師弟不二の精神を継承するために(4)一念に億劫の辛労を尽くす

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この派遣幹部の最大の「思い違い」は、戸田先生の「精神」を深く理解せず、ただ安易に「指導」というスタイルだけを真似て、会員に相対してしまったということに尽きるでしょう。

先にも私が述べたように「精神」の所産というものは、単純に、また簡易な形をもって、臨む対象のものでは、決してないはずです。

池田先生は、戸田先生の「精神」にいかなる姿勢で臨んでいたのでしょうか。

同じ選挙戦の中で池田先生は、こう記されています。

山本伸一の昭和31年の関西での歴史的な戦いは、このようにして始まったのであったが、彼には、歴史的などという自覚は、全くなかった。

また、一念に億劫の辛労を尽くしているとも思わなかった。

彼は一人で、だれよりも深く考え、誰よりも深く考え、誰よりも悩み、誰よりも悩み、誰よりも勝利を決意し、それゆえに、夜となく、昼となく精進を専らにしていた。つまり――涌出品の『昼夜ニ常ニ精進ス為メノ求ンカ仏道ヲ故ナリ』の文のごとくに、地涌の戦士としての実践を貫いていた。

来阪以前に、数カ月にわたってつづいていたのである。

涌出品のこの文を、日蓮大聖人は御義口伝で次のようにおっしゃっている。

『此の文は一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』

いま、山本伸一は、一念のなかで無意識のうちに億劫の辛労を尽くした信心のうえに、尊い仏智が、いつしか彼の頭脳に宿りつつあったといってよい。(「一念」の章)

また、長い引用をしてしまいましたが、わざわざ長文を引いたものも、先の派遣担当幹部と池田先生とのあまりに大きな「精神」の隔たりを確認したかったからです。

池田先生は戸田先生に学び、ついていく上で何よりもその「精神」を生命の上から体得されました。

その上で、戸田先生の指導のとり方、指導の在り方を学び、自分のものとされていったはずです。

しかし、その派遣幹部は、どうだったのか。辛労を尽くし切り、精進に精進を重ねて戸田先生の「精神」を学ぶプロセスを省略して、単に形だけを安易に取り入れてしまった(つまり、表面上の指導の仕方など)。

このことが、この派遣幹部の"悲劇"、いや、この派遣幹部の、ではなく、形ばかりの"指導"を無理強いさせられた会員の方たちの"悲劇"を招いたと言っていいでしょう。

このような"悲劇"は人間が営々と繰り返してきた歴史の中で、拾い上げれば、枚挙にいとまはありません。

近くを見るだけでも、理想を掲げつつ、民衆を塗炭の苦しみに追い込む形で瓦解したマルクス・レーニン主義による政治。

そして、こともあろうに、大聖人の「精神」を踏みにじり、奈落の底に落ちていった宗門。

私はここで宗門を討つために論を展開するつもりはありません。

その役割は、ひとまず「創価新報」等にゆずりたいと思います。

(つづく)

タグ:
【師弟不二】


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このページは、humaniteが2009年1月 7日 21:55に書いたブログ記事です。

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