滔々たる長江の流れに連なって、雄大な洞庭湖が広がり、そして、数多の詩聖が詠じた岳陽楼も聳え立つ――。
ロマン香る湖南の天地からは、いにしえより、大中国の青史に、その名を刻みゆくスケールの大きな逸材が、どれほど澎湃と躍り出てきたことでありましょうか。
この詩情豊かな「人材の都」長沙に光り輝く名門学府・湖南師範大学での、意義深き「国際学術シンポジウム」に当たり、私は満腔の敬意を込めて、メッセージを送らせていただきます。
聞かれた対話を
ここ長沙には、世界の大学の淵源ともいうべき千年の学府「岳麓書院」があります。
この世界的な学問の殿堂で、朱子学の祖であり教育所としても名高い朱熹は、満場の学究の徒に対し、大宇宙と人間の精神を語りました。
この折、演壇の朱熹は、もう一人の教師と共に、二つに並んだ椅子に座ったと伝えられております。集った学生たちは、この二人の教師の闊達なる「対話」を聞くことを通して、学んでいったのであります。
生き生きとした「対話」によって、新しい知恵の世界を築きたい。開かれた「対話」を通して、世界を変えゆく新しい人材を育てたい――私には、この大先 哲・朱熹の魂が、今回の学術シンポジウムの尊き精神と、強く深く共鳴しているように感じられてならないのであります。今日、しばしば唱えられる「文化相対 主義」も、互いの「差異」を「理解する」ことに留まっているのではなくして、それを現実的な「平和の文化」の建設のために、いかにして連動させていくか。 それも、まず具体的な「対話」へと打って出る行動にかかっていると、私は思ってきた一人であります。
″一つの家族″
この「対話の文明」と 「平和の文化」の重要性については、近年、国連などでも叫ばれ、国際社会の認識も高まりつつあります。
それらの種子を、より着実に根付かせ、芽生えさせ、花開かせ、そして、21世紀の世界に豊かな実りをもたらしていきたい。そのためには、滋養となる土壌の存在、すなわち、確たる思想的な基盤が、ますます重要になってきております。
つまり、人類は"一つの家族"である。この家族は、あらゆる人種・民族によって構成される。そして人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが、この家 族を構成しているのである――こうした「平和」と「共生」の精神性の根底を、一段と深く広く耕していくべき時を迎えているのではないでしょうか。
その一環として、私は本年、21世紀における「儒教ルネサンスの旗手」として名高い、ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授と、『対話の文明――平和の希望哲学を語る』と題する対談集を発刊いたしました。
ドゥ教授は、国連が、2001年の「文明間の対話年」に開催した賢人会議に、儒教文明を代表して参加された世界的な知性であります。
ドゥ教授と私は、確認し合いました。
それは、「儒教ヒューマニズム」と「仏法の人間主義」とに通い合う、普遍的な人間尊厳の思想は、多様性に富む人類が平和的に繁栄する「多元文化と世界の調和」を構築しゆくための精神の大地となるものであるということです。
「誠」の振る舞い
その重要な「徳」の一つは、儒教の「中庸」であり、仏法の「中道」であります。
『中庸』には、明快に論じられております。
「誠とは天の働きとしての窮極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。
誠が身についた人は、努力をしなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成し、自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている」
(金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫)
