■"人間味"あふれるリーダーの条件
組織に人間味をもたらすことができるかどうかはリーダーの在り方にかかってきます。
人間味のあるリーダーの条件とは何なのでしょうか。
SGI会長はかつてスピーチ(1991年10月2日「世界平和の日の集い」)で以下のように語っています。
(1)幹部は威張ってはならない、謙虚なリーダーであれ。
(2)叱ってはいけない。常に優しいリーダーであれ。
(3)会員・同志に対して大声でどなってはいけない。あくまでも対話の力で人々を納得させゆく「道理」の人であれ。
(4)ウソをついてはいけない。正直の人に皆の信頼は集まる。
(5)個人のプライバシーを絶対に漏らしてはいけない。個人のプライバシーを守れない人はリーダー、信仰者として失格であり、人間として失格である。人の人権を大切にする、「口のかたい」誠実の人でなければならない。
(6)人を見下してはならない。自分の立場におごって、人を見下し、差別する人間は、自分が行き詰まっていく。立場にかかわりなく、みな平等に尊い人間である。
(7)皆を心から「尊敬」できるのが立派なリーダーである。
(8)不公平であってはならない。貧しき人も、社会的地位のある人も、平凡な庶民もかけがえのなき仏子である公平、公正のリーダーであってほしい。
(9)決して無理をしてはいけない、させてもならない。無理は長続きしない。それが強信とも限らない。賢明な「ゆとり」が皆の力を引き出していく。
(10)傲ってはいけない。傲慢は人間性を失わせ、信心をも破っていく。
(11)意地悪をしてはいけない。意地悪な人が幹部であれば、皆がかわいそうである。広い心で、後輩を自分以上の人材にしようと、温かく応援できる人が偉いのである。
――ともあれ、「常識」「教養」「確信」「思いやり」「励ましの心」に満ちたリーダーであっていただきたい。
これは1回目のハーバード大学講演の直後に行われたアメリカSGIのメンバーに対するスピーチの一部です。
私は、このスピーチは、幹部はもとより、組織全体の在り方、ひいては人間の在り方、そして生き方そのものを示す、心の基底に置くべき極めて重要な視点であると認識します。
このスピーチの指針の基調は、まさしく"人間的であれ"ということ。
信心を深めるために、何か特別なことをせよということでは決してありません。
ごく当たり前のことを、誠実に行っていくことが重要であることを改めて示しておられるのではないでしょうか。
果たして、上記の指針が幹部に限らず、一人ひとりにしっかりと根付いたものになっているのかについて、まずはじっくりと自らと向き合う必要があるのではないか、と私は思います。
そして次の段階で、リーダーたる幹部自身が、上記の指針を体現できているのかについて、会員の皆さんに対し、積極的に耳を傾け、もし正すべきところがあれば、正していくという姿勢こそが望まれると私は考えます。
もし、仮に指針とは相違した、たとえば傲慢で意地悪を平気でするような幹部がいたとして、それに対する非難の声を挙げられないような状況が少しでもあれば、それは創価学会の民主主義の危機と言っていいでしょう。
傲慢な幹部が悪いのはもとよりですが、それを口をつぐんで許してしまうことはもっと悪いと言わざるを得ません。
なぜならそれは、民主主義の最も重要な要素の一つである自浄作用を失っていることになるからです。
自浄作用がなくなったとしたら、それはもはや民主的な組織とは言いがたいものになってしまうのです。
最も民主的な宗教組織であるべき創価学会は、永遠に民主的な自浄作用を失ってはならないと思うと同時に、そのことにこそ最も注意を注いでいくべきであると私は考えます。
組織に人間味をもたらすことができるかどうかはリーダーの在り方にかかってきます。
人間味のあるリーダーの条件とは何なのでしょうか。
SGI会長はかつてスピーチ(1991年10月2日「世界平和の日の集い」)で以下のように語っています。
(1)幹部は威張ってはならない、謙虚なリーダーであれ。
(2)叱ってはいけない。常に優しいリーダーであれ。
(3)会員・同志に対して大声でどなってはいけない。あくまでも対話の力で人々を納得させゆく「道理」の人であれ。
(4)ウソをついてはいけない。正直の人に皆の信頼は集まる。
(5)個人のプライバシーを絶対に漏らしてはいけない。個人のプライバシーを守れない人はリーダー、信仰者として失格であり、人間として失格である。人の人権を大切にする、「口のかたい」誠実の人でなければならない。
(6)人を見下してはならない。自分の立場におごって、人を見下し、差別する人間は、自分が行き詰まっていく。立場にかかわりなく、みな平等に尊い人間である。
(7)皆を心から「尊敬」できるのが立派なリーダーである。
(8)不公平であってはならない。貧しき人も、社会的地位のある人も、平凡な庶民もかけがえのなき仏子である公平、公正のリーダーであってほしい。
(9)決して無理をしてはいけない、させてもならない。無理は長続きしない。それが強信とも限らない。賢明な「ゆとり」が皆の力を引き出していく。
(10)傲ってはいけない。傲慢は人間性を失わせ、信心をも破っていく。
(11)意地悪をしてはいけない。意地悪な人が幹部であれば、皆がかわいそうである。広い心で、後輩を自分以上の人材にしようと、温かく応援できる人が偉いのである。
――ともあれ、「常識」「教養」「確信」「思いやり」「励ましの心」に満ちたリーダーであっていただきたい。
これは1回目のハーバード大学講演の直後に行われたアメリカSGIのメンバーに対するスピーチの一部です。
私は、このスピーチは、幹部はもとより、組織全体の在り方、ひいては人間の在り方、そして生き方そのものを示す、心の基底に置くべき極めて重要な視点であると認識します。
このスピーチの指針の基調は、まさしく"人間的であれ"ということ。
信心を深めるために、何か特別なことをせよということでは決してありません。
ごく当たり前のことを、誠実に行っていくことが重要であることを改めて示しておられるのではないでしょうか。
果たして、上記の指針が幹部に限らず、一人ひとりにしっかりと根付いたものになっているのかについて、まずはじっくりと自らと向き合う必要があるのではないか、と私は思います。
そして次の段階で、リーダーたる幹部自身が、上記の指針を体現できているのかについて、会員の皆さんに対し、積極的に耳を傾け、もし正すべきところがあれば、正していくという姿勢こそが望まれると私は考えます。
もし、仮に指針とは相違した、たとえば傲慢で意地悪を平気でするような幹部がいたとして、それに対する非難の声を挙げられないような状況が少しでもあれば、それは創価学会の民主主義の危機と言っていいでしょう。
傲慢な幹部が悪いのはもとよりですが、それを口をつぐんで許してしまうことはもっと悪いと言わざるを得ません。
なぜならそれは、民主主義の最も重要な要素の一つである自浄作用を失っていることになるからです。
自浄作用がなくなったとしたら、それはもはや民主的な組織とは言いがたいものになってしまうのです。
最も民主的な宗教組織であるべき創価学会は、永遠に民主的な自浄作用を失ってはならないと思うと同時に、そのことにこそ最も注意を注いでいくべきであると私は考えます。
