■Q(問い)を解く鍵は既に用意されている
以来、池田先生が発せられる智慧の宝は、「社会と宗教」におけるQ(問い)に対するA(答え、もしくはヒント)ととらえることができるようになったのです。
その原点こそが、先の論文において主題とさせていただいたハーバード講演「ソフト・パワーの時代と哲学」でした。
私はこの「ソフト・パワー」という考え方をいただくことによって、それまで疑問で絡まりに絡まっていたすべての難問が、一瞬にして解けたように思えたのです。
まさに自分の奥底に眠っていたソフト・パワーが噴出した瞬間でした。
池田先生が師との共闘によって切り開かれた人間主義の宗教、つまり「宗教のための人間」ではない、「人間のための宗教」の確立と恒久化、永遠化を生涯をかけて勝ち取る闘いをしていこうという決意が固まったのでした。
冒頭にも申し上げたように、蓮祖に連なる人たちでさえ、700年という時間と悪の誘惑の試練に打ち克つことができなかったという厳しい歴史の事実と向き合うならば、まだ80年に満たない創価学会の恒久化、永遠化、普遍化には、「相当なる覚悟」をもって臨まなければならないことは間違いないと思うのです。
先生はスピーチでよくおっしゃいます。
「簡単に考えてはいけない」と。
このまま、うまくやっていけるに違いない、という考えで、うまくやっていけるはずがないのです。
それほどに師が私たちに期待を寄せ、むしろ責任と課す、恒久化の闘いは私たちが思う以上の至難中の至難の事業であると思うべきなのです。
私は当ブログにおいて、「対話」の重要性を訴えてまいりました。
これまでの研鑽と思索、実践から、組織の恒久化を可能にするものは、「対話」以外にない、しかも付け加えるならば、「ソフト・パワー」に基づく「対話」であろうと確信するのです。
なぜなら、そのことを池田先生は会長就任以来、変わらず主張されてきたことだからです。
かつてキリスト教にも、形骸化した教会や聖職者への批判の原点回帰運動が起こりました。いわゆる「宗教改革」です。
これによって、キリスト教はカトリックとプロテスタントという二つの勢力に分裂し、百年にわたる血で血を洗う凄惨極まる戦いを経験することになります。
そうした悲惨な歴史を繰り返さないために、分裂という悲劇を起こさないために、創価学会は、どんな理由であれ、その内部において、民衆を見下すような考え方や行為を決して許すわけにはいかないのです。
そのために、私たち一人ひとりが、賢明になっていく必要があると思うのです。
どんな立場にあっても、人間主義=ヒューマニズムの観点から、堂々と正しい意見を主張していく必要があると思うのです。
そのための「対話」なのです。
組織の生命線は、率直で、真剣で、かつ思いやりのある「対話」であり、逆にそうしたみずみずしい「対話」が失われた時に、どんなに堅固と思われる組織も、国家でさえ、簡単に崩れ去ってしまうことは、歴史が示す通りです。
以上、私の闘争の原点となった18年前の12月28日を振り返りつつ、私の信仰者としての、また池田先生の弟子としての信念について、語らせていただきました。
(おわり)
タグ:
【悪との闘い】
※このブログは以下のブログポータルに参加しています。
<日本ブログ村>

<ブログランキング>

以来、池田先生が発せられる智慧の宝は、「社会と宗教」におけるQ(問い)に対するA(答え、もしくはヒント)ととらえることができるようになったのです。
その原点こそが、先の論文において主題とさせていただいたハーバード講演「ソフト・パワーの時代と哲学」でした。
私はこの「ソフト・パワー」という考え方をいただくことによって、それまで疑問で絡まりに絡まっていたすべての難問が、一瞬にして解けたように思えたのです。
まさに自分の奥底に眠っていたソフト・パワーが噴出した瞬間でした。
池田先生が師との共闘によって切り開かれた人間主義の宗教、つまり「宗教のための人間」ではない、「人間のための宗教」の確立と恒久化、永遠化を生涯をかけて勝ち取る闘いをしていこうという決意が固まったのでした。
冒頭にも申し上げたように、蓮祖に連なる人たちでさえ、700年という時間と悪の誘惑の試練に打ち克つことができなかったという厳しい歴史の事実と向き合うならば、まだ80年に満たない創価学会の恒久化、永遠化、普遍化には、「相当なる覚悟」をもって臨まなければならないことは間違いないと思うのです。
先生はスピーチでよくおっしゃいます。
「簡単に考えてはいけない」と。
このまま、うまくやっていけるに違いない、という考えで、うまくやっていけるはずがないのです。
それほどに師が私たちに期待を寄せ、むしろ責任と課す、恒久化の闘いは私たちが思う以上の至難中の至難の事業であると思うべきなのです。
私は当ブログにおいて、「対話」の重要性を訴えてまいりました。
これまでの研鑽と思索、実践から、組織の恒久化を可能にするものは、「対話」以外にない、しかも付け加えるならば、「ソフト・パワー」に基づく「対話」であろうと確信するのです。
なぜなら、そのことを池田先生は会長就任以来、変わらず主張されてきたことだからです。
かつてキリスト教にも、形骸化した教会や聖職者への批判の原点回帰運動が起こりました。いわゆる「宗教改革」です。
これによって、キリスト教はカトリックとプロテスタントという二つの勢力に分裂し、百年にわたる血で血を洗う凄惨極まる戦いを経験することになります。
そうした悲惨な歴史を繰り返さないために、分裂という悲劇を起こさないために、創価学会は、どんな理由であれ、その内部において、民衆を見下すような考え方や行為を決して許すわけにはいかないのです。
そのために、私たち一人ひとりが、賢明になっていく必要があると思うのです。
どんな立場にあっても、人間主義=ヒューマニズムの観点から、堂々と正しい意見を主張していく必要があると思うのです。
そのための「対話」なのです。
組織の生命線は、率直で、真剣で、かつ思いやりのある「対話」であり、逆にそうしたみずみずしい「対話」が失われた時に、どんなに堅固と思われる組織も、国家でさえ、簡単に崩れ去ってしまうことは、歴史が示す通りです。
以上、私の闘争の原点となった18年前の12月28日を振り返りつつ、私の信仰者としての、また池田先生の弟子としての信念について、語らせていただきました。
(おわり)
タグ:
【悪との闘い】
※このブログは以下のブログポータルに参加しています。
<日本ブログ村>
<ブログランキング>
