■宗教の人間化こそ組織の使命
具体的にどうすれば組織の"絶対化"を防ぐことができるのでしょうか。
SGI会長が1991年のハーバード講演に先立って、会談した作家のエリー・ヴィーゼル氏の視点を踏まえる必要があると私は考えます。
会談を通して、ヴィーゼル氏は宗教は人類に貢献するものでなければならないことと述べています。
そして、反対に「人間が宗教に奉仕する」――このことの延長は狂信につながってしまうことを明らかにしています。
ここで使われている人類、人間を会員に、宗教という言葉に組織という言葉を当てはめてみたいと思います。
組織は会員に貢献するものでなければならない。
会員が組織に奉仕することは、狂信を招く――ということになります。
最もなことだと考えます。
ヴィーゼル氏も強調するように、会員のために組織があるのであって、決して、組織のために会員がいるのではないからです。
しかし、ここで見方を少し変えてみます。
組織を構成しているのは会員です。
ならば、組織への奉仕イコール会員への奉仕という考えも成り立ち、詰まるところ、卵が先か鶏が先かの論議に陥りかねないともいえません。
難問であるがゆえに人間が宗教や組織に奉仕するという行為が繰り返されてきたのであろうと思うのです。
そこで大事なのが、以下のヴィーゼル氏の視点であると考えます。
また、ヴィーゼル氏がソ連の8月革命直後にゴルバチョフ大統領に会ったときの印象を綴った一文の中の言葉に思いを深くいたすべきなのではないでしょうか。
この宗教の人間化こそが、本来の宗教の使命、あるべき姿に立ち返り、世界から、悲惨をなくす第一歩であると私は考えます。
しかも、「組織化された宗教」ではないということが極めて大事になってくるのです。
そこで、この「組織化された宗教」ではない宗教とはどのようなものかについて考えてみたいと思います。
創価学会は「組織化された宗教」か、それとも「組織化されていない宗教」なのでしょうか。
ある側面においては、これほど組織化された宗教団体もないのではないでしょうか。
半面、その組織化の目的が、会員を一人ももらさず、大切にしていこう、幸福にしていこうというものであり、こうした歴代会長の一貫した信念こそ、完璧に近い組織へと発展してきた最大要因であることは間違いありません。
つまり、学会精神が組織の隅々まで脈打つ、血の通った組織であることが、学会の最大の強みなのです。
もしこの豊かで温かな血流がいかなる理由にせよ止まってしまったら、どういうことになるのでしょうか。
その時が、まさしく「組織化された宗教」に陥ってしまうことを意味するわけです。
現在は、幸い池田SGI会長が、私たち一人ひとり末端の会員にまで、活力あふれる信仰の血潮を吹き込み続けてくださっています。
ゆえに、会員はいささかの動揺もなく、広布の前進を続けることができているわけです。
具体的にどうすれば組織の"絶対化"を防ぐことができるのでしょうか。
SGI会長が1991年のハーバード講演に先立って、会談した作家のエリー・ヴィーゼル氏の視点を踏まえる必要があると私は考えます。
会談を通して、ヴィーゼル氏は宗教は人類に貢献するものでなければならないことと述べています。
そして、反対に「人間が宗教に奉仕する」――このことの延長は狂信につながってしまうことを明らかにしています。
ここで使われている人類、人間を会員に、宗教という言葉に組織という言葉を当てはめてみたいと思います。
組織は会員に貢献するものでなければならない。
会員が組織に奉仕することは、狂信を招く――ということになります。
最もなことだと考えます。
ヴィーゼル氏も強調するように、会員のために組織があるのであって、決して、組織のために会員がいるのではないからです。
しかし、ここで見方を少し変えてみます。
組織を構成しているのは会員です。
ならば、組織への奉仕イコール会員への奉仕という考えも成り立ち、詰まるところ、卵が先か鶏が先かの論議に陥りかねないともいえません。
難問であるがゆえに人間が宗教や組織に奉仕するという行為が繰り返されてきたのであろうと思うのです。
そこで大事なのが、以下のヴィーゼル氏の視点であると考えます。
宗教は本来、人々を結び合うものであって、分離させるものではありません。しかし、同時に過去数世紀にもわたり、神の名のもとに宗教が殺し合いの歴史を繰り返してきた事実を忘れてはなりません。だから宗教は今こそ再人間化が必要なのです。
また、ヴィーゼル氏がソ連の8月革命直後にゴルバチョフ大統領に会ったときの印象を綴った一文の中の言葉に思いを深くいたすべきなのではないでしょうか。
世紀末が近づきます。すべては失敗でした。夢が悪夢になって、共産党は崩壊しました。問題は、何が共産主義にとって代わるのか、ということです。ナショナリズムだという人もいます。私はむしろ宗教だと思います。組織化された宗教のことではなく、宗教性ということです。私たちに欠けているのは、精神性です。だからこそ、私は、より高度で、より説得力があり、かつ慎ましやかな「ヒューマニズム」こそが、あらゆるイデオロギーや狂信的な動きにとって代わると思います。(朝日ジャーナル91年9月13日号)
この宗教の人間化こそが、本来の宗教の使命、あるべき姿に立ち返り、世界から、悲惨をなくす第一歩であると私は考えます。
しかも、「組織化された宗教」ではないということが極めて大事になってくるのです。
そこで、この「組織化された宗教」ではない宗教とはどのようなものかについて考えてみたいと思います。
創価学会は「組織化された宗教」か、それとも「組織化されていない宗教」なのでしょうか。
ある側面においては、これほど組織化された宗教団体もないのではないでしょうか。
半面、その組織化の目的が、会員を一人ももらさず、大切にしていこう、幸福にしていこうというものであり、こうした歴代会長の一貫した信念こそ、完璧に近い組織へと発展してきた最大要因であることは間違いありません。
つまり、学会精神が組織の隅々まで脈打つ、血の通った組織であることが、学会の最大の強みなのです。
もしこの豊かで温かな血流がいかなる理由にせよ止まってしまったら、どういうことになるのでしょうか。
その時が、まさしく「組織化された宗教」に陥ってしまうことを意味するわけです。
現在は、幸い池田SGI会長が、私たち一人ひとり末端の会員にまで、活力あふれる信仰の血潮を吹き込み続けてくださっています。
ゆえに、会員はいささかの動揺もなく、広布の前進を続けることができているわけです。
