くことができる――。ハマーショルド総長が在任中、紛争の調停のため、各地へ駆けつける際に、常に念頭においていたものは、この確信にほかならなかったと、私は考えるのであります。

世界平和のために飽くなき努力を傾けた、このハマーショルド総長の精神こそ、「対話の文明」の担い手たる国連がよって立つべき指針であります。そして、ここにこそ、21世紀の人類が受け継ぐべき、重大な魂の遺産があるとはいえないでしょうか。

その意味でも、今、緊張の高まる中東地域において、国連を軸に、関係各国が粘り強い対話と連携を通して、事態の打開と安定化を図ることが強く求められます。

1カ月にわたって武力衝突が続いたレバノン情勢も、先日、国連安保理の決議を受けて、ようやく停戦状態にいたりました。

しかし、いつ紛争が再燃するかわからない不安定な状態が続いており、そこから一歩進めて、より安定的な平和秩序の回復という段階に移行させることが急務となっております。

私は、その新たな局面を開くための対話の回路を、国連を通じて、あらゆる面から模索していく努力を切に望むものであります。

軍国主義と対峙した学会の原点


こうした国連の大使命を思う時、私の胸に響いてくるのは、創設60周年を迎えた昨年の9月、世界170カ国の首脳が集って行われた国連総会特別首脳会合の席上、アナン事務総長が呼びかけた言葉であります。 

「フランクリン・ルーズベルト大統領の言葉を借りれば、私たちは『世界が理想とは程遠いとわかっていても、自分たちの責任を全うする勇気』を持たなければ なりません」60年の歳月を経ても変わらざる国連の存在意義とは、まさに、この「勇気」と「責任」の結集軸たる点にあるといってよいでありましょう。

この国連を支えるために、世界の民衆の連帯をつくりあげていくことは、私の師である戸田城聖・創価学会第2代会長の遺命でもありました。

戦時中、宗教的信条に基づき、牧口常三郎初代会長とともに、日本の軍国主義と真っ向から対峙した戸田第2代会長は、2年に及ぶ投獄にも屈しませんでした。

その出獄は、1945年の7月3日。サンフランシスコで国連憲章が採択されたのと、ほぼ時を同じくしていたのであります。

「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」をはじめ、卓越した平和思想を残した戸田会長は、次のような信条を抱いておりました。

国連は、20世紀の人類の英知の結晶である。この世界の希望の砦を、次の世紀へ断じて守り、断じて育てていかねばならない、と。

そして、「地球上から悲惨の二字をなくしたい」と念願しつつ、平和を求める民衆の連帯を広げる行動に邁進していったのであります。

わが家も4人の兄が徴兵され、長兄は戦死しました。老いたる父母の悲しみは、あまりにも深かった。

戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない。このことを、私は青春の生命に刻みつけました。

そして戦後まもなく、戸田会長と出会い、師と同じく、戦争の流転に終止符を打ち、平和な世界を実現させるために、この人生を捧げようと固く決意したのであります。


1960年10月に国連本部を初訪問


わが師の遺志を継ぎ、第3代会長に就任した私は、世界平和への行動の第一歩を踏み出すに際し、アメリカの天地を選びました。

その理由の一つも、アメリカに、地球平和の基軸としての国連本部が設置されていたからであります。

1960年の10月、ニューヨークの国連本部を訪れた時の記憶は、今なお鮮烈であります。当時は、ハマーショルド総長の時代で、国連本部では折しも、アメ リカのアイゼンハワー大統領やソ連のフルシチョフ首相をはじめ、世界各国の首脳が数多く出席した、第15回国連総会が行われておりました。

本会議や委員会の議事を傍聴する中で、私の胸に深く残ったのは、独立してまもないアフリカ諸国の代表が、生き生きと討議に参加している姿であります。この 総会では、カメルーンやトーゴ、マダガスカルなど17カ国の国連加盟が認められました。キプロスを除いて、そのすべてがアフリカ大陸の新しい独立国だった のです。

それだけに、本会議や委員会の討議においても、"国連を通じて、より良い世界をつくりあげたい"との息吹が、アフリカ諸国の若き代表の姿からひしひしと伝わってきました。以来、国連の大使命を思う時、いつも、まず脳裏に浮かんでくるのは、この時の情景なのであります。

その後も私は、世界各地を回る中で、多くの人びとが国連に対して抱いている強い期待や願望を感じてきました。そうした人びとの思いを、国や民族や宗教の違いを超えて一つに結びつけ、国連支援の輪を広げるべく、私は世界の指導者や識者との対話を重ねてきたのであります。

こうした「文明間の対話」や「宗教間の対話」に取り組む一方、時代変革のための具体策を打ち出す作業が欠かせないとの思いから、1983年以来、毎年、平和提言を発表してまいりました。

