2008年9月アーカイブ

青年に語る―わが道を選ぶにはまず頭上に輝く星を見よ 

ロシア・国際児童基金協会
アリベルト・A・リハーノフ総裁


 「善は静かに進む」――このロシアの諺は、善き行いは、大騒ぎをしたり、声高に主張したりはしない、という意味です。善は、静かでありながら、その評判は遠い彼方まで広まり、皆は善の訪れを待ち焦がれ、諸手をあげて歓迎するのです。

 戦火の中で反戦を訴え、人間生命を深く重んじる仏教精神を貫き、正義に殉じられた牧口初代会長。先師の精神を優秀な弟子に伝え、創価の思想が世界中に展開する姿を展望した戸田城聖第2代会長。私はこの二人に深い感動を覚えるのです。

 池田SGI会長が戸田会長と出会った1947年から現在に至るまで61年間――それは、砂漠の道のりでも、香しき花園でもありませんでした。急カーブや険しい坂の連続であり、絶え間ない危険に満ちた道のりでした。

 この10数年、ようやく、その道のりに光が当たってきました。"時"が真実を明らかにし始めたのです。

 創価思想は大きく発展を遂げ、新たな時代を迎えました。社会的な環境が整い、大規模な活動が展開できるようになったのです。
 少々遠まわしの表現をしましたが、創価思想が万民にとって極めて身近な存在になったということです。

 その土台は、日刊500万部の聖教新聞であり、雑誌、書籍、インターネット・サイト、千数百もの会館等々です。

 辛酸をなめた人間のみが、創価学会の大いなる繁栄とその指導者である池田大作氏のことを正しく評価できるのです。私もその一人であると自負しております。

  真のリーダーの要件とは

 さまざまな宗教や倫理について、いくら論じても、リーダーがいなければ、偉大なる事業を成し遂げることはできません。

 リーダーとは単に、なすべきことを心得て、上に立って指揮を執る人のことを言うのではありません。リーダーとは何よりもまず、自身の思想を深く確信している人でなければなりません。いや、それだけでも不十分です。真のリーダーとは、皆の先駆を切る存在なのです。

 リーダーは、常に思想に尽くし、思想を教え広める人です。つまり、一兵卒でもあり、指揮官でもあるのです。ここでいう指揮官とは、一介の忠実な兵士から経験を積み上げてきた人のことを言います。思想に対する忠誠心こそが、一兵卒にも指揮官にも不可欠な要件なのです。
  ところが人類の歴史を振り返ると、そうしたリーダーの要件に反した指導者があまりにも多いのです。特にロシア近代史に顕著です。リーダーたる器に欠ける不 誠実な人間が指揮官となって、右往左往して方針を次々と変えては、周囲を撹乱しました。結局、偶然、転がりこんできた大役をまっとうすることができず、歴 史の舞台から姿を消す。そんな歴史です。
 「軽率な行動」と「小さな器」――これらは、皆の先駆を切ることになった人間を襲う二つの危険です。自 身の努力と思想に対する忠誠心で、その危険を克服した者は、リーダーとしての資格を手にします。一方、思想への忠誠心なき者は、その危険を乗り越えられ ず、運命の嘲笑に晒されるのです。