「中庸」とは、いうまでもなく、極端に走らない生き方を指しています。ただし、それは足して二で割ったような、中間的、静止的な位置に留まるものでは、決してないはずです。
あくまでも現実に即した、自由闊達にしてダイナミックな生き方にほかならない。その躍動する智慧を支えるのが「天の道」であり、この道に則った、人としての振る舞いが「誠」とされているのであります。
この点、大乗仏教に説かれる「中道」もまた、「宇宙根源の法(妙法)」に則り、変転極まりない社会の只中で、「随縁真如の智」に基づき、自在に価値を創造していく、すぐれて融通無碍な人間の生き方であります。
儒教では「天人合一」を説き、大乗仏教では 「宇宙即我」を明かしました。
「中庸」も「中道」も、その生き方のなかに、大宇宙の「永遠なるもの」「普遍なるもの」に適った奥行きの深い倫理性を包含しております。
湖南が生んだ中国仏教哲学の最高峰である天台智顗は、『摩訶止観』において、儒教が尊ぶ「五常」(仁・義・礼・智・信)を、不殺生戒や不妄語戒、不偸盗戒などの「五戒」と対比させておりました。
そして、「仁」をもって他者を慈しむことは、仏教の「慈悲」の実践に相通じると洞察しているのであります。
この儒教倫理の根幹をなす「仁」を、現代的に表現するならば、国際社会に要請されてやまない 「ソフト・パワー」に当たる――。これが、ドゥ教授と私の一致した見解でありました。
今、テロや紛争が各地で続き、憎しみの連鎖や文明間の対立が深刻化しつつある状況の中で、喫緊の課題は何か。
それは、「仁」や「慈悲」などの徳目を、個々人の内的倫理に終わらせるのではなく、時代精神たる「ソフト・パワー」へと高めゆく広範な努力ではないでしょうか。
「慈悲」を広げよ
ドゥ教授が考察されているように、「仁」は「対話」によって、個人のみの安寧という狭量性を乗り越え、そして「交流」によって、ダイナミックで具体的な変革の力を持っております。
一方、大乗仏教の「慈悲」の精神が促しているものも、他者や社会との連関性の中で、絶えず自己の生命を変革していく菩薩道であります。
それは、「衆生病めば、則ち菩薩も病み、衆生の病愈ゆれば、菩薩も亦愈ゆ」という、釈尊在世の在家の菩薩・維摩詰の誓いに、よく象徴されております。
したがって、「仁」も「慈悲」も、他者に関わり、社会へ働きかけゆく人間倫理の根本といってよいでありましょう。
私たちは、今こそ、人類の宝である「仁」や「慈悲」の豊かな思想の土壌を深め、広げてまいりたい。そして、文化や文明の違いが深刻な対立を招き、戦争や暴力の悲劇が繰り返される時代に、断固として終止符を打たねばなりません。
21世紀の人類が目指すべきは、多様性を尊重し、互いの差異を新たな価値創造の源泉とし、プラスの影響を与え合う共存共栄であります。
そして、いかなる国も、いかなる民族も、″かけがえのない存在″として尊重され、皆が調和していく地球社会の建設なのであります。
そのような「多元文化」と「グローバルな共生の世界」を支えゆく普遍的な倫理が、「仁」から展開される儒教の「五常」に示されております。
とともに貴国の天台が明察したように、仏法の「慈悲」、すなわち非暴力に基盤をおく「五戒」に明かされているのであります。
そこで、この「五戒」の精神と照応し合う、儒教の「五常」における仁・義・礼・智・信の精神を、現代的に展開し、人類が共通して実践すべき五つの規範として、私なりに提示させていただきたいと思います。
(1)他者への不可侵を貫き、問題の平和的解決を決して諦めない。
(2)すべての生命の尊厳を守り、他者の苦悩や社会的問題を看過しない。
(3)互いの差異を尊重し、それぞれ文化伝統を学び合う心を持つ。
(4)人類益・地球益に立って、交流を図り、英知を結集する。
(5)「人間」そして「生命」という共通基盤に立ち、相手の人間性に対する信頼を手放さない。なかんずく、青年の善性の啓発に努める――。