そして、国連強化の道を展望し、さまざまな角度からの提案を続けるとともに、民衆レベルでの国連支援の重要性を訴えてきたのであります。

またSGIとしても、国連支援の運動を世界各地で展開してきました。

冷戦の時代から民衆次元で行動


東西冷戦の緊張が高まる中、国連の「世界軍縮キャンペーン」を受けて、1982年6月にニューヨークの国連本部でスタートした「核兵器――現代世界の脅 威」展は、その代表的なものです。ソ連(現ロシア)や中国などの核保有国をはじめ、世界25都市を巡回し、のべ120万人の市民が見学しております。

さらに冷戦崩壊後も、「戦争と平和」展や、内容を刷新した「核兵器――人類への脅威」展等を行い、平和を求める民衆の心を喚起しながら、世界不戦への潮流を高めてまいりました。 

人権教育の分野では、「人権教育のための国連10年」(1995―2004年)を推進する形で、「現代世界の人権」展を開催してきました。この10年の取 り組みが終わった後も、人権教育の新たな国際的枠組みづくりのために、国連機関や他のNGO(非政府組織)と連携を深め、その努力は、国連の「人権教育の ための世界プログラム」として結実しています。

また地球環境問題の分野においても、「持続可能な開発のための教育の10年」の設置を、他のNGOとともに呼びかけてきました。その結果、国連総会での採択を経て、ユネスコ(国連教育科学文化機関)を中心とした取り組みが昨年からスタートしております。

さらに人道援助の分野では、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の難民救援活動への長年にわたる支援に加えて、1992年にはカンボジアでの民主選挙 実施のために、UN-TAC(国連カンボジア暫定行政機構)の要請に応え、30万台の中古ラジオを集め、寄託した「ボイス・エイド」キャンペーンなどにも 取り組んできました。

こうしたSGIの国連支援の輪は、今や世界190カ国・地域に広がっております。

SGI(創価学会インタナショナル)がこれまで取り組んできた運動は、いずれも、生命尊厳の仏法の哲理を学び、実践する人間としての、やむにやまれぬ思いの発露にほかなりません。

国連が目指す道は、「平和」「平等」「慈悲」を説く仏法の思想と相通じております。ゆえに、その国連への支援は、私ども仏法者にとって"必然"ともいうべき行為なのです。仏典には、勝鬘夫人という一人の女性が、釈尊に次のような誓願を立てる話が説かれております。

「私は、孤独な人、不当に拘禁され自由を奪われている人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、豊かにしていきます」

そして彼女は、自ら立てた誓願のままに、生涯、苦悩に沈む人びとのための行動を貫き通したのであります。私どもの信奉する日蓮大聖人の仏法には、そうした 大乗仏教の精神が脈々と流れ通っております。したがって、現代世界において、人間の尊厳を脅かす脅威に立ち向かい、その解決のために努力を続ける国連を支 援することは、勝鬘夫人に象徴される菩薩道的生き方の一つの帰結にほかならないのであります。

とくに国連が近年、力を入れている「人権」「人間の安全保障」「人間開発」、さらにまた「平和の文化」や「文明間の対話」といった分野は、仏法を貫く平和思想ともきわめて親近しており、私どもは大いに共感を抱いてまいりました。

『立正安国論』を貫く平和思想


その思想的源流には、日蓮大聖人が、戦乱や天災で民衆が塗炭の苦しみに喘いでいた13世紀の日本で著された『立正安国論』があります。

『立正安国論』では、「くに」を表す漢字一つをとってみても、「囗(くにがまえ)」の中に、「玉」(王の意)や「或」(戈を手にして国境と土地を守る意) の字ではなく、「民」を用いた、「■<くにがまえの中に民>」という字が大半を占めています。そこには、権力者でも領土でもなく、民衆の幸福と平和に最大 の眼目を置く、現代でいうところの「人間の安全保障」に通ずる思想が脈動しているのであります。

また全編を通じて、当時の日本に蔓延していた、無力感や諦めを人びとに促し現実の変革から目をそむけさせる思想や、個人の内面にのみ沈潜し、社会とは没交渉となる思想などを、厳しく指弾しております。

そうではなく、人間が本来もつ可能性や力を存分に開花させながら、民衆一人一人が時代変革の主体となって立ち上がる――今でいう、「人間開発」の核心をな す「エンパワーメント(能力開発)」の発想が、明瞭に打ち出されております。さらにその上で、「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を■<示へんに 壽>らん者か」(御書31ページ)と、一身の幸福にとどまらず、全人類の平和をともに希求していく「平和の文化」の創造を強く促しているのであります。私 どもがこれまで、展示活動やセミナーを通じた草の根レベルでの意識啓発に力を入れつつ、国連の活動を「軍縮教育」「人権教育」「環境教育」といった「教 育」の側面から支えようとしてきた最大の理由も、ここにあります。