  智慧の鉱石を掘り起こす人

 池田会長は、"人格形成の道を自ら切り開いた人"と私は受け止めています。会長が最初に編んだ対談集。それは、イギリスの卓越した歴史家・トインビー博士との対話でした。会長にとって、何よりも己を見つめ、自身の思想と使命感を深める機会となりました。
 私は、会長を、「鉱山を採掘する人」になぞらえたいのです。その鉱山には、まだ見ぬ智慧の鉱石が埋蔵されています。会長は、真理を携えた人と対話を交わし、その智慧の鉱石を求めて鉱山を掘るのです。そして、世界をアッと驚かす鉱石を探し当てるのです。
 トインビー博士とは歴史という鉱石を、宇宙飛行士のセレブロフ博士とは地球を超えた宇宙の鉱石を、作家アイトマートフ氏とは民族の倫理観という鉱石を、サドーヴニチィ・モスクワ大学総長とは科学技術・教育の鉱石を掘り起こしてきました。
 当然のことながら、私には会長の対談集すべてを論じる権利はありません。なぜなら、これら対談集をすべて読破し、習得するためには、日本語の知識と高い教養が必要だからです。
 にもかかわらず、私がロシア語で読み得た対談集だけをとっても、会長の博学には感嘆せざるを得ません。対談の相手が、作家や数学者、国家元首、哲学者などいかにさまざまであろうと、会長はあらゆる分野にわたって見事に論じています。
 のみならず、会長は、対談を交わしながら世界を開拓しているのです。20世紀後半から21世紀初頭の現代社会にあって、これほど、一貫して、丹念に、忍耐強く、広範囲にわたって、しかも、皆の眼前で、世界を開拓する人を私は見たことがありません。
 会長は、青年時代に植えた英知の木に、青々とした枝を茂らせていきました。そして、見事な大木となったこの木は、未曾有の美しい大輪の花を咲かせています。しかし、幹は一つ。池田大作という歴史上稀有の人物、その人自身なのです。

 私ならノーベル賞を授与する

  会長は、世界のあらゆる問題に真剣に心を砕いています。その姿勢こそ、私が最も感銘するところです。会長は、紛れもなく「地球規模の人」です。会長は、日 本やアジアにとどまることなく、全世界に広く関心を寄せています。アメリカにはアメリカ創価大学を、フランスではユゴー文学記念館を創立。そして、ガン ジーやトルストイをこよなく愛しているのです。
 私は、いまだに会長にノーベル平和賞が授与されていないことに、ただ驚くのみです。もし私にノー ベル賞選定の資格があれば、日本のみならず世界に理想的な市民社会を構築したことを讃えて、授与していたに違いありません。世界192カ国・地域に広げた 1000万人というSGIのネットワークは、驚嘆に値する数字です。

    臆病者に敵はいない

 「臆病者に敵はいない。敵が現れるのは英雄のみ」という諺があります。
  会長は、会見では、自身が受けた迫害について触れられたことはありません。しかし、聞かないまでも、会長が、恵まれた華やかな道を歩んでこられたのではな いことは明白でした。崇高な行いは、世界中どこでも必ず非難されます。低俗な新聞やテレビに叩かれ、権力者から迫害を受けます。会長が無実の罪で投獄され たことも承知しています。
 私自身、氏と全く同じと言わないまでも、似たような経験をしてきたので、すべてよく理解できます。ロシアにはこんな諺まであるほどです。「咎めを受けずに、成し遂げられる善行はない」と。

  驚いたことに、人間は妬みを抱くと、他人が善いことをなそうとする真面目な志まで信じられなくなります。考えてみれば、神の子、かのキリストでさえも、人 を救おうとしたことで十字架に礎にされたではありませんか。イスラム教であれ、仏教であれ、同様の歴史を持っているのです。
 つまり、物事の本質として、善と悪が争うところ、いずこにも。"妬み"が必ず付いて回るのです。妬みとは、心弱く、嫉妬深く、悪意に満ちた人間が、自分の成し得なかったことを強き人間が成し遂げたときに抱くドロドロとした感情です。
 これが世の常かもしれません。しかし、だからといって、それに甘んじていいのでしょうか? いや、決して甘んじてはいけないのです! 日本のヒューマニスト・池田大作氏が、精神闘争の模範を示しているではありませんか。
 会長は、あらゆる困難を経験し、乗り越え、勝利しました。これは紛れもない事実です。その証拠に、世界の250もの大学が氏を名誉博士・教授として迎え、何十にも及ぶ国家が勲章を捧げています。
 この栄誉を手放しに喜んでもよさそうなものなのに、なぜ会長が愛する故国・日本では、そうではないのでしょうか。誠実な国民である氏に対し、これまでの長き茨の道のりを讃え、どうして勲章を授けないのでしょうか。