いかなる文明や文化の相違があろうとも、こうした普遍的な倫理規範を通じて、「人間性」そして「尊厳なる生命」という共通の大地に立ち返る努力を、互い に積み重ねていくならば、どんな困難や課題も、必ずや乗り越えながら、人類は、新たな創造力を開発させていけるはずであります。世界におけるその実践は、 もはや他者の犠牲の上に自己の繁栄を追い求める、弱肉強食的な生存競争ではありません。互いに触発し合い、人類への貢献を競い合う「人道的競争」への転換 が、歴史の進むべき潮流ではないでしょうか。
「調和」の智慧が21世紀を照らす
100年前、創価教育の創始者である牧口常三郎先生が提唱した、この「人道的競争」の思想について、ドゥ教授は、「大同」という儒教の思想との親近性を指摘していました。
そして「大同」とは、「一律化なき調和」であり、「多様性の調和」の思想であるとも、明言されています。
まさしく「大同」思想は、儒教思想の英知が結集した、「多元文化」に彩られる人類の「調和・共生」の世界観なのであります。
この「大同」はまた、仏教の「縁起」の思想に深く通じ合っています。
「縁起」の思想は、すべての存在が、互いに関連し助け合いながら、多様な個性を発揮しつつ、ダイナミックに全体の調和をなしゆく世界観を明示しております。この世界観によって育まれる文化は、まさしく、多様性を尊重し合って、共に栄えゆく「平和の文化」なのであります。
1974年12月5日、北京で同恩来総理とお会いした際、総理は21世紀を展望し、毅然と言われました。
「すべての国が、平等な立場で助け合わなければなりません」
この遺言のごとき一言は、今も私の耳朶に響いて離れません。同総理は、まさに「大同」の精神を体現された平和主義の大指導者でありました。
なお、この私との会見の18日後、周総理が病身を押して、ここ長沙へ飛ばれ、「四つの近代化」を打ち出されるための重要な布石をなされたことも、忘れ得ぬ歴史であります。
現在、胡錦濤主席と共に、13億人の大中国の舵取りを担われている温家宝総理と、私は、本年4月に東京で懐かしい再会を果たすことができました。
その折、温総理は、流麗な書を私に贈ってくださいました。
「慈航創新路
和諧結良縁」
そして、この書に込められた真情を、温総理は語ってくださったのであります。――「慈航は新たなる路を創る」。これは、日本と中国との間だけではなく、 全世界のことを言っています。「和諧は良縁を結ぶ」は、「調和のとれた世界を構築して、世界各国が友好的につきあう」という意味です、と――。
大同思想に裏打ちされた、貴国の大いなる「調和」の智慧が、21世紀の人類の前途を、いよいよ赫々と照らしゆく時代に入りました。
焦点は「青年」、希望は「教育」
現今のグローバル化は、世界の分断を深めつつあり、多くの人類的課題をもたらしています。だからこそ、それらの問題群は、人類の結合を促してもいるのです。
「平和の文化」を築いていくためには、「文明間の対話」を主軸として、国境を超えた、さまざまな文化・思想・民衆の交流の枠組みを広げていく以外に、道はありません。
かかるとき、異文明、異文化の間に知と友情の橋を架けようとする、このようなフォーラムとネットワークを、たゆみなく積み重ねていく意義は、どれほど強調しても、し過ぎることはないでありましょう。
前世紀の初頭、牧口先生が教壇に立った東京の弘文学院には、湖南省からも多くの留学生が学びました。
ご存じの通り、牧口先生の畢生の大著『人生地理学』は、人間、社会、世界それぞれの関係を、あたかも一個の巨大な生命体のごとく、深い関連性の環のなかに位置づけた、新しいビジョンを示すものでありました。
そのような牧口先生の思想が、その卓抜した人格と相まって、求道の思いも熱き貴国の青年たちを新鮮に刺激していったことは、両国の知られざる交流史であります。
焦点は、青年であります。希望は、教育であります。