さらにまた『立正安国論』は、「客来って共に嘆く■<しかばねかんむりに婁>談話を致さん」(同17ページ)とあるように、思想的背景の異なる二人が、共に社会を憂う場面から始まっております。

そして、「悲劇を生み出す原因は何か」「悲劇を止める術はあるのか」「人間はそのために何ができるのか」と、真摯な対話を交わす中で、最後に、共に心を合わせて行動することを誓う場面で、論を終えているのであります。

こうした「対話」による内面的な触発を通し、社会変革への「行動」に力を合わせて立ち上がるアプローチは、釈尊以来の仏法の伝統的な精神に基づくものです。

1995年に制定したSGI憲章においても、「SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のため に協力していく」と明確に謳い上げております。SGIでは、この精神に則り、地球的問題群を解決する方途を探るため、宗教や文化的背景の異なる多くの人び とと「開かれた対話」を重ねながら、目覚めた民衆の連帯を世界各地に広げてまいりました。

 ソフトパワーを時代の潮流に


冒頭で述べたように、対立と緊張が続く世界にあって、こうした「対話」の力で、平和と共存の時代への潮流を高めていくことこそ、21世紀の国連が目指すべき道であります。

そして、グローバルな対話に基づく合議体、行動体として、民衆の平和と幸福に焦点を定めた「人権」「人間の安全保障」「人間開発」の三つの柱を根本に、地球的問題群の解決に臨む人類共闘の足場を築いていくことに、その最大の使命はあると、私は思うのです。

もちろん国連憲章には、紛争の平和的解決を定めた第6章とともに、強制措置を定めた第7章があるように、軍事的措置を含む「ハードパワー」の行使も想定さ れてはおります。しかし憲章が、第6章の先行をとくに謳っているように、「ハードパワー」の選択はあくまでもぎりぎりの局面での最終手段であらねばなりま せん。

国連の第一義的使命は、どこまでも対話と国際協調をベースにした「ソフトパワー」による世界の平和と安定化にあるのです。

思想家のオルテガ・イ・ガセットは、「文明とは、力をウルティマ・ラチオたらしめる試みに他ならない」(『大衆の反逆』神吉敬三訳、筑摩書房)との名言を残しました。

ウルティマ・ラチオとは「最後の手段」の謂であり、二度の世界大戦を教訓に誕生した国連の淵源を鑑みても、この原則は断じて守り抜かれるべきものであります。

ゆえに国連は今後とも、軍事力など「ハードパワー」による問題解決のアプローチではなく、信頼醸成や予防的措置を重視した「ソフトパワー」の充実にこそ、力を注ぐことが大切であると思うのです。

東洋の伝統的な考えに、「60年」を一つの大きな時代の節目と位置づけ、そこから再び新しい時代が始まるという捉え方があります。

その意味でいえば、昨年、創設60周年を迎えた国連は、今一度、大いなる使命に立ち返って、新たなスタートを切る絶好の機会を迎えているのではないでしょうか。

人類への貢献を競い合う世界へ


そこで、私が、新しい国連像の一つの形として具体的に提起したいのが、「人道的競争」の中心軸としての国連であります。

この「人道的競争」とは、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が、20世紀の初頭(1903年)に発刊した著書『人生地理学』で提示した理念です。

牧口初代会長は、帝国主義や植民地主義が世界を跋扈していた時代にあって、軍事や政治面、また経済面での熾烈な競争が繰り広げられ、肝心要の"人間一人一人の幸福"が埋没している状況を鋭く批判しました。

そして、こうした弱肉強食的な競争から脱し、共生のビジョンに基づいて"自他ともの幸福"を目指す「人道的競争」へと進みゆくことを訴えたのであります。

牧口会長は、その時代転換の要諦について、こう論じております。

「従来武力或は権力を以て其領土を拡張し、成るべく多くの人類を其意力の下に服従せしめ、或は実力を以て其外形は異なるとも、実は武力若くは権力を以てし たると同様の事をなしたるを、無形の勢力を以て自然に薫化するにあり。即ち威服の代はりに心服をなさしむるにあり」(『牧口常三郎全集 第二巻』第三文明 社)


つまり、「威服」から「心服」へ――現代的に言い換えれば、軍事力や政治力、または圧倒的な経済力をもって、他国を一方的に意のままにしようとしたり、強制的な形で影響を及ぼそうとする「ハードパワー」の競争から決別することであります。

そして、それぞれの国がもっている外交力や文化力、また人的資源や技術・経験等を駆使した国際協力を通して、自然とその国の周りに信頼関係や友好関係が築かれていくような、「ソフトパワー」による切磋琢磨を呼びかけたのであります。