 日本は、皆、にこやかで、人の功績はこぞって讃える国と思っていましたが、そうではないのでしょうか。それとも、会長の功績が大きければ大きいほど、陰に潜む妬みはより膨らむということなのでしょうか。

 私の夢を実現した学会の歴史

 会長は、日本で築き上げた市民組織を世界へと拡大していきました。まさに私がかなえられなかった夢を成し遂げられたと率直に申し上げたいのです。

 創価学会は、市民社会の素晴らしいお手本です。思想を同じくする市民が集まり、学校を建設し、独自の新聞・雑誌を発刊し、地域で困る人々には支援の手を差し伸べながら、社会で活躍しています。

 1987年、私はソ連児童基金を設立しました。
 具体的な活動は、弱者(児童)を守り、国民を啓発し、真心の寄付を受け入れながら、病人や孤児など苦しむ人々に対する国民としての責務を果たすことでした。
 当時、我が児童基金は、クリミアに児童保養所、モスクワ郊外に児童リハビリセンターを持ち、300万部の新聞を発刊していました。さらに、児童を救済する活動拠点は、ソ連全土に誕生していたのです。
 ところが、設立後20年経った今、これまで創り上げてきたものの大部分が崩れ去ったのです。新聞や雑誌が奪われ、クリミアの保養地は取り上げられてしまったのです。何のためにでしょうか。それは、誰か一部の人間の私腹を肥やすためでした。
 一方、創価学会は、資本主義社会にあって、仏教思想を基盤にした精神の砦や心の安息地となりました。
 しかし、社会主義国家の中に生まれ、すべてが国民の共有財産だった児童基金は、ソ連崩壊とともに、国有財産制度が崩れ、その財産の所有権があいまいになりました。その後、良心も社会的責任感も持たない輩に奪われてしまったのです。
 まるで恐ろしい魔法の物語のようでした。たった一人の愚かな権力者が、狐のごとき側近に囁かれ、笛を鳴らして野獣を呼ぶのです。その野獣は毒々しい力を帯びて、鋭い爪で多くの人々の財産を奪ってしまったのです。
 ソ連という名の大国は、資本主義へと変貌を遂げたのではありません。財産もたやすく不法処分してしまう無秩序な国に転倒したのです。
 財産とともに道徳規範や精神性まで粉々に砕けてしまいました。私たちがこれまで積み上げてきたものは破壊され、現在もその破壊は続いています。今のロシアは、民衆のための国ではなく、選ばれた人のみが得をする国になってしまったのです。
 学会が築き上げてきた民衆自身が主役となる制度ができるまでには、私たちはまだまだ長い苦しい道のりを乗り越えなければなりません。ゆえに、私は池田会長を深く尊敬するのです。
 また、そこに、私の苦悩もあります。まさに、創価の歴史は、私が実現できなかった夢なのです。私は、いつもあらゆる機会に、そのことを赤裸々に語り続けています。池田氏が歩んできた困難な道のりには感嘆せざるを得ないからです。