今後とも私は、「人間性」そして「生命の尊厳」という共通の基盤にという共通の基盤に立った「平和と共存の地球社会」の建設のために、尊敬する諸先生方と「異体同心」で、あとに続く青年たちの道を厳然と切り開いていくことを、あらためて、お誓い申し上げます。
ロマン香る湖南の天地からは、いにしえより、大中国の青史に、その名を刻みゆくスケールの大きな逸材が、どれほど澎湃と躍り出てきたことでありましょうか。
この詩情豊かな「人材の都」長沙に光り輝く名門学府・湖南師範大学での、意義深き「国際学術シンポジウム」に当たり、私は満腔の敬意を込めて、メッセージを送らせていただきます。
聞かれた対話を
ここ長沙には、世界の大学の淵源ともいうべき千年の学府「岳麓書院」があります。
この世界的な学問の殿堂で、朱子学の祖であり教育所としても名高い朱熹は、満場の学究の徒に対し、大宇宙と人間の精神を語りました。
この折、演壇の朱熹は、もう一人の教師と共に、二つに並んだ椅子に座ったと伝えられております。集った学生たちは、この二人の教師の闊達なる「対話」を聞くことを通して、学んでいったのであります。
生き生きとした「対話」によって、新しい知恵の世界を築きたい。開かれた「対話」を通して、世界を変えゆく新しい人材を育てたい――私には、この大先 哲・朱熹の魂が、今回の学術シンポジウムの尊き精神と、強く深く共鳴しているように感じられてならないのであります。今日、しばしば唱えられる「文化相対 主義」も、互いの「差異」を「理解する」ことに留まっているのではなくして、それを現実的な「平和の文化」の建設のために、いかにして連動させていくか。 それも、まず具体的な「対話」へと打って出る行動にかかっていると、私は思ってきた一人であります。
″一つの家族″
この「対話の文明」と 「平和の文化」の重要性については、近年、国連などでも叫ばれ、国際社会の認識も高まりつつあります。
それらの種子を、より着実に根付かせ、芽生えさせ、花開かせ、そして、21世紀の世界に豊かな実りをもたらしていきたい。そのためには、滋養となる土壌の存在、すなわち、確たる思想的な基盤が、ますます重要になってきております。
つまり、人類は"一つの家族"である。この家族は、あらゆる人種・民族によって構成される。そして人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが、この家 族を構成しているのである――こうした「平和」と「共生」の精神性の根底を、一段と深く広く耕していくべき時を迎えているのではないでしょうか。
その一環として、私は本年、21世紀における「儒教ルネサンスの旗手」として名高い、ハーバード大学のドゥ・ウェイミン教授と、『対話の文明――平和の希望哲学を語る』と題する対談集を発刊いたしました。
ドゥ教授は、国連が、2001年の「文明間の対話年」に開催した賢人会議に、儒教文明を代表して参加された世界的な知性であります。
ドゥ教授と私は、確認し合いました。
それは、「儒教ヒューマニズム」と「仏法の人間主義」とに通い合う、普遍的な人間尊厳の思想は、多様性に富む人類が平和的に繁栄する「多元文化と世界の調和」を構築しゆくための精神の大地となるものであるということです。
「誠」の振る舞い
その重要な「徳」の一つは、儒教の「中庸」であり、仏法の「中道」であります。
『中庸』には、明快に論じられております。
「誠とは天の働きとしての窮極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。
誠が身についた人は、努力をしなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成し、自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている」
(金谷治訳注『大学・中庸』岩波文庫)
「中庸」とは、いうまでもなく、極端に走らない生き方を指しています。ただし、それは足して二で割ったような、中間的、静止的な位置に留まるものでは、決してないはずです。