こうした「人道的競争」、すなわち「ソフトパワー」に基づく影響力の競争が広がっていくならば、従来のような敗者の犠牲や不幸の上に勝者がある「ゼロサ ム・ゲーム」に終止符が打たれるようになるはずです。さらに、それぞれの国が、人類への貢献を良い意味で競い合う中で、地球上のすべての人びとの尊厳が輝 く「ウィン・ウィン(皆が勝者となる)」の時代への道が開かれていくはずであります。
 直面する課題に一致した対処を.残念なことに、世界では今なお、自己の利益のために他の犠牲を顧みない競争が続いており、急速に進むグローバル化の動きと相まって、貧富の差は拡大の一途をたどっております。

また地球環境問題に代表されるように、人間の尊厳を脅かす脅威もボーダーレス化しており、各国の個別的な対応だけでは、もはや通用しない時代を迎えていることに留意せねばなりません。

アナン事務総長が「21世紀にあっては、各国がそれぞれの優先課題にばらばらに取り組んだり、特定国の優先課題を損なうような試みを他国がしているような 余裕はない」「各国が協調して問題に取り組めば、もっとも強大な国が単独で達成できる以上の成果を手にできるようになる」(『国連改革、今こそ決断のと き』フォーリン・アフェアーズ・ジャパン訳、「論座」2005年7月号)と強調しているのも、その意味からでありましょう。

大切なのは、各国の持てる力を分散させることなく、国連に結集させていくことです。人類の共有財産である国連を、名実ともに「世界の民衆のために貢献する国連」へと強化する第一歩は、すべてそこから始まるといっても過言ではありません。

本来、いかなる国も、国際社会のよき一員として名誉ある地位を占めたいと願っているはずです。その志向性を引き出しながら、競争のエネルギーを、暴力的な方向ではなく、人道的な方向へと向けていくことが肝要なのです。

こうした時代転換の旗振り役を果たすことこそ、「人道的競争」の中心軸としての国連の最大の責務であると、私は考えるのであります。

その流れをつくりだし、21世紀の国連の背骨に「人道的競争」の理念を定着化させるバロメーターとして私が提示したいのは、(1)「目的の共有」(2)「責任の共有」(3)「行動の共有」という、「三つの共有」であります。

ここで、この「三つの共有」に沿って、国連が取り組むべき課題とそのための改革案を、私なりに提起してみたいと思います。

第一は、"平和とは単に紛争が存在しないことではない"との認識に立って、地球上のすべての人びとの尊厳と幸福のために「平和の文化」を建設するという、「目的の共有」を確立していくことであります。

その意味で真っ先に取り組むべきは、人間の尊厳を日常的に脅かしている「貧困」の問題でありましょう。UNDP(国連開発計画)によれば、いまだに世界で25億人もの人びとが、一日2ドル未満での生活を余儀なくされているといいます。

UNDPのケマル・デルビシュ総裁は、このままでは国連が2015年までに目指している、貧困層の半減などの「ミレニアム開発目標」は達成できないとして、次のように警告しております。

「そのような状況は、とりわけ世界の貧困層にとって悲劇となる一方、富裕国もその失敗がもたらす結果から逃れることはできないだろう。相互依存の世界にお いて、我々が共有する繁栄と集団的安全保障は、貧困との闘いの成否にかかっているのだ」(UNDP『人間開発報告書2005』のプレスリリースから)

多くの資源を消費し、豊かな生活を謳歌する一部の国々の陰で、世界の大半の人びとが貧困の苦しみから抜け出せずに、幾世代にもわたって人間の尊厳を脅かされ続けている――この地球社会の歪みを是正することは、人道的な面でも絶対に避けて通れない重大問題であります。

しかも、これは決して克服できない課題ではありません。UNDPによれば、貧困問題の解決にかかるコストは、全世界の所得合計のわずか1%にすぎないと言 われております。各国で軍事費に費やされている資金の一部でも、そこに充当されるような仕組みができれば、貧困に苦しむ多くの人びとの状況を改善する上で 大いに役立っていくに違いありません。

私は、今一度、こうした資金の国際的な枠組みづくりについての真剣な検討を、強く求めたい。

そしてこれと合わせて、貧困に苦しむ民衆一人一人へのエンパワーメントを重視した人間開発のための国際協力、とくにユネスコが進めている「万人のための教育」の活動などに積極的な支援を行っていくことを、各国に改めて呼びかけたいと思うのであります。