   会った瞬間に意気投合

 私が会長と初めてお会いしたのは、トルストイ国際金メダルを氏に授与した時のことでした。当時、私は、会長のことはすでに十分知悉しているつもりでしたが、賞の由来となるトルストイに抱く氏の深い思いまでは知りませんでした。
  トルストイは、我々ロシア人にとって不滅の存在です。大変うれしいことに、授与の席上、会長は、世界文明の巨匠ので人としてトルストイを慕っていると語っ てくださいました。また、式典会場となった創価大学のキャンパスには、見事なトルストイ像がそびえ立っているではありませんか。
 偉大な人物との 出会いは、常に緊張の瞬間です。その偉大な人物とは、池田会長です。お互いの思想が、肝心な部分で一致するからなのでしょうか。自分の温めてきた考えが、 異なる国、異なる文明の中で、自分が同志とも友とも幕う人に認めてもらえたからなのでしょうか。会長は、私の緊張を一瞬にして解きほぐしてくださいまし た。会長は私が想像した通りの人でした。一民族の枠を超えた地球規模の壮大な思想を持つ人でした。
 私たちには、外交辞令で慎重に触れ合う時間など必要ありませんでした。最初の握手を交わした瞬間からすぐに意気投合しました。言葉半分で、お互いを理解し合えたのです。
 授与式の2時間後には、青少年のための対談集を編もうとの思いを分かち合っていたのです。
 私は、民族のアイデンティティーを守る重要な手段の一つが、広い意昧での教育であると考えています。その思いは、池田氏との対談集に取り組んでいた時以来変わりません。
 私たちは対談集を「子どもの世界」と名づけ、思い出の糸をたどり、あたかも魔法のごとく、幼年時代に戻ることから始めました。これまでの生い立ちを振り返る中で、人間の成長や失敗、喜びについて、それぞれが人生で培った真理について語り合いました。
  もちろん難しい成長期に関しても論じ合いました。幼年期の葛藤、反抗期、自立の難しさなどについてでした。それと同時に、大人の責任についても触れました が、これは今でも私たちが心を痛める問題です。池田会長が青年について語る時、感じることがありました。それは、その顔が父親のように慈愛に満ちあふれて いることでした。青年をこよなく愛する会長の姿がそこにはありました。

  グローバル化の波のなかで

 周知の通り、創価 運動とそのリーダー・池田大作氏は、すでに世界的に高い評価を受けています。一流の識者たちがこぞって氏を讃嘆する理由は、他の優れたものとの類似性を認 めてのことではありません。創価運動が、極めて個性的であり、日本という国民性に深く根ざしながらも、国際色豊かだからなのです。
 ここには何の矛盾もありません。一民族の経験は、他民族にとっても大変有益であり、尊敬に値します。それは、民族の違いを超えた世界共通の理想や価値観が人類をつなぐからです。
 近年、グローバル化という言葉が頻繁に取りざだされ、各国の国民に新たな多くの試練を突き付けています。現代のグローバル化は、この民族のアイデンティティーに打撃を与える役割を担っている感すらあります。
 これに対して、世界各地で反グローバル化を唱える青年たちは、激しく抑圧され、侮辱され、疎外されています。たとえ異なる意見であっても、それが少数派であっても、誰もが自分の意見を自由に述べられるのが、真の民主主義であるにもかかわらずです。
  ところが現実は、反グローバル主義者がいたるところで差別を受けています。各国の政府は、警察等を動員して、青年の抗議行動を抑えつけようとしています。 しかし、なぜ、青年が抗議するのか。青年の意見に耳を傾けるべきではないでしょうか。なぜ、青年たちの意見を取り入れて、政策を変更し、国の路線を修正し ようとしないのでしょうか。
 明らかに、世界の近代国家は保守的になっています。その中で、不可侵の存在となった経済大国は、自分たちの特権をさらに主張しています。しかし、地上に誕生する新たな何十億の世代の声に耳を塞ぐことはできないのです。
  人類の運命を左右する為政者たちは、世界が今新たな大変動、さらには新たな大戦へと勢いよく向かっていることが目に映らないのでしょうか。実際、そのリ ハーサルとも言える行為が中東で準備されつつあります。グローバル化とは、一つの大きな勢力が勝手気ままに振る舞い、服従しない者たちを抑圧することを指 すとでもいうのでしょうか。
 私があえてこう発言するのも、創価学会の半世紀の歴史がそれを否定しているからです。池田会長が指導する創価運動は、「対立」から「平和」へ、「無知による無理解」から「対話による友好」へと転換する戦いでした。

