2009年6月アーカイブ

■"人間味"あふれるリーダーの条件

組織に人間味をもたらすことができるかどうかはリーダーの在り方にかかってきます。

人間味のあるリーダーの条件とは何なのでしょうか。

SGI会長はかつてスピーチ(1991年10月2日「世界平和の日の集い」)で以下のように語っています。

(1)幹部は威張ってはならない、謙虚なリーダーであれ。

(2)叱ってはいけない。常に優しいリーダーであれ。

(3)会員・同志に対して大声でどなってはいけない。あくまでも対話の力で人々を納得させゆく「道理」の人であれ。

(4)ウソをついてはいけない。正直の人に皆の信頼は集まる。

(5)個人のプライバシーを絶対に漏らしてはいけない。個人のプライバシーを守れない人はリーダー、信仰者として失格であり、人間として失格である。人の人権を大切にする、「口のかたい」誠実の人でなければならない。

(6)人を見下してはならない。自分の立場におごって、人を見下し、差別する人間は、自分が行き詰まっていく。立場にかかわりなく、みな平等に尊い人間である。

(7)皆を心から「尊敬」できるのが立派なリーダーである。

(8)不公平であってはならない。貧しき人も、社会的地位のある人も、平凡な庶民もかけがえのなき仏子である公平、公正のリーダーであってほしい。

(9)決して無理をしてはいけない、させてもならない。無理は長続きしない。それが強信とも限らない。賢明な「ゆとり」が皆の力を引き出していく。

(10)傲ってはいけない。傲慢は人間性を失わせ、信心をも破っていく。

(11)意地悪をしてはいけない。意地悪な人が幹部であれば、皆がかわいそうである。広い心で、後輩を自分以上の人材にしようと、温かく応援できる人が偉いのである。

――ともあれ、「常識」「教養」「確信」「思いやり」「励ましの心」に満ちたリーダーであっていただきたい。

これは1回目のハーバード大学講演の直後に行われたアメリカSGIのメンバーに対するスピーチの一部です。

私は、このスピーチは、幹部はもとより、組織全体の在り方、ひいては人間の在り方、そして生き方そのものを示す、心の基底に置くべき極めて重要な視点であると認識します。

このスピーチの指針の基調は、まさしく"人間的であれ"ということ。

信心を深めるために、何か特別なことをせよということでは決してありません。

ごく当たり前のことを、誠実に行っていくことが重要であることを改めて示しておられるのではないでしょうか。

果たして、上記の指針が幹部に限らず、一人ひとりにしっかりと根付いたものになっているのかについて、まずはじっくりと自らと向き合う必要があるのではないか、と私は思います。

そして次の段階で、リーダーたる幹部自身が、上記の指針を体現できているのかについて、会員の皆さんに対し、積極的に耳を傾け、もし正すべきところがあれば、正していくという姿勢こそが望まれると私は考えます。

もし、仮に指針とは相違した、たとえば傲慢で意地悪を平気でするような幹部がいたとして、それに対する非難の声を挙げられないような状況が少しでもあれば、それは創価学会の民主主義の危機と言っていいでしょう。

傲慢な幹部が悪いのはもとよりですが、それを口をつぐんで許してしまうことはもっと悪いと言わざるを得ません。

なぜならそれは、民主主義の最も重要な要素の一つである自浄作用を失っていることになるからです。

自浄作用がなくなったとしたら、それはもはや民主的な組織とは言いがたいものになってしまうのです。

最も民主的な宗教組織であるべき創価学会は、永遠に民主的な自浄作用を失ってはならないと思うと同時に、そのことにこそ最も注意を注いでいくべきであると私は考えます。

■キーワードは"人間味"

それでは、この、個の魂の自由を昇華させゆく組織の在り方とは、どうあるべきなのかについて考えてみたいと思います。

まず、大切なキーワードとして挙げられるのが、"人間味"という言葉だと思います。

これまで取り上げてきた、人間性、人間主義、またはヒューマニズムという言葉は一見、抽象的で、難しく感じてしまうものですが、それを"人間味"という言葉に置き換えれば、比較的なじみぶかいものとなると思われます。
SGI会長は、ボン大学のフュルステンベルク教授との会談(1991年10月8日)で、こう述べています。

(フュルステンベルク)教授は講演で"人類の生活条件をいかに人間味あるものにするかとの視点を忘れてはならない"と結論づけ、「全人類を包括する新しい人道理念の創出なしには、科学の進歩は方向の定まらぬまま、ますます大きな、そしてもはや克服不可能な危険を生み出すであろう」と警告されています。

人間主義こそ、時代の潮流です。人間を忘れたところに築いた学問・科学は、これまでも人々を大きな不幸に巻き込んでいます。その潮流を確かにするものこそ「内面の力」と思います。

この人間味ある、あふれる生活が、人間の内面の太陽を輝かせゆく条件であるという視点が、「個」を輝かせゆく組織の在り方に最も大事であると私は考えます。

これまで、組織においてとかく叫ばれてきたのは、「組織は"訓練"の場である」というフレーズです。

私は、個人的には、その考え方には、違和感を感じざるをえません。

確かに、組織につきものの規律、統制、制約などは、自己との闘争という観点からは、自己を鍛える大事な挑戦課題となっていくものであることは間違いありません。

つまり、自分が自ら挑戦課題と決めたときにのみ、それが結果的に"訓練"となるのであって、あらかじめ、他人から訓練を受けるんだ、と決めつけられるものではないと思うのです。