「核軍縮」をめぐる停滞状況の打破を


この貧困問題の解決とともに、「戦争の文化」に終焉を告げるために目をそむけてはならないのは、「軍縮問題」なかんずく「核軍縮」の問題であります。

先に述べた「人道的競争」の思潮が国際社会に定着していくためには、「他国の恐怖と不幸の上に、自国の安全と幸福を築くことはできない」という現実認識 と、新たな地球的倫理の確立が欠かせません。この地球的倫理とまさに対極にあるのが、圧倒的な破壊力をもって他国に脅威を与えることで、自国の安全保障を 確保しようとする"核保有の論理"といえましょう。

国連には、軍縮のための多国間討議の場として「ジュネーブ軍縮会議」があります。しかし、1996年に「包括的核実験禁止条約」の案をまとめる成果をあげ て以降、各国の意見対立が続き、10年近く活動が停滞する状態となっていることは、憂慮すべき事態というほかありません。

その停滞状況は、広島・長崎への原爆投下から60年を迎えた昨年も変わることはなく、5月のNPT(核拡散防止条約)再検討会議は、具体的な成果を得られ ぬまま閉会しました。それに続く、9月の国連総会特別首脳会合でも、成果文書における核軍縮・不拡散に関する言及がすべて削除されるなど、世界の平和を願 う多くの人びとに深い失望を抱かせる結果となってしまったのであります。

こうした中、ハンス・ブリクス氏(イラクの査察にあたった国連監視検証査察委員会の元委員長)を中心とする有識者グループ「大量破壊兵器委員会」が、核軍縮と核不拡散に関する提言をまとめ、今年の6月、アナン事務総長に『恐怖の兵器』と題する報告書を提出しました。

国際司法裁判所の勧告から10年


そこでは、(1)軍縮や不拡散、またテロリストによる大量破壊兵器の利用に関して議論する「世界サミット」を国連で開催する(2)ジュネーブ軍縮会議の停 滞を打開するため、議題を設定するにあたっての全会一致方式を改め、3分の2以上の多数決方式に変更する、などの提案がなされております。

また核保有国に対し、「核兵器によらない安全保障の計画を開始すること。核兵器の非合法化のための準備を開始すること」との勧告も盛り込まれました。

いずれも、私がこれまで主張してきた方向性と合致するものです。同委員会による意欲的な提案を、各国が真摯に受け止め、暗礁に乗り上げたままの核軍縮問題の突破口を開く外交努力を一日も早く開始してほしいと、心から願ってやみません。

1996年に国際司法裁判所は、「核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法に違反する」との勧告的意見を出しました。その中で、「厳格かつ効果的な国際管理の 下において、すべての側面での核軍縮に導く交渉を誠実に行いかつ完結させる義務が存在する」との判断が示されてから、今年で10年になります。

今一度、この勧告的意見の重みを、各国政府に呼びかけながら、核軍縮の遂行を強く求める国際世論を高めるべきだと、私は考えます。

大量破壊兵器委員会の報告書でも、この点に関して、「意思さえあれば、最終的には核兵器廃絶でさえも、世界が到達できないことはない」「この10年間にわたり、軍縮と不拡散の取り組みの勢いと方向付けが、深刻で危険なほど失われている」と指摘されている通りであります。

核軍縮への各国の政治的意思が冷え切っている今だからこそ、世界の民衆が連帯し、声をあげることが、いやまして重要となってくるのではないでしょうか。 

そこで、私は、「核廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の、国連での制定を呼びかけたい。

核拡散が進む中にあって、より多くの人びとが核の脅威を「自分に関わる問題」として捉えること、また、その脅威をなくすために「自分も何かができる」と認識することが、現実の厚い壁を破るための足がかりとなります。

「行動の10年」は、そのための意識啓発を、国連とNGO(非政府組織)が協力して推進する10年としたい。そして、国際世論を糾合する中で、大量破壊兵 器委員会が提案しているように、軍縮問題を集中的に討議する世界サミットや国連の特別総会の開催を、速やかに実現させるべきではないでしょうか。

核兵器の徹底的な軍縮、そして核廃絶を目指す中で、「戦争のない世界」への展望を開くことが、今後の世界の焦点となる――。これは、昨年、逝去されたパグウォッシュ会議のロートブラット博士と私が、対談集『地球平和への探究』(潮出版社)で深く合意した点でありました。

核時代を終わらせるためには、核兵器を抑止のための"必要悪"としてきた国益優先の思考から、人類が脱却することが欠かせません。

この抑止論に抗し、核兵器の使用をいかなる理由があろうと認めないと訴えたのが、ロートブラット博士らによる「ラッセル=アインシュタイン宣言」でありました。さらにまた、私の師である戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」だったのであります。

人類の生存権に対する脅威という観点からみるならば、核兵器は"絶対悪"というほかありません。その廃絶こそが人類共通の責務であるとの思潮を時代精神へ高めることを、「核廃絶へ向けての世界の民衆の行動の10年」の眼目とすべきであると、私は提案したいのであります。