あくまでも現実に即した、自由闊達にしてダイナミックな生き方にほかならない。その躍動する智慧を支えるのが「天の道」であり、この道に則った、人としての振る舞いが「誠」とされているのであります。
この点、大乗仏教に説かれる「中道」もまた、「宇宙根源の法(妙法)」に則り、変転極まりない社会の只中で、「随縁真如の智」に基づき、自在に価値を創造していく、すぐれて融通無碍な人間の生き方であります。
儒教では「天人合一」を説き、大乗仏教では 「宇宙即我」を明かしました。
「中庸」も「中道」も、その生き方のなかに、大宇宙の「永遠なるもの」「普遍なるもの」に適った奥行きの深い倫理性を包含しております。
湖南が生んだ中国仏教哲学の最高峰である天台智顗は、『摩訶止観』において、儒教が尊ぶ「五常」(仁・義・礼・智・信)を、不殺生戒や不妄語戒、不偸盗戒などの「五戒」と対比させておりました。
そして、「仁」をもって他者を慈しむことは、仏教の「慈悲」の実践に相通じると洞察しているのであります。
この儒教倫理の根幹をなす「仁」を、現代的に表現するならば、国際社会に要請されてやまない 「ソフト・パワー」に当たる――。これが、ドゥ教授と私の一致した見解でありました。
今、テロや紛争が各地で続き、憎しみの連鎖や文明間の対立が深刻化しつつある状況の中で、喫緊の課題は何か。
それは、「仁」や「慈悲」などの徳目を、個々人の内的倫理に終わらせるのではなく、時代精神たる「ソフト・パワー」へと高めゆく広範な努力ではないでしょうか。
「慈悲」を広げよ
ドゥ教授が考察されているように、「仁」は「対話」によって、個人のみの安寧という狭量性を乗り越え、そして「交流」によって、ダイナミックで具体的な変革の力を持っております。
一方、大乗仏教の「慈悲」の精神が促しているものも、他者や社会との連関性の中で、絶えず自己の生命を変革していく菩薩道であります。
それは、「衆生病めば、則ち菩薩も病み、衆生の病愈ゆれば、菩薩も亦愈ゆ」という、釈尊在世の在家の菩薩・維摩詰の誓いに、よく象徴されております。
したがって、「仁」も「慈悲」も、他者に関わり、社会へ働きかけゆく人間倫理の根本といってよいでありましょう。
私たちは、今こそ、人類の宝である「仁」や「慈悲」の豊かな思想の土壌を深め、広げてまいりたい。そして、文化や文明の違いが深刻な対立を招き、戦争や暴力の悲劇が繰り返される時代に、断固として終止符を打たねばなりません。
21世紀の人類が目指すべきは、多様性を尊重し、互いの差異を新たな価値創造の源泉とし、プラスの影響を与え合う共存共栄であります。
そして、いかなる国も、いかなる民族も、″かけがえのない存在″として尊重され、皆が調和していく地球社会の建設なのであります。
そのような「多元文化」と「グローバルな共生の世界」を支えゆく普遍的な倫理が、「仁」から展開される儒教の「五常」に示されております。
とともに貴国の天台が明察したように、仏法の「慈悲」、すなわち非暴力に基盤をおく「五戒」に明かされているのであります。
そこで、この「五戒」の精神と照応し合う、儒教の「五常」における仁・義・礼・智・信の精神を、現代的に展開し、人類が共通して実践すべき五つの規範として、私なりに提示させていただきたいと思います。
(1)他者への不可侵を貫き、問題の平和的解決を決して諦めない。
(2)すべての生命の尊厳を守り、他者の苦悩や社会的問題を看過しない。
(3)互いの差異を尊重し、それぞれ文化伝統を学び合う心を持つ。
(4)人類益・地球益に立って、交流を図り、英知を結集する。
(5)「人間」そして「生命」という共通基盤に立ち、相手の人間性に対する信頼を手放さない。なかんずく、青年の善性の啓発に努める――。