組織イコール訓練という考え方の奥底には、人格は集団的心理空間で鍛え上げられるという発想があると思われます。

集団的心理空間に追い込まれた人間は、やむを得ず、その空間と自分のずれを少しでもなくそうとするため、人格をその空間に馴染ませていこうとするものでしょう。

それは何を指すかといえば、人格を歪め、変形することにほかなりません。

または、その場における条件反射的なつくられた"人格"を体得させることであり、組織に都合のいい人格に改造することが目的となってしまうのです。

これが果たして本来の人間味にあふれた組織の在り方と言えるでしょうか。

SGI会長は、こうした人間味を無視した組織主義的な在り方をことあるごとに否定し、創価学会は未来にわたって、組織優先ではなく、人間最優先の組織としていくことを強調されているのです。
■権力の魔性の桎梏からの人間の解放、人権の勝利

SGI会長は、かつて傍目には学会総体を揺るがすかに見えた宗門問題に当たって、一度たりとも、「組織を引き締めよ」といったような指導をされることはありませんでした。

SGI会長が私たちに要求したことはただ一つ。

ひたすら、「自己の魂を解放せよ」ということにほかなりませんでした。

魂の解放とは、人間性の解放であり、精神の解放であり、民主の解放であり、言論の解放であり、個の、個性の解放です。

SGI会長は私たちに訴えました。

何物をも恐れるなと、自由な魂の前には、どんな威嚇と威圧をもってしても屈服させることはできないのだと。

この「自由」こそ、勇気と知恵と希望の源泉であると。

組織の使命は、まさにこの自由な魂を、昇華し、止揚し、飛翔させることにある、と私は考えます。

これを逆に、仮にその意図がなかったとしても、結果的に個々の自由を束縛し、せっかく開かれた魂を再び閉じ込め、羽ばたきを阻む働きをいささかたりともしてしまうならば、創価学会は本来の組織としてのみずみずしい生命を失うことになってしまうのです。

「人間革命」11巻。裁判25の章。ここには、SGI会長の自由と人権獲得への闘争の原点と誓いが告白されている場面です。ここに確認の意味で全文を引用させていただきます。

いま、山本伸一は無罪となり、広宣流布の伸展を封ぜんとする権力の画策は破れたのである。

伸一は思った。

――国家権力によって冤罪を被ってきた人々の数は、計り知れないに違いない。また、これまで、権力によって虐げられ、自由を奪われ、不当に差別されてきた民衆はいかに多かった事か。いや、世界には、いまなお、権力のくびきの下で呻吟する民衆は後を絶たない。

ここまで思いをめぐらせたとき、伸一の脳裏に、撰時抄の一節が浮かんだ。

「王地に生まれたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」

佐渡流罪から鎌倉にもどられた日蓮大聖人が、御自身を迫害した権力者平左衛門尉にいわれた御言葉である。

――王の支配する地に生まれたがゆえに、身は権力の下に従えられているようであっても、心を従えることはできない。

つまり、いかなる権力をもってしても、強き人間の精神を縛り、支配し、隷属させることは断じてできないとの仰せである。

それは、御本仏としての御境界を述べられたものだが、同時に、精神の自由こそ、人間に与えられた、本然の権利であることを示された、人権獲得への一大宣言とも拝せよう。

また、大聖人は、人間は等しく仏の生命を備え、皆、わが身がそのまま宝塔であると教えられている。さらに「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」と、男女の平等をも明言された。

地位や立場はもとより、国家、民族、性別など、あらゆる違いを超えて、人間は等しく、誰もが尊厳無比であり、平等であることを説かれているのである。

日蓮大聖人の仏法は、権威、権力のための宗教でも、宗教のための宗教でも断じてない。また、一民族や一国家のための宗教でもない。まさに人間のため、人類のため、人権のための宗教なのだ。

人種差別も、民族紛争も、根本的な解決の方途は、この大聖人の仏法を基調としたヒューマニズムのなかに見いだすことができよう。

なれば、広宣流布とは、人間の尊厳と自由と平等とを勝ち取る、人権の闘争にほかならないはずである。そして、そこにこそ、創価学会の担うべき社会的使命もあろう。

山本伸一の生涯にわたる人権闘争への金剛の決意が、彼の胸中に人知れず芽吹いていたのである。

――権力の魔性の桎梏からの人間の解放、人権の勝利......。よし、やろう。仏子として、わが人生を賭けて。

伸一の一念に深く刻まれたこの誓いこそ、やがてSGI(創価学会インタナショナル)運動として広く世界をつつみゆく、新しきヒューマニズムの潮流をもたらす源泉にほかならなかった。
 
SGI会長の仏法観、宗教観、人間観、広宣流布観が凝縮されている一文であると確信します。

このSGI会長の魂の叫びとも言うべき誓いは現在の世界的な民主化、人権解放の潮流をもって果たされつつあると言っていいでしょう。

この魂を継承しゆく私たち自身も、このSGI会長の誓いをさらに確固たるものとしていかねばならないことは言うまでもありません。
 

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