以上、私は「目的の共有」という面から、とくに貧困問題と軍縮問題を取り上げましたが、このほかにも多くの諸課題が人類に重くのしかかっております。

なかでも、地球環境問題は、文明論的なアポリア(難問)ともいうべき性質を有しており、その解決は容易ならざるものがあるといえましょう。

私はその問題意識から、「環境国連」の創設の提案をはじめ、毎年の平和提言などを通し、人類が英知を結集して、その解決にあたる体制を整える必要性を訴え続けてきました。

「貧困」「軍縮」「環境」のいずれをとってみても、同じ地球で暮らす「人類の一員としての自覚」と、「未来への責任感」に基づいた国際社会の一致した行動なくして、打開できるものは一つとしてありません。

国連を通じた「目的の共有」の確立が絶対に欠かせないのも、その理由からなのであります。

青年の積極参加で国連を再活性化

第二の提案は、「責任の共有」を図るために、国連でのさまざまな討議や、国連諸機関が各地で行う活動に、次代を担う青年たちが積極的に関わっていける制度を確立していくことです。

私が創立した戸田記念国際平和研究所では、今年の2月、ロサンゼルスで、国連の改革と強化をテーマにした国際会議を開催しました。

これに出席された国連のチョウドリ事務次長が、会議に寄せた「ビジョン・ステートメント(改革構想)」で提示しておられた次の主張に、私はまことに意を強 くしました。「現代の若い人びとが、国連の諸活動が有する価値に対し、理解を深め、評価を高めていくならば、世界の未来は、今よりもはるかに多くの『善な る行動者』に満ちたものになるであろう。その確信を、我々は抱くことができる」「今後、国連は、世界の将来を形づくる際、若い世代の発想や情熱で更に力を 得ていくために、若い人びとと一段と密接な関係を保ちながら、交流を図っていく組織となるべきである」

まったく同感であります。

国連がより力を発揮するためには、世界の多くの人びとの粘り強い理解や支援が欠かせません。加えて、グローバルな問題を解決する上では、旧来の国益重視の 考え方を脱し、地球益や人類益に立った「責任の共有」の裾野を広げていくことが大前提となります。そして、その主役こそ、まさに「青年」なのであります。

創設60年を経た国連は、青年の積極的な参画という"アルキメデスの支点"を得ることで、活力をいやましながら、新たな出発をすべきではないでしょうか。

未来を信じ、変革の種子を植える

実際、紛争解決の問題を例に考えてみても、いったん和平を達成しながら、5年以内に再び紛争や内戦状態に陥ってしまう地域は少なくありません。ひとたび紛 争が起き、暴力の応酬が引き起こす悲劇に見舞われた地域では、その支配層をなす世代は、容易に「憎しみや暴力の連鎖」を断ち切ることができない状況がある からです。

だからこそ、そうした過去を乗り越えられる可能性をもった若い世代に光を当てて、青年たちが新しい発想で平和と共存への道を模索することが、事態の改善を図る上での一つのポイントになるのではないでしょうか。

さらに、先に述べた貧困や軍縮、また環境問題についても、長期的な視野に立って、次の世代に力点を置いた教育と意識啓発を着実に進めていくならば、やがて時を経て"変革の種子"が芽生えていくはずであります。

私の師である戸田会長が「原水爆禁止宣言」で、核兵器の廃絶をとくに青年に託したのも、そうした遠大な未来展望に基づくものにほかなりませんでした。

そこで私は、一つの試みとして、毎年の国連総会の開会前に、世界の青年の代表を招いた「プレ・ミーティング」を行い、青年たちの意見に各国の首脳が耳を傾ける機会を設けることを検討してみてはどうかと提案したい。

また学生や青年たちの代表が、1年または2年単位で、国連諸機関が各地で行う活動に携わり、国連の活動の意義や課題を身をもって体験しながら、具体的なケースを通して地球的問題群に苦しむ人びとと同苦し、それを乗り越える道を探る機会を設けることも望ましいと思います。

たとえば、現在、UNV(国連ボランティア計画)を通し、毎年約5000人が各地に派遣されておりますが、その平均年齢は39歳で、主に専門分野の実務経験を持つエキスパートによって構成されています。

これとは別の形で、学生や20代の青年層が体験的に参加できる枠組みを拡充していってはどうでしょうか。

また、国連のインターン(研修)制度の更なる改善についても提案しておきたい。

参加対象を大学院生だけでなく、学生やNGOの若手スタッフまで広げる形で、国連における政策立案や審議の準備作業のサポートにあたるなど、青年たちが幅 広く関与できる仕組みを検討していくことも重要だと思います。私の創立したアメリカ創価大学の卒業生も、この国連のインターンに勇んで参加しております。