いかなる文明や文化の相違があろうとも、こうした普遍的な倫理規範を通じて、「人間性」そして「尊厳なる生命」という共通の大地に立ち返る努力を、互い に積み重ねていくならば、どんな困難や課題も、必ずや乗り越えながら、人類は、新たな創造力を開発させていけるはずであります。世界におけるその実践は、 もはや他者の犠牲の上に自己の繁栄を追い求める、弱肉強食的な生存競争ではありません。互いに触発し合い、人類への貢献を競い合う「人道的競争」への転換 が、歴史の進むべき潮流ではないでしょうか。
「調和」の智慧が21世紀を照らす
100年前、創価教育の創始者である牧口常三郎先生が提唱した、この「人道的競争」の思想について、ドゥ教授は、「大同」という儒教の思想との親近性を指摘していました。
そして「大同」とは、「一律化なき調和」であり、「多様性の調和」の思想であるとも、明言されています。
まさしく「大同」思想は、儒教思想の英知が結集した、「多元文化」に彩られる人類の「調和・共生」の世界観なのであります。
この「大同」はまた、仏教の「縁起」の思想に深く通じ合っています。
「縁起」の思想は、すべての存在が、互いに関連し助け合いながら、多様な個性を発揮しつつ、ダイナミックに全体の調和をなしゆく世界観を明示しております。この世界観によって育まれる文化は、まさしく、多様性を尊重し合って、共に栄えゆく「平和の文化」なのであります。
1974年12月5日、北京で同恩来総理とお会いした際、総理は21世紀を展望し、毅然と言われました。
「すべての国が、平等な立場で助け合わなければなりません」
この遺言のごとき一言は、今も私の耳朶に響いて離れません。同総理は、まさに「大同」の精神を体現された平和主義の大指導者でありました。
なお、この私との会見の18日後、周総理が病身を押して、ここ長沙へ飛ばれ、「四つの近代化」を打ち出されるための重要な布石をなされたことも、忘れ得ぬ歴史であります。
現在、胡錦濤主席と共に、13億人の大中国の舵取りを担われている温家宝総理と、私は、本年4月に東京で懐かしい再会を果たすことができました。
その折、温総理は、流麗な書を私に贈ってくださいました。
「慈航創新路
和諧結良縁」
そして、この書に込められた真情を、温総理は語ってくださったのであります。――「慈航は新たなる路を創る」。これは、日本と中国との間だけではなく、 全世界のことを言っています。「和諧は良縁を結ぶ」は、「調和のとれた世界を構築して、世界各国が友好的につきあう」という意味です、と――。
大同思想に裏打ちされた、貴国の大いなる「調和」の智慧が、21世紀の人類の前途を、いよいよ赫々と照らしゆく時代に入りました。
焦点は「青年」、希望は「教育」
現今のグローバル化は、世界の分断を深めつつあり、多くの人類的課題をもたらしています。だからこそ、それらの問題群は、人類の結合を促してもいるのです。
「平和の文化」を築いていくためには、「文明間の対話」を主軸として、国境を超えた、さまざまな文化・思想・民衆の交流の枠組みを広げていく以外に、道はありません。
かかるとき、異文明、異文化の間に知と友情の橋を架けようとする、このようなフォーラムとネットワークを、たゆみなく積み重ねていく意義は、どれほど強調しても、し過ぎることはないでありましょう。
前世紀の初頭、牧口先生が教壇に立った東京の弘文学院には、湖南省からも多くの留学生が学びました。
ご存じの通り、牧口先生の畢生の大著『人生地理学』は、人間、社会、世界それぞれの関係を、あたかも一個の巨大な生命体のごとく、深い関連性の環のなかに位置づけた、新しいビジョンを示すものでありました。
そのような牧口先生の思想が、その卓抜した人格と相まって、求道の思いも熱き貴国の青年たちを新鮮に刺激していったことは、両国の知られざる交流史であります。
焦点は、青年であります。希望は、教育であります。
今後とも私は、「人間性」そして「生命の尊厳」という共通の基盤にという共通の基盤に立った「平和と共存の地球社会」の建設のために、尊敬する諸先生方と「異体同心」で、あとに続く青年たちの道を厳然と切り開いていくことを、あらためて、お誓い申し上げます。