会長は、世界の協調を唱える哲学者です。と同時に、それぞれの民族の個性をこよなく大切にする人でもあります。花輪は、多種多様な花々がそれぞれの香りを放ち、それぞれの色彩で輝くから美しいのです。色とりどりの花からなる花輪――これこそ「平和」のシンボルなのです。

 会長の偉業語るのは青年のため

 以上のように、私が、池田会長のこと、氏の偉大な師匠のこと、創価運動のことを声高らかに讃嘆するのも、青年へのメッセージを込めてのことなのです。
 第一に、青年に限らず、人は皆、金字塔を打ち立てた努力に頭を垂れるべきです。それが、長年に渡る無私の気高い努力であれば、なおさらのことです。
 将来の人生設計を立てるとき、まず人間が生み出す多彩な価値を学び、その中で自分にとって何が大切かを定めるべきです。

 会長は長年の活動を通して、さまざまな価値を創造してきました。そのすべてを列挙することは到底できませんが、その中でも特筆すべきことがあります。
 それは、50年間にわたって何百万人もの人々を団結させたことです。
し かも、何の政治的・外交的地位も持たず、予算が与えられているわけでもありませんでした。ただひたすらに、志を同じくする人々と手を携えて、民間外交を推 進し、成し遂げてきたことです。これこそ、人間として、国民としての偉業です。 このような極めて高い目標を、これから新たな人生に飛びだす一人一人が掲 げられたら、どんなに素晴らしいことでしょう。
 私は、今、青年に訴えたいのです。自身の進むべき道を選ぶ時、目の前に立つ木の頂ではなく、「まず頭上に輝く星を目指せ!」と。頭上に輝く星こそ池田会長です。その星を目指せば、必ず高く飛翔することができるのです。
 
  会長は騎士道精神の手本

 周囲がどう妬もうとも、池田氏は、創価学会を、国家の中の国家とも言うべき、国が無視できない存在へと発展させたのです。今や、創価学会の意見に国が耳を傾けているようです。

 私は氏を深く尊敬します。氏は、ルネサンス時代のヒューマニストのように多才です。詩人であり、作家であり、写真家でもあります。そして、何よりも思想家です。世界共通の、か弱き存在である子どもを守る精神の騎士です。
  会長は、子どもとの出会いや触れ合いを大切にします。私もこうした場に何度か同席する機会がありました。会長は、決して多くを語りません。説教じみた話も しません。その時その時に、若い心が求めていることを的確に語ります。氏は、青年たちから絶大な信頼を得ています。私は、いつもその姿を目の当たりにして 心が揺さぶられます。
 わが国際児童基金協会は、外国人として初めて会長に「子ども守護の騎士賞」を授与させていただきました。
 騎士道――これは、もともと西欧の概念です。騎士とは、勇敢な戦士であり、真理を守り抜く人、己が信念を貫く人です。愛する女性を守る勇ましい紳士のことを騎士と呼ぶこともよくあります。いずれにせよ、すべてに誠実さを貫くのが、騎士道の重要な要件です。
 ここで、理想的な騎士とされていたドン・キホーテの名を想起したいのです。これは、偉大なスペインの作家、ミゲル・デ・セルバンテスが生んだ文学の主人公ですが、世界市民の誉れの手本となりました。
 ドン・キホーテが文学上の騎士道の象徴であるならば、池田大作氏は、自らの行動と人格と誠実さで、現実の騎士道を歩む象徴の人なのです。

 アリベルト・A・リハーノフ氏
 1935年、ロシア共和国キーロフ市生まれ。大学卒業後、編集の仕事を経て、61年に作家デピュー。雑誌『スメーナ』編集長などを歴任して、87年にソ連児童基金総裁。現在、国際児童基金協会総裁を務める

ウェブページ

Powered by Movable Type 4.23-ja

このアーカイブについて

このページには、2008年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年3月です。

次のアーカイブは2008年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。