この点、平和学者のエリース・ボールディング博士が、私との対談集の中で、「未来を担う青年たちに、活躍できる"場"を与えることが重要である」と強調されていたことを思い出します。

博士は、「『世界市民』として成長できるような機会を、もっと作っていくべきです」とも語っておられました(『「平和の文化」の輝く世紀へ!』、潮出版社)。

 世界市民の育成が"国連の生命線"

ボールディング博士ご自身、国際平和学のクラスで学生たちに、一学期の間、地元にある国際的なNGOの支部の実習生として出向き、その活動を経験するよう推奨してきたとの話を伺い、深い共感を覚えたものであります。

こうした試みを一つ一つ積み上げながら、国連全体として、青年に焦点を当てていく体制を整え、青年の積極的な参画の機会を確保していただきたい。その意味 からも、世界の青年のために活動を特化した専門機関、もしくは国連事務局における「青年担当局」の設置を、今後の課題として検討してはどうかと思うのであ ります。

現在、同様の提案として、世界の人口の半分を占める女性のために、より総合的で強力な政策を進める専門機関の設置を求める声も、NGOの間で高まっており ます。国連が、世界の各地で厳しい状況に置かれている「青年」や「女性」へのエンパワーメントを推進していく。それと同時に、国連の諸活動への「青年」や 「女性」の参加の道が確立していくならば、今まで以上に多様な意見が国連の政策万般に反映されるようになり、国連の新時代も前途洋々と開かれていくのでは ないでしょうか。

加えて私は、世界の諸大学に、その社会的使命の一つとして「国連支援の拠点」としての機能を担っていくことを呼びかけておきたい。

すでに個々の大学では、研究者や研究機関が国連の諸活動を学術面でサポートする取り組みがなされてきました。これを世界的な規模で広げていくとともに、大 学が学生や市民に対する恒常的な意識啓発の場となることを目指し、国連の活動に関する講座などを重層的に設けることが強く望まれます。

これと同時に、学生を主体とした国連支援のネットワークづくりの重要性についても強調しておきたいと思います。かつて私は「国連を守る世界市民の会」を各 地に設け、国連支援の輪を広げていくことを提唱したことがあります。国や民族の枠を超えた人類的視野に立った人材を輩出していくことが、長期的にみて、国 連活性化の生命線となると考えたからです。

その一番の核となるべき存在こそ、学生であります。すでに世界には、学生同士が連携して国連支援の連帯を深める活動を行っているNGOなどもあり、更なる伸展が期待されます。

こうして、学生や大学が「点」となり、それをつなぐネットワークが「線」となって、やがては国連支援の輪という「面」が地球全体に広がっていく――私は、そうした"学生や大学と、より強固な関係を結んだ国連の未来図"を思い描いているのです。

 民衆からの基金で財政基盤を安定化

「責任の共有」という面で、もう一つ提案しておきたいことがあります。それは、国連の長年の課題である財政の安定化を図るために、現在の加盟国の分担金とは別の枠組みで、財政を支える制度を検討することであります。

国連が地球的問題群に効果的に対処し、責任を全うするためには、予算の安定的な確保が欠かせません。しかし、分担金の支払いの遅れや滞納に伴い、財政的な 制約から、即応すべき課題や重点的に取り組むべき活動に支障が出ることもあり、国連の力を損なう要因の一つともなっています。

ゆえに私は、こうした課題を乗り越えるために、市民社会などから幅広く資金の提供を募り、国連財政を支えるもう一つの柱とする――たとえば「国連民衆基金」のような制度を設けてはどうかと考えるものです。

たとえば、ユニセフ(国連児童基金)の財政は、加盟国の任意協力と民間の募金から成り立っており、総収入のうち、民間からの資金協力は33%を占めています。

こうした事例なども参考にしながら、個人や団体、またグローバルに活動する国際企業等からの尊い寄金を募り、人道分野を中心とした国連の活動資金に重点的に充てる制度を考えていくべきではないでしょうか。

 地域的視点からの解決のアプローチ

第三の提案は、「行動の共有」を図るために、加盟国と国連との関係をより緊密にするとともに、国連の各機関の現地における活動を調整するための「国連地域事務局」を設置するプランであります。

国連の活動が軌道に乗るまでには、長い時間と労力が必要であり、とくに脅威に苦しむ国にとっては、その周辺地域の国々の持続的な支援が大きな力となりま す。また、「貧困(Poverty)」と「人口増加(Populationgrow-th)」と「環境悪化(Environmentaldegrada- tion)」の英語の頭文字をとって、それらの間にみられる悪循環が「PPE問題」と呼ばれるように、地球的問題群はさまざまな形で密接にからみ合い、個 別に対処するだけでは解決できない複雑性を帯びております。

さらに、地球的問題群といっても、地域によって状況は異なるため、それぞれの実情を踏まえた問題解決のアプローチが求められています。

この「持続性」「複雑性」そして「地域性」という三つの要請を鑑みる時、地域ごとに、何らかの形で国連の中心拠点を設けることが、重要なポイントとなってくるのではないでしょうか。

それはまた、各地域において、民衆一人一人の平和と幸福に焦点を定め、「人権」「人間の安全保障」「人間開発」の政策を総合的に推し進める体制を整えることにもつながるでありましょう。

といっても、既存の各機関の体制を編成し直す必要は、必ずしもないと思われます。

この案の主眼はあくまで、国連と加盟国をより緊密につなぐとともに、地域ごとに国連諸機関のシナジー・グループ(相乗作用を及ぼし合い、より大きな効果を発揮する体制)をつくりあげながら、地域が抱える問題に一丸となって当たる「行動の共有」を図る点にあるからです。

具体的に「国連地域事務局」の受け皿となりうる既存の機関としては、たとえば、経済社会理事会のもとに置かれている五つの地域経済委員会である「アジア太 平洋経済社会委員会」「西アジア経済社会委員会」「アフリカ経済委員会」「欧州経済委員会」「ラテンアメリカ・カリブ経済委員会」なども候補として挙げら れましょう。

現在、EU(欧州連合)やAU(アフリカ連合)をはじめ、各地で地域統合や地域協力が進んでおります。これらの組織と国連を結ぶ懸け橋となり、国連を軸と した「グローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」を支える地域の"扇の要"として、今後、五つの「国連地域事務局」を設置することも検討に値するのでは ないでしょうか。

 国連と市民社会の協働関係の確立を

このプランに加えて、私が最後に「行動の共有」を図る重要なカギとして言及しておきたいのが、国連と市民社会のパートナーシップの強化であります。

市民社会の国連参加は、1990年代の一連の国連会議を通して飛躍的に進んできました。志を共にする政府やNGOなどのパートナーシップは、「対人地雷禁 止条約」に結実したオタワ・プロセスや、「国際刑事裁判所」の設立条約の採択など、時代を画する成果を生み出すまでになっております。

また2003年には、「国連と市民社会の関係に関する有識者パネル」が設置されました。そこでの成果が翌2004年に、「われら人民――市民社会、国連、 グローバル・ガバナンス」と題する報告書(カルドーゾ・リポート)として発表され、国連の活動を支える市民社会の役割への認識も高まってきています。

こうした中、昨年6月、私どもSGIの代表が議長を務める国連宗教NGO委員会では、国連部局・機関や各国政府と合同で「平和のための宗教間協力会議」を開催しました。三者が国連で宗教間会議を共催したことは、きわめて歴史的な出来事だったとの声も寄せられております。

国連が活性化し、世界の民衆が期待する役割を果たしていくためには、「国連」と「加盟国」に、「市民社会」を加えた三者が、それぞれ他にはない特性と役割を認め合い、協力関係を深めていくことが、断じて欠かせません。

今後も、この三者が、人類の直面する課題を前に同じテーブルにつき、対話を重ね、協働作業を行う環境づくりを進めていくことを、心から念願するものであります。

新たなる千年の大道をともに!!

以上、私なりに、21世紀の国連を展望し、三つの角度からの提案を述べさせていただきました。

かつて、第1次世界大戦が「国際連盟」を生み、第2次世界大戦が「国際連合」を誕生させました。

人類は今こそ、戦争の悲劇を経ることなく、世界の民衆のための「グローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」の創造に向けて、国連の更なる強化を図る挑戦を開始すべきでありましょう。

その勇気ある一歩を踏み出すには、国家間の討議の結果としての"上からの改革"を待つだけでなく、国連を支援する民衆の声を背景とした"下からの改革"のうねりを高めていくことが、どうしても不可欠であることを、重ねて訴えたいのであります。

多くの悲劇を生みだした20世紀が「警告の時代」であったとするならば、「行動」と「連帯」こそ、21世紀のキーワードであります。

この精神を、民衆一人一人が縦横に開花させながら、時代変革を目指す連帯の絆を深め、「平和の文化」を地球全体に広げていくことが肝要であります。ここにこそ、人類が着手すべき最大の挑戦があると私は思うのです。

その主役こそ、「民衆」であります。「青年」であります。私たちSGIは、志を同じくする世界の人びとと力を合わせながら、国連を軸とした平和と共存共栄の世界を目指し、人類の新たなる千年の大道を、断固として切り開いていくことを決意するものであります。

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